夢浮橋(1・2) 薫、僧都に会い浮舟のことを聞く

夢浮橋 明けくれに昔こひしきこころもて生くる世もはたゆめのうきはし 与謝野晶子

いよいよ最終帖、夢浮橋です。4日間の予定です。しっかり読み込んで有終の美を飾りたいと思います。

p274-284
1.薫、横川に僧都を訪れ、噂を確かめる
 〈寂聴訳巻十 p344 薫の大将は、比叡山においでになって、〉

 ①山におはして、例せさせたまふやうに、経、仏など供養ぜさせたまふ。またの日は、横川におはしたれば、僧都驚きかしこまりきこえたまふ
  →前帖からの続き。薫、横川へ。僧都は何ごとかと驚いたことだろう。
  →「ひょっとして浮舟のことかな、中宮に話してしまったし、、、」と不安がよぎったのかも知れない。

 ②薫「小野のわたりに知りたまへる宿やはべる
  →薫のストレートな問いかけ。僧都もありのままを語るしかない。

 ③薫「かたがた憚られはべれど、かの山里に、知るべき人の隠ろへてはべるやうに聞きはべりしを
   「御弟子になりて、忌むことなど授けたまひてけりと聞きはべるは、まことか
  →「私の大事な人を尼にしてくれたな、、、」僧都には脅しに聞こえたのではないか。

2.僧都、浮舟発見以来の始終を薫に語る
 〈p346 僧都は、「やっぱりそうだったか。〉

 ①法師といひながら、心もなく、たちまちにかたちをやつしてけること、と胸つぶれて、、
  →あの時浮舟が出家できてなかったら、、、。物語は大きく変わっていたことだろう。
  →僧都が出家させたところに大きな意味がある。

 ②僧都「かしこにはべる尼どもの、初瀬に願はべりて、、、、」
  →僧都は浮舟救出のいきさつを詳しく語る。
  →「ものよく言ふ僧都」のこと、薫は浮舟の様子が全て分かったことだろう。

 ③僧都「、、、さらに、しろしめすべきこととはいかでかそらにさとりはべらむ
  →薫を怒らせては身が危ない。威厳をもって弁解に努める僧都。

 ④夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれたまひぬる
  →何はとまれ浮舟は生きていた!薫が涙に咽ぶのは自然であろう。

 ⑤薫 罪軽めてものすなれば、いとよしと心やすくなんみづからは思ひたまへなりぬるを、、
  →浮舟の出家を薫はどう思ったのか。恐らくまだ心の整理もつかない状態だったのでは。

 ⑥僧都の困惑
  かたちを変え、世を背きにきとおぼえたれど、髪、鬢を剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり、まして女の御身はいかがあらん、いとほしく、罪得ぬべきわざにもあるべきかな、、、
  →法師になっても出家しても情欲は完全に拭い去ることはできない。
  →情欲を抑えて閉じ込めてしまうというのが出家の意味なのだろうか。

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4 Responses to 夢浮橋(1・2) 薫、僧都に会い浮舟のことを聞く

  1. 青玉 のコメント:

    思えば長い道のりでした。
    よくぞここまで引っ張っていただきました。感謝感謝!!
    もうひと踏ん張り、ゴールは見えています。頑張りましょう!!

    薫、横川に僧都を訪ねる。
    薫と僧都の対面、緊張感のある場面です。
    僧都も覚悟を決めたことでしょう。
    僧都から事のあらましを聞くことに・・・

    浮舟発見以来、僧都が出家させるまでの詳しい経緯のすべてを知った薫。
    中宮や小宰相から聞いていたことは本当だった・・・

    夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれたまひぬる
    薫の驚き、そして僧都の困惑。
    ここでは大きく出家と言う行為が横たわっていますね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。とうとう夢浮橋まで来ました。本当に夢のようです。青玉さんのお蔭であります。

      薫は僧都から浮舟生存のことをはっきり確認する。生きてはいたが出家して尼になっていた! 先日来出家のことについて議論されていますがどうも未だ出家の意味するところがよく分からないので薫がどう思ったのかなかなかつかめません。

      もし私が薫からどうしたものかと人生相談を受けたらどう答えましょうかね。

       「よかった、よかった。あなたの愛する浮舟さん生きてたんですね。何よりですよ。元々あなたは仏の道に勤しみたいと言っていた。いい心の友が出来たじゃないですか。あなた自身はまだ表の世界があってギラギラと大変でしょうが時折小野に立ち寄り浮舟尼と静かに語らうことで安らぎを得られるんじゃないでしょうか。でも性急に近づいてはいけません。徐々に少しづつ気持ちを伝えることでしょう。何せ相手は深く傷ついているのですからね。語らうと言っても勿論色恋抜き、御簾の外からそっとお話するに止めなくてはいけませんよ。折に触れ物的援助をし時候の歌を詠み交し仏の道のことを語り合う、そんな関係になるのがあなたの心を安らげる最良の道だと思いますよ」

       →なんて言っても「変らない薫」は聞く耳をもたないでしょうが。。

  2. 式部 のコメント:

     最終帖の夢浮橋にたどり着きました。
     最後の巻名を「夢浮橋」としたのにも意味があるのでしょうね。
     短いこの帖の中で「夢」の語は5回使われています。
     ①p281 「夢の心地して」
     ②p284 「夢のやうなることどもも」
     ③p296 「夢のやうなり」
     ④p302 「世の夢語をだに」
     ⑤p304 「いかなりける夢にか」

     夢はそのものでも比喩的にでも、はかない、不確かなものを表しているのだろうし、「浮橋」はやはり不安定なものとして使っているのでしょうね。
     そうすると紫式部は物語を終えるにあたって、すべて世の中(この世)は、はかないものだと言いたかったのでしょうか?
     どう思われますか?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      そうですか、「夢」が5回も出て来ますか。象徴的ですね。
      おっしゃる通りこの長い物語を終えるにあたって紫式部ははっきりと意図を持ってこの語を使ったのでしょう。「夢」と「浮橋」すばらしいネイミングだと思います。

      【参考】
       ①春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空
        →藤原定家の代表作とされる歌。当然「夢浮橋」から発想されている。

       ②世の中は夢のわたりの浮橋かうち渡りつつ物をこそおもへ(不詳)
        →源氏が大堰に明石の君を訪ねる段で引用されている(薄雲p188)

      日本人が夢を実現不能な儚いものとしてとらえがちなのに対し西欧(アメリカ)は実現させるべき前向きなものとしてとらえる。。。違いますねぇ。

       I have a dream! Yes, I can!
       と
       It’s only a dream. I wish I could!
       
      彼我の違い。良さもあり悪さもありということでしょうか。

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