人物談義(12) 夕霧

源氏の息子、中盤以降は物語を引っ張る中心人物となります。
【夕霧】
 ①夕霧=評価:優 好き嫌い度:好き
  →大スターの息子、それ故の苦労もあったでしょう。まともに育ってエライ!と思います。

  夕霧 歌12首 代表
   くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりとや言ひしをるべき(少女)
   →六位からスタートさせられた夕霧、紫式部の教育論であります。
   山里のあはれをそふる夕霧にたち出でん空もなき心地して(夕霧)
   →この歌から「夕霧」と名付けられていますが、この命名ちょっと違和感ありです。

 ②葵の上の忘れ形見、母なし子。祖母大宮に可愛がられ後花散里が母代りになる。
  →源氏との父子関係は結構淡々としていたが母性愛には恵まれていたのではないか。

 ③源氏の突き放した厳しい教育。少女の巻の学問論・教育論は読みごたえがあった。
  大学、博士、蛍雪の功、寮試、放島の試み、爪しるし、文人・擬生・進士
  →夕霧の受験勉強。恋人雲居雁を想いながらよく頑張りました。

 ④雲居雁との筒井筒の恋。
  →これは微笑ましかった。二人ともめげるな、ガンバレ!と思いました。
  →政略結婚ばかりの当時こんな幼友だち同士(と言っても従姉弟だが)の結婚は珍しかったのであろうか。

 ⑤「野分」で女君たちを見舞いに回る場面。
  夕霧の目線で女君たち(花散里、秋好中宮、明石の君、玉鬘)のことが語られていた。
  そして風の中垣間見た義母紫の上。
   春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す
  →源氏は夕霧を警戒していたが夕霧に限ってそれはないでしょう。でも隠されると見たくなるもの。夕霧もこの日の紫の上の面影は一生心に残っていたことだろう。

 ⑥柏木の友だち、ライバルとしての夕霧。
  源氏と頭中、夕霧と柏木、そして薫と匂宮
  →このライバル構図が物語を安定したものにしていると感じます。

  上昇志向で情熱一途な柏木、冷静な夕霧。その真面目・冷静な夕霧が柏木未亡人女二の宮(落葉の宮)に夢中になる。
  →中年真面目男の浮気。「夕霧」の巻は現代に通じる通俗小説でした。

 ⑦惟光の娘藤典侍を愛人にし正妻雲居雁と半分づつ通った夕霧。藤典侍は夕霧の子どもを五人も生む。その内の一人が六の君で匂宮の正妻になる。
  →狂言回し的だが宇治十帖でも重要人物として登場する夕霧。この人が一番長く源氏物語に登場している人物ではなかろうか。

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5 Responses to 人物談義(12) 夕霧

  1. 式部 のコメント:

     夕霧の将来は約束されているといっても、五位からが一応貴族なのだから、スーパースターの嫡男が六位スタートでは肩身が狭く辛かったでしょうが、これは源氏の教育方針の素晴らしさでしょう。
     ぐれもせずよく耐えて学問に励んだのは立派です。
     危なげのない常識人で、雲居雁との仲も睦まじく、現代の家庭の一つのパターンのようにも思われますが、そんな夕霧も中年で恋に落ちるのですよね。
     やっぱり人生は面白いものですね。
     思いもかけない落葉宮とのことがあって、夕霧に親しみも覚え好感度は少し増したようです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      先頃の「色好み」の観点から言って、作者は光源氏と夕霧とを完全に違った身分の男として描いているように思います。源氏が天皇に準じる色好みの生活を満喫するに値する男であるに対し夕霧はあくまで臣下としての扱いじゃないでしょうか。六位から始め大学で学問を修め女性についても正妻は幼馴染で従姉の雲居雁、愛人が父の従臣惟光の娘藤典侍。とても自由に色好みの生活を満喫する男ではありません。後に友人の未亡人落葉の宮に言い寄る場面でも遠慮しいしいおどおどした感じでとても心の欲するままに行動しているとは思えません。

       →宇治十帖の匂宮と薫の違いも「色好み」の観点から説明できるかもしれませんね。

  2. 青玉 のコメント:

    夕霧(良 好き)
    正妻葵との正当な嫡男でありながら甘やかされず源氏の厳しい教育に耐えた夕霧は辛抱強く努力の人ですね。
    母のいない分祖母、大宮からはたっぷり愛情を注がれたのでしょうね。
    生真面目で月の半分ずつを平等に女の元に通ったと言うのは傑作です。
    紫の上は永遠の憧れだったのでしょうね。
    真面目男が陥る中年の恋狂いも現代小説風でした。
    何よりも雲居雁との筒井筒の初恋が結ばれたのは微笑ましくその夫婦関係や家庭作りも今風で楽しめました。
    源氏物語はある意味、親子関係の物語でもあるようです。

    追記
    人物談義になってからコメント数がいきなり増えてうれしい悲鳴ですね。
    どんどん面白い話題を提供してほしいですね。

    それと会津、裏磐梯の様子も聞かせて下さい。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.夕霧はスーパーヒーロー源氏と違ってぐっと身近な存在として書かれていますね。親の仕打ちを恨むところも幼い恋に胸を焦がすところも受験勉強に打ち込むところもその後中年の恋にうつつを抜かすところも読者は夕霧と同じ目線でハラハラドキドキ物語の進行を楽しむことができるのではないでしょうか。

       それにしても夕霧ってバランスのよくとれた秀才ですねぇ。二条東院でひたすら勉学に励み45か月で史記などを読破して難関の試験に合格するところなんぞ読みながら拍手喝采しました。紫式部も「この子こんなに優秀なのよ、びっくりでしょう、、、でも私ならできるわよ」と言ってるように感じました。

      2.ホント沢山のコメント、それも中味の濃いコメントをいただき嬉しい悲鳴です。ブログ作成者としてしてやったりと喜びをかみしめているところです。でも内情を言いますとテキストに沿った講読コメントをつけるわけではないので予約投稿も捗らず若干焦っているところです。がんばります。

      3.「八重の紅葉」堪能してきました。天気の都合で予定をひっくり返し裏磐梯→会津若松市内→南会津と回ってきました。1日目は晴れ2日目は曇り3日目は雨でした。まあ何とかよかったです。

      1日目 
       つばくろ谷 橋からの眺めは絶景、紅葉は盛りを過ぎていた。
       浄土平  強風、火口まで登ったがちょっと怖かった。
       中津川渓谷 これも橋からの眺めが最高、紅葉はここが一番だった。
       五色沼 ちょっと疲れてて多く歩けず。じっくり自然観察したかった。
       磐梯山ゴールドライン 錦織りなす紅葉は名前通り見事だった。

      2日目
       鶴ヶ城 見事に再建された天守閣、八重の気持ちで見てまわった。
           堀が深く塩袋も3万俵蓄えられていたと聞き1ヶ月も
           持ちこたえたのも納得だった。

       御薬園 会津藩主の庭園、ありとあらゆる薬草木が植えられてた。
           逆に言うと何でも薬になるんだなあと思った。

       飯盛山 白虎隊悲劇の舞台。飯盛山から炎に包まれたお城を眺めたら
           自刃の決意をしたのも分かるような気がした。

       会津藩校日新館 見事に再建されていて見応えがあった。
         館のスタッフの方にもお話を伺うことができた。ここで徹底的に
         会津魂を吹きこまれ思想教育をされたことがあの会津の悲劇、
         白虎隊の悲劇につながったのではないか、、とちょっと思った。

      3日目 雨 会津南街道
       大内宿 面白い町並み ネギをかじりながら高遠そばを食べた。
       塔のへつり 天然記念物 これも奇景 紅葉はあと2週間だったか。

      一度会津に行きたいと思っていたので念願がかなってよかったです。
      日新館の人と「津」の話になり、山に囲まれた会津なのになぜ港を表す「津」という字が入っているのか、それは会津盆地には東は猪苗代湖から水が流れて来(猪苗代湖は標高500M,会津盆地は標高300Mとのこと)、北は飯豊山から水が流れて来る。即ち水が合さるように流れて来るところということで「会津」と名付けられたとのこと。なるほどと思いました。   

  3. 青玉 のコメント:

    ありがとうございます。
    「八重の紅葉」存分に楽しまれたようで何よりでした。

    改めて地図で会津の位置を確認してみました。意外や意外、内陸部で新潟寄りとは!!
    地図を眺めていると新たな発見があります。
    如何にうろ覚えが多いかと言うこともわかりました。
    初めて東北の地を訪れたのはもう50年近くも前になるでしょうか。
    やはり紅葉の時期に米沢から磐梯吾妻スカイラインを抜けました。
    未だにあれ以上の紅葉は見たことがないほど息をのむような見事なものでした。
    今は磐梯山ゴールドラインと言うのも出来ているのですね。
    会津と言えば磐梯山、民謡にもうたわれているように宝の山、会津の象徴ですね。

    会津戦争、白虎隊の悲劇は大河ドラマ「八重の桜」を思い出します。
    地名の由来、知らなかったので納得です。
    津といえばやはり我らが故郷のように海、港をイメージしますものね。

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