浮舟のまとめです。
和歌
101. 橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ
(浮舟) 物語中随一の歌では!!
102. 鐘の音の絶ゆるひびきに音をそへてわが世つきぬと君に伝へよ
(浮舟) 可哀そうな浮舟
名場面
104. 女君は、あらぬ人なりけりと思ふに、あさましういみじけれど、声をだに
(p178 匂宮、薫をよそおい浮舟の寝所へ)
105. いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて
(p216 このうき舟ぞゆくへ知られぬ)
[浮舟を終えてのブログ作成者の感想]
浮舟、楽しく読んでいただけたでしょうか。宇治に薫が匿った浮舟を匂宮が見つけ出し、契りを結び恋に酔いしれる。その秘密を薫がかぎつけ厳重警戒網を張る。東屋に続き描写が具体的で登場人物も多彩で読者に息もつかせず読ませる絶品小説だと思いました。
1.脇役としての右近・侍従&時方。いいですねぇ。しっかり者の右近と色っぽくちょっとくずれたイメージの侍従。匂宮を笠に着つつ機智とユーモアに富んだイケメン時方。紫式部も楽しんで書いてるように思います。
2.匂宮が宇治の浮舟を見つける件、薫が秘密を知る件、何れもミステリー小説タッチで読ませてくれました。宇治からの手紙を持って走り込んできた女童、宇治からの「赤い手紙」。手紙が謎解きの小道具としてうまく用いられていました。
3.匂宮と浮舟との二度に亘る官能シーン。いかがでしたか。ウブな私?にはいささか刺激が強すぎる所もありました。都に帰ることをほっぽり出して居続ける匂宮にはびっくり。そして小舟に揺られて川を渡るシーン、、。
橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ
4.浮舟の女としての位置づけが微妙ですね。匂宮にも薫にも妻にはなれない、でも時々情けを交す(共寝する)だけの召人でもない。心を通わし風流を共に語り合う愛人、、、そんな存在だろうと思うのですがそんなのってあるのでしょうか。
5.浮舟、匂宮、薫。三人が三人とも皆悪ざまな思いでなくそれぞれ真面目によかれと思ってやっている。でも事態は三人ともに不幸になるように進んでいく、オールルーズ。悲しい物語ですね。
ということで浮舟を終わり蜻蛉に入ります。浮舟はどうなったのでしょうか。。
三角関係の最たる悲劇。
浮舟が自ら死を求めて彷徨する心の過程が宇治の流れと共に時に激しく重く低く悲しく響き合ってより効果音を高めていました。
遠寺の鐘の音がいっそう哀切の情を誘い物語とは言えその結末に読者は打ちのめされる思いです。
大胆不敵な匂の宮、それに対抗する薫との間で悩み抜く浮舟の心理描写。
それぞれに個性的な脇役陣を配置し紫式部は相当の演出家でもありますね。
この三角関係、現代ならどうにでもなることでしょうがこの時代の背景を考えた時に浮舟の立場は抜き差しならない追い詰められた最後の手段としか言いようがないように思います。
古典の先生が授業中にいつも言われること。
古語の意味は勿論のこと、人物や歴史的事項、風俗、習慣、社会の仕組みなどをたえず念頭に置くこと、つまり古典を解釈すると言う事は文化コード(系)の網目模様を理解することに他ならなくその道は果てしなく遠い。
しかしそれ故に又道中、様々な発見があり楽しみがあるのです・・・と。
まさにその通りだなと感じ入りましたがその辺にまだまだ理解及ばずそれこそ道遠しです。
源氏物語を読んでいてつくづく感じる先生のお言葉です。
ありがとうございます。
浮舟、面白かったですねぇ。一気に読ませてくれました。東屋~浮舟、この二巻は何度読んでもストーリーも登場人物も素晴らしいと思います。読みどころも一杯あってコメントでの応酬も楽しくやらせていただきました。
古典の先生のおっしゃること、文化コードの網目模様、正にその通りだと思います。そして古典の中でも源氏物語は風俗、習慣、社会の仕組みなど全てが織り込まれている窮極の古典だと思っています。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
ようやく「ためいき会」の投句を終え、浮舟のまとめを拝見しています。
浮舟の帖は本当に面白く、小生が源氏物語の中で最も好きな帖です。とりわけ、匂宮が浮舟を小舟に載せて、橘の小島を見ながら対岸に渡るシーンは大好きです。このシーンは謂わば歌舞伎や文楽の道行で、絵になりますね。心細さのため、匂宮に寄りすがって抱かれる浮舟は何と可愛いのでしょう。そこで詠んだ彼女の歌、「 橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ」も素敵だし、巧みに彼女の運命を暗示していますね。
浮舟が匂宮と中将の君に別れの歌を詠む最後のシーンも大好きですが、可哀想で涙なしには読めません。歌の中では特に「鐘の音の絶ゆるひびきに音をそへて我が世つきぬと君に伝えよ」が最も哀れを誘う秀逸な辞世の歌ですね。
ちなみに、浮舟における官能シーンの描写は源氏物語の中では最も露骨であるものの、男女が絡む数ある日本の小説の描写の中では極めて上品で、多くを読者の想像力に任せた抑えた書き振りではないでしょうかというのが、小生の感想です。これは少数意見でしょうか。
いずれにせよ、「 浮舟」は最高に面白い。寂聴さんの「 やはり『宇治十帖』、ことにこの『浮舟』の帖がなくて何の源氏物語かと思われるできばえです。」という見方に諸手を挙げて賛成します。
ありがとうございます。
1.「浮舟」、読んでいて本当にいい気分です。匂宮と薫の言動を比較しつつ浮舟の心情を思いやるによくぞこんな素晴らしい物語に出会えたものだと嬉しくなります。この喜びは「浮舟」の部分だけをさらりと読んだだけでは決して得られない。五十帖苦労して読み続けてきた者だけに許される悦びじゃないでしょうか。寂聴さんの絶賛のほどがよく分かります。
2.舟に乗っての逃避行、心中道行に響く鐘の音。日本人の心を打ち続けます。
①矢切の渡し
「つれて逃げてよ、、」「ついておいでよ、、」
「見捨てないでね、、」「捨てはしない、、」
「どこへ行くのよ、、」「知らぬ土地だよ、、」
②曽根崎心中
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生の
鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽と響くなり
3.官能シーンの描き方に対するコメントその通りだと思います。浮舟との二度のシーン、何れも物語中では最も大胆に書かれていると思いますがそれでもぐっと抑えられていますよね。露骨な官能小説に馴れている現代人にはちともの足らない。現代語訳者も苦労されたと思います。でも原文はこれで十分。想像こそが官能を刺激する最たるものでしょうから。
孫が夏休みに入ったので、避暑と温泉旅行も兼ね、草津温泉に行ってきました。孫に甘いバカ爺さんですが、お陰で楽しんできました。温泉好きの小生、日本全国いろいろ巡っていますが、草津の湯は日本一と思っています。
さて、浮舟、皆さんが書いておられるとおり、ここまでの源氏物語の中で一番面白く一気に読みました。まさに、現代に小説としても十分通用する新しさがあり、脇も固めていて、これほどの恋物語にはめぐり合えない代物でした。
ここまで苦労して(勿論楽しみながらですが)古文を読んできたことがこの帖で花開いた感じです。
匂宮は、宇治十帖のはじめに想像したよりすごく情熱家で、また地位を省みない素晴らしい行動力もあり、当初は、ちと寄り付きにくい印象でしたが、好きになりました。
一方、薫はどこかで弾けてくれるものと大いに期待していましたが、最後まで(正確にはここまで)理屈家で、準備万端整えるものの、ここといったところで立ち止まってしまう、これまで恋の成就を応援してきましたが、すっきりしないまま終わりました。
この二人を見ていると、性格が自分に重なる部分も少なからずあり、人間、この二人の性格を併せ持っているように思えます。要は、どの場面で、どの性格が出るのかで、人生は決まるのでしょうか。
浮舟は、匂宮、薫双方より、身分の低い女として描かれており、玉鬘の時の玉鬘の描かれ方、養女とはいえ光源氏の受け入れ方などと、ぜんぜん違っていて、紫式部も源氏と薫で使い分けるなと興味深いものがありました。
歌では
心をばなげかざらまし命のみさだめなき世と思はましかば
(浮舟)
橘の小島のいろはかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ
(浮舟)
のちにまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心まどはで
(浮舟)
がよかったです。
源氏物語を読み始めたことと、万葉集の講座の先生が古典芸能(近世込み)好きでいつも話を講義中してくれる影響を受け、恥ずかしながら、先般生まれて初めて歌舞伎を見てきました。
新粧の歌舞伎座で、結構いい席がとれたので、お酒なども頂きながら、雰囲気も楽しんできました。
演目は、”悪太郎”(市川右近) ”修善寺物語”(中車) ”天主物語”(玉三郎、海老蔵)、会話が解らないかと心配でしたが、源氏のお陰あり、結構聞きとれました。ストーリもわかりやすい演目で、話の展開も小気味よく、なるほど古典はすごいと感激して帰ってきました。
直接のきっかけは、玉三郎がすごくきれいだといわれてみにいきましたが、そのとおり、女よりいい女でした。でも、ほかの役者を玉三郎かと勘違いしましたので、いい女形が揃っているのだなと関心しました。
ということで、また新しい扉を開けることが出来ました。
ところで、DVDを借り、アンと雪の女王を家で見ましたが、こちらは小生にはいまいちピンときませんでした。
あと、孫とディズニーランドにも行きましたので、今年の7月はこれまでになく充実した7月でした。
暑い日が続きますが、蜻蛉読んでいます。では。
コメントありがとうございます。孫と温泉と歌舞伎とデイズニーランド、それと源氏物語ですか。素晴らしい!それこそ長年の仕事を無事卒業したことへのご褒美でしょう。古典分野への興味もどんどん拡がっているようでいいですねぇ。
1.「浮舟」よかったですね。思えばハッチーさんが源氏を始められたのは昨年正月ですから1年と7ヶ月ですか。これだけの短期間で苦労が実り喜びが花開いたとは、すごいと思いますよ。
2.匂宮と薫の性格分析、興味深く読ませていただきました。身分万能の当時と現代では二人の行動への評価も自ずと違ってくるのでしょうが、どうも薫には共感できませんねぇ。ある本に「薫の君は当時の読者に圧倒的に支持されていた」と書いてあったので、えっ、そんなものなのと思ったものでした。「弾けない薫」、ハッチーさんの期待に応えられず残念です。
3.そうですね、玉鬘は源氏が心底愛した夕顔の娘とは言え父は頭の中将ですから身分的には浮舟と同様中の品程度でしょうね。宇治十帖での浮舟の扱いは玉鬘を源氏が養女にして場合によっては蛍兵部卿宮の妻にしようとも考えたのとは扱いが随分違いますね。浮舟の場合も匂宮・薫の考え方次第ではもっと上位の女性として扱えたのか、それとも土台無理だったのか、興味あるところです。
あと2ヶ月です。どうぞ楽しんでください。
ハッチーさんもご覧になったのですねえ。
特に天守物語が良かったですよね。玉三郎にうっとりしました。いつ見ても本当にいい女(女以上)です。立ち姿が大好きです。この演出をしたのも玉三郎です。海老蔵の口跡も朗々として聴きやすかったです。
古典芸能好きが増えていいな!
国立劇場にも足を運んでくださいね。
皆さん新歌舞伎座で生の舞台が鑑賞できていいですね。
羨ましいです。
当地では御園座が閉館になり私も最近は遠のいています。
もっぱらシネマ歌舞伎を楽しんでいますが生の舞台にはかないません。
先日の天守物語は歌舞伎座さよなら公演(2009年)の時のものでした。
様々な角度から舞台に迫る映像は生の舞台とは又違った感覚があります。
観客の様子なども劇中劇のようにみられること、又玉三郎自身が鏡花作品についての熱い思いや演出の苦労なども交えて語る場面も映像として撮っているのが舞台との違いです。
当分はシネマでしか楽しめませんがいつか歌舞伎座で鑑賞するのが夢です。
玉三郎も歳を重ねましたがその美しさ、妖艶さは変わらないですね。
この帖、世評、物語最高の面白さと言われているそうですが
冷静に考えると、なんともはや ひどい話です。
浮舟に対する二人の想いは、匂宮としては「ライバルの女」であり、
薫君としては「人形(身代わ)の女」であり、
二人とも、浮舟そのものに対する想い入れは見えてきません。
例えば、清々爺が「源氏物語中一番エロチックな場面と
評された場面ですが;
コト終えて、匂宮は『「 かの人のものしたまへりけむに、
かくて見えてむかし」と、思しやりて、いみじく怨みたまふ。』と
呟きます。
激しかった昨夜の”行為”も、「薫の時も、あんなに
激しかったのだろうか」と悔しがっているのです。
酷いなぁ。
でも浮舟も浮舟で 自己主張ゼロ、なんとなく浮舟の顔が
マネキンに見えてきます。
PS 式部さんのコメントに;
『源氏物語には母と子(娘)の関係が様々のケースから
描かれています。
(例:明石一族、一条の御息所と落葉の宮、玉鬘と大君、
中将の君と浮舟) 男女関係だけでなく、親子関係を
考える上にも源氏物語は大いに参考になります。』、と。
これは鋭い適格な指摘です。
男女関係の中に親子関係を混じらせると
訳が分からなくなりますが、母と子の親子関係で
縦糸と横糸を縒り合わせることで 密度の高い物語に
進化させています。
凄い作家ですね。
進乃君
ありがとうございます。
浮舟、楽しんでいただいたと思いきやひどい話でしたか。それは残念、勿体ないですねぇ。チト冷静に考え過ぎではないですか。王朝の男が恋するのは現代と違って生身の女性ではなく女性の身分であり血筋であり社会的地位だったりなのです。勿論ライバルの想い人も立派にその範疇に入ります。浮舟を大君の形代として設定し(薫にとってそもそも大君への恋も観念的ですけどね)、あやにくな恋の伝承者匂宮がライバルの想い人を争奪にかかる、、、それが浮舟への想い入れだと思うのですがいかがでしょう。
浮舟はマネキンではありません。マネキンは恋の板挟みに合って悩んだり挙句は入水自殺を企てたり(その後蘇り出家したり)しませんから。私は逆に「浮舟よ、しばらくマネキンになって自己主張を捨て流れにまかせなさい」と思ったものです。むしろ王朝の女性としては自己主張のある女性ではないでしょうか。
匂宮のコトの後のつぶやき、生々しいじゃないですか。恋(セックス)は頭でするんだということをよく分かった言い方で「紫式部ってすげえなぁ~」と思うのですが、、、。
ちょっと反論のための反論のような部分もありますが、東屋~浮舟のところはそれまでの平坦な恋物語と比べて格段によく出来ていると正直思っています。