p246-254
26.新年、浮舟往時を追懐し手習に歌を詠む
〈p325 年も改まりました。〉
①年も返りぬ。春のしるしも見えず。
→波乱万丈のK27年が明けK28年。だが浮舟の心には春は遠い。
②「君にぞまどふ」とのたまひし人は、心憂しと思ひはてにたれど、なほそのをりなどのことは忘れず。
→正月は何かと物を思う時。やはり匂宮のことが思い出される。
③浮舟 我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし、、
→自分を思い出してくれる人(母・乳母・右近)もあるのだろうか。心のどこかに思い出してくれる人がいることを期待している。
④浮舟 雪ふかき野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき
→百人一首No.15 光孝天皇
君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ
⑤春や昔のと、こと花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみけるにや。
→梅の花につけ匂宮の匂いを思い出す。(薫ではないでしょう、脚注9)
⑥浮舟 袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
→匂宮に抱かれた時を思い出しての官能的な歌
→人間たるもの髪を下ろして出家しても完全に昔のことを忘れ去ることなどできないということだろうか。
27.紀伊守小野に来たり、薫の動静を語る
〈p327 その頃、大尼君の孫で紀伊の守だった人が、〉
①大尼君の孫の紀伊守なりけるが、、、三十ばかりにて、
→初出の狂言回し役。薫に仕えている。薫より2才年上。そこそこの重臣か。
②紀伊守「、、常陸の北の方は、おとづれきこえたまふや」
妹尼「、、常陸はいと久しくおとづれきこえたまはざめり。、、」
→浮舟は自分の母親のことを言われているのかとびっくりする。別人なのだが。
③紀伊守「、、故宮の御むすめに通ひたまひしを。まづ一ところは一年亡せたまひにき。その御妹、また忍びて据ゑたてまつりたまへりけるを、去年の春また亡せたまひにければ、、」
「、、なにがしも、かの女の装束一領調じはべるべきを、せさせたまひてんや、、」
→「えっ、私の一周忌の法要に用いる衣服を!」浮舟の心境やいかに。
④紀伊守「この大将殿の御後のは、劣り腹なるべし。ことごとしくももてなしたまはざりけるを、いみじく悲しびたまふなり」
→薫の気持ちが浮舟に伝えられる。
⑤薫 見し人は影もとまらぬ水の上に落ちそう涙いとどせきあへず
→四十九日が過ぎ薫はもう浮舟のことなど忘れたのだろうと思ってたのですがねぇ。
この段、紀伊守と妹尼の会話で京での薫の様子が浮舟に伝わる仕組みとなっている。
→読者としては浮舟に「この頃薫は小宰相の君にご執心で事もあろうに女一の宮にものぼせ上っているようですよ、、」と教えてあげたいところです。
人間この世から存在を忘れられるほど悲しいことはありません。
波乱万丈 紆余曲折の来し方に感傷の思いに浸る浮舟。
かろうじて手習いの和歌に慰められる・・・
そこへ薫に使える紀伊守の出現。
妹尼との会話から京の薫周辺の様子を知ることになる。
見し人は影もとまらぬ水の上に落ちそう涙いとどせきあへず
薫はまだ浮舟のことを忘れてはいない・・・
自身の一周忌のための法衣の依頼にさぞや驚いたことでしょう。
何と皮肉な展開でしょう。わが身の法衣とは!!
ありがとうございます。
自分の一周忌の法衣、、、ちょっと思いつかないうまいお話ですねぇ。源氏物語にはこういう細かい工夫が随所になされていて読者は驚かされたり、苦笑させられたり、、。実に巧みなものです。
この場限りに登場する狂言回しの紀伊守、これもうまいものですねぇ。浮舟のことは僧都が中宮に語りそれがやがて薫の耳に入る。薫のことは紀伊守が妹尼に語りこれが浮舟の耳に入る。お互いがお互いを知ることになり思いは益々複雑になっていく。どこまで続くぬかるみなんでしょう。