浮舟(27・28) 薫 宇治山荘の警備を固める

p262-268
27.警固の厳重なるを聞き、浮舟の苦悩ます
 〈p109 「いえそれは。右近はどちらにお決めになっても〉

 ①右近が宇治山荘の周りの状況を浮舟に説明する。
  右近は必ずしも匂宮派ではないがさりとて薫に随いなさいと言う訳でもない。
  →薫からの手紙を盗み見した右近。見ましたよと告げて侍従ともども対処法を相談できなかったものだろうか(そんなことできれば世話ないですけどね)。

 ②この大将殿の御庄の人々といふ者はいみじき不道の者どもにて、一類この里に満ちてはべるなり。
  →薫は各地に荘園を所有しており、武力で警備・治安維持にあたらせている。宇治の一帯も薫の勢力範囲である。
  →一方の匂宮は何も持たない皇子。ひ弱いこと限りない。

 ③この内舎人といふ者のゆかりかけつつはべるなる。それが婿の右近大夫といふ者を本として、よろづのことを掟て仰せられたるななり。
  →内舎人、細かい描写でいかにも恐ろしそう。

 ④右近の恐ろしい話に浮舟はますます苦悩する。
  浮舟「心地にはいづれとも思はず、ただ夢のやうにあきれて、、、かくいみじとものも思ひ乱るれ、げによからぬことも出で来たらむ時
   「まろは、いかで死なばや、世づかず心憂かりける身かな、、、」
  →浮舟は匂宮に傾倒しているものの義理ある薫を裏切ることもできない。
  →思い窮し段々と死への思いに駆られていく。

 ⑤匂宮とのことを知らない乳母だけが能天気に薫が迎えてくれる日々を待ちつつ無邪気に振舞っている(浮舟の体調不良を心配しているものの)。

28.内舎人、薫の命により警備の強化を伝達す
 〈p112 薫の君からは、あのお手紙のお返事さえ〉

 ①殿よりは、かのありし返り事をだにのたまはで、日ごろ経ぬ。
  →薫としたことがこれはマズイ。手紙が戻されて来たことで浮舟の苦悩を思い計るべきではないか。本当に浮舟のことを想ってるなら飛んで行って「何があろうと君を手放すことはしない!」と熱く訴えるところでしょうに。

 ②このおどしし内舎人といふ者ぞ来たる。げに、いと荒々しくふつつかなるさましたる翁の、声嗄れ、さすがにけしきある、、、、
  恐ろしい土豪のボス(内舎人)が登場。薫から厳重警固するよう厳命を受けて来たと右近に伝える。
  →暴力沙汰など縁のない源氏物語で一番恐ろしい場面だろうか。「玉鬘」の大夫監も出て来たが本段の方が具体的で恐ろしい感じがする。

 ③梟の鳴かんよりも、いともの恐ろし。
  →梟は不吉な鳥。気味が悪い、ぞっとする感じである。

 ④乳母は、ほのうち聞きて、「いとうれしく仰せられたり。、、、」
  →薫が守ってくれていると聞いて安心し喜ぶ乳母。知らぬが仏であります。

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4 Responses to 浮舟(27・28) 薫 宇治山荘の警備を固める

  1. 青玉 のコメント:

    薫側の厳戒態勢に思いあぐねた浮舟の徐々に死への傾倒。
    事情を知らない乳母の対応。

    そして内舎人の登場が物騒な宇治周辺の様子浮かび上がらせます。
    薫の力に任せた命令は威圧的で物騒なことになってきましたね。

    皆の心配と緊張感をよそにこの場面、乳母だけがいかにも安心げで能天気です。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      薫が敷いた厳重警戒体制、いかにも物々しく恐ろしい感じがします。内舎人が乗り込んで来るのも怖いですねぇ。

      薫は何故ここまで厳しく言いつけたのでしょう。内舎人を呼びつけて「たいだいしきことなり、宿直にさぶらふ者どもは、その案内聞きたらん、知らではいかがさぶらふべき」と叱責するなど尋常じゃないですね。

      匂宮とのことを知って余程頭に来たのかも知れませんがこれはいただけません。「笑い者にしてくれるな」との文を送りつけ無頼の者を差し向け閉門蟄居状態にする。少しでも浮舟を労わる気持ちがあればこんなことしないと思うのですが、、、。

  2. 式部 のコメント:

    薫は恋心よりも体面を重んじる人間なのでしょうね。こういうやり方は浮舟に気の毒ですね。
     源氏物語のなかで貴族に仕えているものの、恐ろしげに武力をもつものとして武士が描かれているのは、紫式部がこれまでとは違った時代がくることを予知していたのでしょうか?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.薫は恋心よりも体面を重んじる人間、その通りだと思います。確かに何ごとも許されたお気軽な匂宮とは立場が違うのでしょうが、体面を重んじつつ浮舟へはもう少し愛情を注いで欲しいですねぇ。とにかく突き放しているのは可哀そうです。

      2.源氏物語成立を1000年とすると源平合戦はざっと150年後。ただ1050年くらいから東国で戦乱が本格的になっていきますから平安な中にも既にその兆候はあったのでしょうね。鋭い紫式部のこと、何か予感めいたものがあったとしても不思議はありません。

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