人物談義(11) 朝顔・玉鬘

【朝顔】
 ①朝顔=評価:並 好き嫌い度:嫌い
  →六条御息所と並び称される雅で教養豊かな貴婦人  
  →源氏に楯突くなんて、、と言う訳ではありませんが、何となく好きになれません。

  朝顔 歌7首
   秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔(朝顔)
   →この返歌に対する源氏の贈歌が何ともすごい。
    見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん(源氏@朝顔)

 ②源氏の従姉弟(源氏とどちらが年上だろう、まあ同年齢か)。葵の上が亡くなって六条御息所とうまく行ってなかった状況で朝顔が後妻になる第一候補だったのだろう。でも六条御息所の二の舞になるのを恐れて決断できない。
  →結婚恐怖症と言おうか。宇治の大君と通じる所あろうか。

 ③桐壷院の崩御で斎院になって24~32才まで8年間賀茂神社に仕える。
  →斎宮となり伊勢に行った秋好中宮は15~21才の6年間だった。朝顔は一番花盛りの8年間。これは大きい。気の毒としか言いようがない。

 ④結局源氏の求婚にも応じず紫の上はピンチを救われた(朝顔)
  →この朝顔の巻は何ともモヤモヤした巻でした。

【玉鬘】
 ①玉鬘=評価:良 好き嫌い度:大好き
  →田舎で育った夕顔の忘れ形見が花の都で噂の姫に!シンデレラ物語ですねぇ。

  玉鬘 歌20首 代表
   声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ(蛍)
   →六条院に言い寄る男たちを巧みにはぐらかす玉鬘。蛍宮がかわいそう。

 ②年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔をつゆ忘れたまはず、、、
  →夕顔の遺児が登場!「玉鬘」の冒頭を読んで読者は「こりゃ、面白いぞ」と思ったことでしょう。

 ③九州での苦労話~椿市での右近との出会い。
  →右近と言えば夕顔、ずっと夕顔の面影が頭から離れない展開でした。
  →この出会いのシーン、投稿を読み返しても興奮して書いてること分かります。

 ④そして玉鬘十帖。玉鬘は六条院の女主人公になり源氏の演出で男たちを魅惑し続ける。
  初音~野分 六条院を舞台に繰り広げられる王朝絵巻。
  →正月から月を追っての歳時記風叙述が素晴らしかった。

  玉鬘十帖 玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸、藤袴、真木柱
  →この名前覚えておくだけで王朝の雅びが語れると思っています。
  →正月の風景(初音)、春の楽宴(胡蝶)、蛍のシルエット(蛍)、嵐の様子(野分)

 ⑤源氏との恋愛沙汰があったが、それはご愛嬌ではなかろうか。
  →玉鬘を介しての物語論は読みごたえがあった。

 ⑥あっと驚く髭黒の強奪。
  →紫式部のどや顔が目に浮かびました。

 ⑦玉鬘の晩年(竹河)はなくもがなでしょうに。
  →週刊誌によくある「昔の有名スターはいま!」なんて感じで蛇足だと思いました。

 ⑧玉鬘、頭がよくて控え目で男を嫌わず男に溺れず、、、。中の品の女性で私が一番好きな女性です(上の品は紫の上)。

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13 Responses to 人物談義(11) 朝顔・玉鬘

  1. 青玉 のコメント:

    朝顔(普通 普通)
    源氏の思いのままにならなかった唯一の女性としては印象的で勇気ありますね。
    でも何だか意思がはっきりしないですね。
    好きなら好き、嫌いなら嫌いとはっきりさせればいいものを思わせぶりなのは嫌ですね。
    加茂の斎院として八年も仕えたのは女性としての大切な時期を失ったに等しいですね。
    こう言う経験をすると世間からは隔離されているので何か普通とは性格も変わり何ごとにも臆病にならざるを得ないのでしょうか?
    何だかよく解らない女性です。

    玉蔓(良、普通)
    この帖は卷名も素晴らしく物語としてもとても印象的で読み応えがありました。
    特に夕顔とのつながりから右近との運命的な出会い、そしてドラマチックな展開にときめきました。
    皆さん玉蔓をとても褒められるし大好きな方が多いようですが私は余り好きになれませんでした。
    嫌いとまではいかないので普通にしておきます。
    自分でも不思議なのですが好きになれない理由を考えてみました。
    いい寄る男たちや源氏の懸想も上手くかわし聡明で苦労人。
    溢れる美貌と教養そして六条院の花形にも関わらず何が気に入らないの?
    そのしたたかさがが鼻につくのかもしれません。
    これは当初からの私のインスピレーションなので自分でもよく解らないのですが八方美人さを感じるのかな?
    玉蔓ファンの殿方には申し訳ありません。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      玉鬘の好き嫌いのことよく分かります。インスピレーション、青黄の宮さんが紫の上の所で言っていた直感的なものと同じですね。ちょっとした具合で好きになったり好きになれなかったり、、、。人の好みは千差万別、それだからこそ人の世の中は面白いんでしょう。

      私の場合もインスピレーションで「玉鬘」の冒頭であの夕顔の忘れ形見の娘が出て来るんだ、、どうしてたんだろう、、と思った途端に「好き」のスイッチが入り、あの懐かしい右近の登場で好きの度合いがドンドン高まっていったということでしょうか。

  2. ハッチー のコメント:

    初めて読んだ源氏物語、ストーリーや人物像もしっかり把握できておらず、気が引けてなかなか書けなかったのですが、ここまでで一番気になる女性3人にコメントします。

    紫の上  優 大好き

    美貌と教養も兼ねそろえ、明石の姫君を引き取り可愛がり養育するといった優しさも持った女性で好感度抜群です。
    好きな男性には尽くすタイプで、男だったら傍に置いておきたい女性だと思います。
    正妻にはなれず、子供もできず、源氏の浮気に悩み続けた紫の上、最後は女三の宮の出現で、これまでの安泰の地位も脅かされ、出家したいと思うまでに至り、必ずしも幸せな人生ではなかったように思える一方、最後は明石の姫君に手をとり見取られ静かに死んでいく姿は、やはり幸せだのかなと、慰められる思いがしました。
    紫の上が死んでから、源氏がその存在の大きさに気づくのは、あとの祭りではあるのですが、祖母や両親を亡くしたころの自分の思いを考えると、そういうものかなと納得しています。

    朧月夜  良  普通

    まず名前がいいですね。
    艶かし過ぎて小生には近寄りがたい気がしますが、かといっておおらかで魅力に溢れこれも男がスーゥトほっておけない女性です。
    もし関係が出来ると離れられなくなるタイプのようで、一種の怖さのようなものも感じました。
    出家を自分で実行し、最後に源氏に人並みに祈ってあげると言い切れるのは、当時としては、極めて立派です。
    源氏物語41帖中、一番もてたタイプのいい女でしょう。

    玉鬘  良  好き

    苦労人で美人で男にもてるタイプは母親譲り、但し流れに身を任せる母と違い、辛抱強くかつ自分の意思を持った女性だと思います。
    なにかぼんやりとした描かれ方をしており、蛍の光に浮かび上がるシルエットそのもののようにつかみどころがなく感じました。
    髭黒の大将とは結婚後幸せに暮らしたようで、それは良かったです。

    ところで、清々爺の仰るとおり、玉鬘10帖は、美しい季節も十分描いてくれ、源氏絶頂期で王朝文化も華やかで、その意味でも、ここだけ切り取っても面白い物語でした。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。気後れなどご無用、ドンドン書き込んでください。よく読み込まれていると思います。

      朧月夜
       なるほどそうですねぇ。あの奔放さで振舞われたらちょっと恐れをなすかもしれません。男上位でリードしていくには男が余程しっかりしてる必要があるでしょうね。

      玉鬘
       確かに玉鬘の心そのものはボンヤリした描かれ方ですよね。それだけに読者は行間を読みそれぞれに自分の玉鬘像を作り出していくのだと思います。

  3. 式部 のコメント:

     源氏に靡かない女がいないと物語は面白くありません。
     身分、教養とも申し分なしですが、六条御息所のようになることを極度に恐れていますよね。世の中のひとがどう思うか、そればかりを気にするのはつまらないですね。(平安の貴族はそういうものだとわかっていてもね・・・)
     源氏の妻の一人になってどうなるかは、なってみないとわかりませんよね。飛び込んでみたらと、背中を押してあげたい気分です。
     ただ朝顔君が源氏の妻にならなかったことは紫の上にとって救いでした。
     嫌いとは言い切れず、やっぱり普通かな。

     玉鬘は本人の器量、教養だけでなく源氏の演出もあって、いい女へと造られていったように感じます。
     登場する姫君たちの賢さにはいろいろありますが、玉鬘には青玉さんのいわれるようにしたたかさがあります。それを気にいらないとするのか、なかなかやるなあ!と感心するかで評価は分かれるのでしょうね。
     私はこの人も好きです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。さすがのコメントです。

      「源氏に靡かない女がいないと物語は面白くない」
      正しくその通りですね。「色好み」、天皇ないしそれに準ずる人だけが持ちえた美徳。その「色好み」の相手とされるのは光栄である筈で拒むものではないでしょう。あのスーパーヒーロー光源氏に言い寄られて拒むなんて!式部さんが朝顔の女房だったら有無を言わせず手引していたでしょうね。

      でも源氏を拒む女君もいた!朝顔の宮の存在意義はただその一点にあるような気がします。

  4. 青玉 のコメント:

    「色好み」考
    昨日のカルチャー教室で「色好み」についての話し合いがありました。
    一体「色好み」の定義ってなんでしょう。
    現代風に考えるとともすれば浮気っぽい、女たらし、好色男等々マイナーなイメージを抱きがちです。
    建礼門院右京大夫(1157)の資盛以外のもう一人の恋人藤原隆信(1142)が有名な色好みであったとされます。
    源氏物語の時代よりは後になりますが色好みの定義がそんなに大きくは変わらないとい思います。
    和歌、漢籍、管弦に通じ風流を解し美形で女の目を引く恋多き男との見方が大かたでした。
    その典型が光源氏と言う事は論を俣たないですね。
    色男金と力はなかりけり、こんなのは資格なし。
    「色好み」とはひょっとしたら究極の褒め言葉ではないかと私は理解したのですが皆様、如何でしょうか?
    ちなみに女性にも使えるのかと言う質問もありましたがこれは論外、男に対する言葉だそうです。

    さて今日からリンボウ先生の謹訳「源氏物語」を読み始めます。
    「幻」までは読んだのですがその後の匂兵部卿から夢浮橋までは未読でしばらく現代語訳を楽しんみます。

    • 清々爺 のコメント:

      「色好み」よくぞ書いていただきました。さすが高尚なカルチャー教室ですね。

      実は昨日青黄の宮さん、式部さんと会う機会がありそのことを話していたところでした。光源氏が多数の女君と関係を持っていくことの正当性を説明するには「色好み」を理解してもらわねばならない。でも「色好み」と言うと通常は色欲・多情・スケベな男と思われてしまう。では「色好み」をどう定義づけたらいいのか。。

      「色好み」は折口信夫が源氏物語の主題として提唱した言葉ですがその定義とは(「知られざる源氏物語」西村亨 講談社学術文庫より。先日挙げた「源氏物語の京都を歩く」槇野修 PHP新書でも引用されています)

       「いろごのみ」は古代日本の神や最も高貴な男性、天皇とか天皇に準ずるような男性だけが持ち、また持つをことを許された生活法であり、生活の理想であったとするのだ。それは女性に対する場合に限ったことではないのだが、女性に対する場合には美しい恋のゆくたてとして顕現する。

       いろごのみの男は多くの妻を持ち、そのそれぞれに正当な処遇を与えて満足させ、円満な結婚生活を遂げなければならない。一夫多妻というのもこういう族長階級の有する結婚形態で、それが古代の貴族社会のルールとなりはするけれども、本来は限られた少数の上層階級だけに許されたことだった。そして、それは好色とか多情という観念で見るべきことでなく、賛美すべき美徳だった。

       折口信夫の「いろごのみ」の論をことばを換えて言うならば、源氏物語は光源氏というこの世で最も尊い、天皇と言ってもいいような貴人の生涯を、心からなる賛美をもって書いた物語だということになる。

       →なんて言われても源氏物語を読んでない人には理解できないでしょうね。やはり現代では「色好み」という言葉はマイナスイメージの響きしかありませんもんね。 

  5. 青黄の宮 のコメント:

    朝顔は「普通」&「嫌い」です。夕顔と異なり、朝顔の君はほとんど印象に残っていないし、記憶にも残っていません。そこで、テキストの梗概を読み直してみたら、「朝顔の姫君は、源氏の熱心な求愛にも応じない。斎院として仏道から遠ざかっていた罪を滅ぼすべく、勤行一途の生活を志すのである」とありました。彼女は要するに、前半生を神に捧げ、後半生を仏に捧げるという一生を送ろうとしているのでしょう。ある意味では、聖女と言えるのかもしれませんが、小生は人間に興味がない女性は好きになりようがないですね。

    朝顔に比べて、玉鬘の一生は誠にドラマティックで面白い。玉鬘は田舎育ちの中の品の女性ですが、美貌の誉れが高い上に十分な教養も持ち合わせ、波乱万丈とも言える人生を巧みに泳ぎ切っていく。青玉さんは「巧みに」を「したたかに」と言い換えていらっしゃいますが、私はむしろ「鮮やかに」とか「見事に」と言い換えたいですね。また、玉鬘は髭黒の大将の強奪を最終的には受け入れ、3男2女を生んで健全な家庭を築くといった割り切りの良さがあることも評価します。ということで、小生も玉鬘は「良」&「大好き」です。

    最後に、タイムマシーンがあれば、平安の世に行って、暫くの間だけで良いから、折口信夫流の「いろごのみ」の生活を味わってみたいですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.朝顔の姫君はずっと源氏が気にしていてアタックをかけ続けていた女性として帚木~葵~賢木~薄雲~朝顔(この巻は主役だが)~少女~梅枝~若菜下とチラチラと登場し続けるのですが、おっしゃる通りあまり印象に残っていませんね。これこそ式部さん言われる「源氏に靡かない女」の象徴として出続けてるということでしょうか。ピンと来なくても仕方ないですね。

       もう一つ、斎院として8年間神に仕えてその間仏を蔑ろにしたからその罪滅ぼしとして仏道に励み出家してしまう、、、というのもちょっと納得できません。ずっと神に仕える神官などはどうなるんでしょう。神も仏もいっしょでしょうに。神仏習合・本地垂迹、よく分かりません。

      2.ほぉ~、タイムスリップして「いろごのみ」の生活ですか、さすがですねぇ。貴君を見ているとそういう気持ちでずっと生きてきていますよね、羨ましい限りです。たった一人でも持て余している私なんぞとても多くの女性を満足させる自信なんてありません。今の世の中でよかったと思うことしきりです。

  6. ハッチー のコメント:

    皆さん

    ”色好み”の話、大変興味深く読ませていただきました。
    小生は、”色好み”は所詮、色欲・多情のことと思っており、光源氏を見る目も、どうしてもこの見方からは離れられないでいました。従い、源氏の好き嫌いも大好きにはなりませんでした。
    勿論、当時は天皇なりそれに近い人は、”色好み”の生活は許されていたとの認識は持っていますが、あくまで許されるの世界であり、これが賞賛される美徳の生き方とは考えていませんでした。清々爺に薦められ、槙野 脩著 ”源氏物語の京都を歩く”を半分ぐらいまで読んでいますが、”色好み”の箇所はサアート読んでおり、理解の浅いままに終わっていました。指摘を受け今読み直すと、確かに書いてありました。

    一夫多妻というと、小生は徳川将軍家のことがまず頭に浮かび、どうしてもイメージとして色欲・多情と悪く考えていました。
    更に、小生をかわいがってくれた祖母が、旦那がそとに女を幾人か作り苦労したと幼かりしころよく聞かされていたことも、大きく影響しているのでしょう。

    現在に生きる小生として、そういわれてもなぜ”色好み”が美徳とされたのか直ぐには納得しかねていますが、しかし、そういう観点から物語を読めば、源氏物語の面白さも広がり、源氏と女性たちの物語も深さが増すように思えてきています。

    少し気持ちが動転気味でありますので、もう少し時間もかけ、考えて行きたいと思いますが、そういう見方が通説なのだと知り、目から鱗というか、このブログに参加させていただいて、これまでで一番の収穫のように思います。

  7. 青玉 のコメント:

    そうなんですよ、ハッチーさんとてもよく解ります。
    私も源氏物語を読み始めたころ皆が源氏は素晴らしいとの言葉にあんな色欲、浮気男のどこが一体?と反発したものです。
    ですから当初は源氏の性格は好みではありませんでした。
    しかし読み進むにつれこれはただの色情魔ではない。
    ですから今の人物談義の好き嫌い度では嫌いが大好きに変わってしまいました。
    やはり優れて賛美に値する人物だと思えるようになったのです。
    細かい所を煎じつめれば嫌な所、納得のいかない所、身勝手さ、いろいろ欠点も見えてきますが総じて大好きに変わった次第です。
    これは雲の上、天上の世界のお話だからこその常識だとも思えます。
    今の世界に当てはめるととんでもない男のお話にならざるを得ないですね。

    又色々と京都でもお話しましょうね。

  8. 清々爺 のコメント:

    青玉さんの「色好み」考に発した談義、面白いですねぇ。正に源氏物語の本質は何なのか、何故源氏物語が書かれたのか、、、その辺の議論じゃないでしょうか。

    ハッチーさんにはショックだったようでそれも結構ですねぇ。私も源氏物語を読むにつれ何度か源氏物語の凄さ、紫式部の凄さに身震いして放心状態になったことを憶えています。読む度に新たな発見があるのが源氏物語です。解説書を読み、本文を読み返し続けたいと思っています。

    人をあるく「紫式部と平安の都」(倉本一宏・吉川弘文館)
    ひょんなことから津高の友人からこんな本出てるぞと教えてもらいました。これが青玉さんが受けられてる講座の元になった本のようですね。私も読んでみます。自著を紹介する小冊子で倉本氏は今度の本を書いた感想を次のように述べておられます。

     今回、「人をあるく 紫式部と平安の京都」という本の執筆を頼まれ六回目の通読を行った結論、達した結論は「よおわからん」というものであった。

     特に理解できないのは、次のことである。当時、「源氏物語」を読んだ主たる読者層は、一条天皇や彰子や道長はさておき、「この女が駄目ならこっちの女でもいいや」などと光源氏や匂宮に弄ばれる女性と同じ階層の女房が圧倒的に多かったはずである。それなのに、何故に皆、源氏たちのような最低な男たちに憧れたのであろうか。当時の人々は、いったいどういう風に「源氏物語」を読んでいたのであろうか。というわけで、謎は解けない。、、、、私が今後、「源氏物語」に挑むことはあり得ないが、結局は最後までわからない物語であった。

     →「色好み」のこと考えて欲しいなあ、、と思うのですが。とにかく本読んでみます。

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