p18 – 22
3.若宮三歳になり、袴着の儀を行う
〈p15 この若宮が三つになられた年、〉
源氏3才、袴着(幼児→少年) ますます寵愛を受けて育つ。
→弘徽殿女御側の不安の憎しみが募る
4.更衣病む、帝に別れて退出、命果てる
〈p15 その年の夏、更衣ははっきりしない気鬱の病気になり、〉
①更衣の呼び名が「御息所」となってるのに注意
②病気になったら宮中におれない。里帰りして治さねばならない。
桐壷更衣の里は「二条院」、後源氏の居所となり紫の上とのスイートホームになる。
③早く里に迎えたい母、帰したくない桐壷帝
④ここで更衣が詠む歌=物語に初出の歌
「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」
桐壷更衣の歌はこの歌のみ。今わに残したこの歌は重要。
→ただただ生きていたいとの強い願望を表した歌
桐壷帝の返歌はないが、桐壷(9)にある「たづねゆく~~」の歌が呼応している。
⑤桐壷更衣死去の叙述は極めてあっさりしている。
「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」
他にも色々な死去の場面が語られるが総じてすごく簡単に記されている。ちょっとあっけなさすぎる気もする。
⑥言葉・用語(気がついたところをあげていきます)
「聞こえる」= 申し上げる (多用される)
「女」= 男女関係を強調する言い方、沢山出てきます
(殆ど主語が書かれてないのでテキストに自分で主語を補っていくのがいいと思います)
すでに主語はじめ段落の書き込みが増えつつあります。
病めば宮中から退出しなければならない・・・これは死や、出産同様に忌み嫌われたのでしょうか?
死はともかくおめでたい出産なのにね。
この名残りが現在でも里帰りお産としてあるのかもしれませんね。
かぎりとて別るる道の・・・先ず最初のお気に入りの和歌としてチェツク済み。
桐壺の母上の嘆き、いかばかりかと想像を次に託しましょう。
宮中は神事を行う天皇の居所なのだから、ケガレを忌み嫌ったのですね。
本によるとケガレとは死、病気、出産、月経などとのこと。。特に死。即ち絶対に死人を出してはいけない。従って死につながる惧れのあるものとして病気&出産もダメということになったのでしょう(出産は命がけであった)。
また血が嫌われたことは分かるのですが、本当に月経の女性も退出しなければならなかったのでしょうか。後宮にはそれこそ物凄い数の女性がいたわけでさぞ大変だったでしょうね(この辺さすがに源氏物語には出てきません)。
病気&出産、その度に実家に帰る。実家の経済的負担も大変→しっかりした後見がなければ后になれない、、、という訳ですね。