浮舟(25) 薫、浮舟に詰問状

p252-258
25.薫、匂宮の裏切りを怒り、浮舟を詰問する
 〈p101 お帰りになる道すがらも、〉

 ①薫は帰り道、匂宮と浮舟との関係につきあれこれ思いをめぐらす。
  なほいと恐ろしく隈なくおはする宮なりや、、、
  昔より隔てなくて、あやしきまでしるべして率て歩きたてまつりし身にしも、うしろめたく思しよるべしや、、

  →宇治への道は自分がつけた。中の君を仲介したのも自分だ。薫は匂宮がつくづく恨めしかったことだろう。

 ②対の御方の御事を、いみじく思ひつつ年ごろ過ぐすは、わが心の重さこよなかりけり、さるは、それは、今はじめてさまあしかるべきほどにもあらず、、、
  →匂宮との関係においては中の君を譲ったことが未だにひっかかっている。

 ③あやしくて、おはし所尋ねられたまふ日もありと聞こえきかし、さやうのことに思し乱れてそこはかとなくなやみたまふなるべし、
  →匂宮の居所が分からないと大騒ぎしてたことがあった。あの時宇治に行っていたのだ!

 ④女のいたくもの思ひたるさまなりしも、片はし心得そめたまひては、よろづ思しあはするに、いとうし。
  →この前逢った時の浮舟の物思いに沈んだ様子にも思い当たる節がある。

 ⑤ありがたきものは、人の心にもあるかな、らうたげにおほどかなりとは見えながら、色めきたる方は添ひたる人ぞかし、この宮の御具にてはいとよきあはひなり、と思ひも譲りつべく、退く心地したまへど、、、
  →いっそ浮舟を匂宮に譲ろうか、、、やはり薫は勝負弱いと言うべきか。
  →匂宮は何が何でも浮舟を手に入れるとの情熱を燃やしているのに。

 ⑥さやうに思す人こそ、一品の宮の御方に二三人参らせたまひたなれ、、 
  →飽きたら女一の宮の女房にしてしまう。確かにひどい話であるが薫の心境とて所詮は召人扱いにしようということではないのか。

 ⑦薫は浮舟に詰問の文を送りつける。
  薫 波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな
    人に笑はせたまふな

  →薫の憤懣やるかたない気持ちは分かるがこの歌と捨てゼリフは最低である。
  →所詮薫には女性を思いやろうとする気持ちが薄いのではないか。

  百人一首No.42 清原元輔(清少納言の父)
   契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは

  奥の細道 @象潟 波こえぬ契ありてやみさごの巣 (曽良)

 ⑧浮舟「所違へのやうに見えはべればなむ。あやしくなやましくて何ごとも
  →薫の文を見て浮舟は万事休すと思ったのだろうか。
  →宛先違いではございませんか。浮舟のせめてもの機転である。薫も察してやらなくっちゃ。

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2 Responses to 浮舟(25) 薫、浮舟に詰問状

  1. 青玉 のコメント:

    何かと親しく付き合い恋しい中の君までも譲ったのにこれは一体どういうことかと怒り心頭。その怒りは浮舟にまで向う・・・
    思えばここ最近の薫や浮舟の態度はいかにも思い当たることばかりである。、

    ここでの薫の心内、やはり薫の性格でしょうか。信じられないですね。
    やむごとなく思ひそめはじめし人ならばこそあらめ
    そうですか、浮舟はたったそれだけの女だったのですか。
    それならばさっさとあきらめて匂の宮に差し上げてしまいなさいよ、と言いたいですね。
    そこでまたウジウジ煮え切らない薫、これはもうどうしようもないですね。
    薫も薫なら匂の宮もまたしかり・・・

    怒りの矛先は浮舟への文。
    これは醜いです。自らを貶める行為に他なりません。
    抜き差しならぬ浮舟
    所違へのやうに見えはべればなむ。あやしくなやましくて何ごとも
    せめてこれぐらいのことは許されてもいいでしょうよ。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.王朝皇族貴族の「色好み」、これは勿論美しい女性に恋を仕掛け自分のものにしたいという真摯な気持ちなんでしょうがそれだけではつまらない。美女を見つけ美女を靡かせた自分を同世代のライバルたちに自慢し、世間から羨望のまなざしで見られたい 、、、それが正直なところではないでしょうか。

       (源氏と頭中が中の品の女性について議論し時として女性争奪戦を繰り広げたように)

       薫と匂宮も鄙にはまれな美しい宇治の姫たち(大君、中の君)に心を奪われ自分のものにしたいと働きかけてきた。この二人は(勿論身分の違いはあるが)ライバルであり友人同士、女性への働きかけもお互いを意識して協力し合ったり牽制し合ったりでやってきた。ところが今度の浮舟の件では二人は真っ向からぶつかっています(匂宮が出し抜いたのが実情だが)。ちょっと不思議ですがこの方が現実的かも知れません。

       →薫の気持ちを忖度するに匂宮への怒り反発六分、浮舟への白け二分、自分自身への蔑み二分といったところでしょうか。

      2.「末の松山波こさじ」は当時誰もが知るフレーズだった。例の貞観地震が869年、この時の津波も末の松山までは来なかった。それで古今集東歌として「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」が採られ契り合った恋人が心変わりする・しないの常套句となったということでしょう。

       恋人たちの心変わり、、、永遠の文学テーマですね。普通に生きている私にはあまりピンと来ませんが。

      薫からの手紙、二つに引き裂いて返せばよかったかもねぇ。

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