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23.中将の君来訪、弁の尼と語る 浮舟苦悩
〈p86 薫の君は四月の十日を、京へ移す日とお決めになりました。〉
①大将殿は、四月の十日となん定めたまひりける。
→薫の新邸への移住は4月10日と決まる。薫から連絡があったのだろう。
②母中将の君が宇治を訪ねてくる。乳母とともに浮舟が薫の新邸に迎え入れられることを喜ぶ。
→やっと念願がかなう。中将の君もほっとした気分であったろう。
③浮舟「けしからぬことどもの出で来て、人笑へならば、誰も誰もいかに思はん、」
→匂宮からは3月末に迎えに来ると連絡が来ている。浮舟は生きた心地がしない。
④母「などか、かく例ならず、いたく青み痩せたまへる」
→母には何故浮舟が喜んでないのか。痩せ細っているのか訳が分からない。
→「青み痩せる」匂宮もそうであった。
⑤有明の空を思ひ出づる涙のいとどとめがたきは、いとけしからぬ心かなと思ふ。
→匂宮に抱かれて川を渡った時の興奮が甦る。
→身の破滅かも知れぬが薫の所へは行きたくない。。。
⑥中将の君と弁の尼の会話
中将の君は尼の好意で薫との縁ができたことに感謝はするが、尼が大君・中の君に比べ浮舟を見下げていることに反発心を覚える。
⑦弁の尼「、、、世に知らず重々しくおはしますべかめる殿の御ありさまにて、かく尋ねきこえさせたまひしも、おぼろけならじと聞こえおきはべりにし、浮きたることにやははべりける」
→弁は薫の出生の秘密を知る唯一の人物。自分の斡旋で浮舟が薫と縁づいたのを誇らしく思ったのではないか。
⑧尼と母君、二条院で浮舟が危ない目にあったことを知っている。
浮舟が匂宮と変なことになってしまったら心配する。
→読者としては「もう変なことになってるよ!」と叫びたいところ。
⑨母君「よからぬことを引き出でたまへらましかば、すべて、身には悲しくいみじと思ひきこゆとも、また見たてまつらざらまし」
もし匂宮と変なことになったら浮舟とは母娘の縁を切る。
→この母の言葉は浮舟には辛すぎる。こんな時にこそ味方になって欲しいのにプレッシャーがかかるだけである。
⑩浮舟 なほ、わが身を失ひてばや、つひに聞きにくきことは出で来なむ
→もう死ぬしか方法がない。浮舟の悲壮な決意が語られる。
⑪先つころ、渡守が孫の童、棹さしはづして落ち入りはべりにける。すべていたづらになる人多かる水にはべり
→宇治川の急流、恐ろしさが強調される。
⑫母は浮舟を心配しつつ京へ戻る。
浮舟「心地のあしくはべるにも、見たてまつらぬがいとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしも参り来まほしくこそ」
→もうこれで母には逢えないかもしれない。もう少しいっしょにいたい。浮舟の痛切な訴えである。
→浮舟の出している切実なサインに母は何故気付かなかったのか。一番の頼りである母に頼れない、、、、。浮舟が可哀そうである。
本来なら 待ちに待った京への移住、浮舟は身の置き所がないほどに苦悩する。
何も知らない母、中将には浮舟の態度が解せないのは当然です。
母娘の心情は天と地ほどの開きです。
母も尼君も匂宮に対しては一抹の不安を抱いているようですがもうすでに事遅し・・・
ここでの両者お互いのプライド、自負がチラつきますね。
浮舟は次第に平常心を失くしつつあります。
頼みとする母の言葉は身を切られるような辛さ、浮舟の孤独感。
もう入水するしか道はない。
あたかも宇治の川音が誘う様に彼女の心に響いてくる。
浮舟危うし!!
ありがとうございます。
中将の君と浮舟の母娘関係はしっかりと書き込まれていて読者にもよく分かります。この母親、極めて現実的だし浮舟への愛情も深いしいい母親だと思います。八の宮に捨てられたものの受領の妻となって一生懸命奮闘している姿は好ましいと思います。
源氏物語は母なし子(源氏も紫の上も夕霧も)の物語ですが、母娘関係ということではこの中将の君-浮舟ともう一つは明石の方-明石の姫君-紫の上の実継母物語でした(これも大事なお話です)。
母の懐に飛び込めない浮舟が哀れですね。
源氏物語には母と子(娘)の関係が様々のケースから描かれていますね。
明石一族は一番うまくいったケースだと思われますが、それ以外は何かすっきりしないものが心に残ります。
思い返せば一条の御息所と落葉の宮との母子関係は終わり方が哀れでした。
玉鬘と大君の場合も母親が自分の分身として娘を扱ったところが不憫でした。
中将の君と浮舟の場合も、どの子供よりも愛して大切にしてきた浮舟の一番大変な時にその悩める心中を察しえなかった母というものを考えさせられました。
男女関係だけでなく、親子関係を考える上にも源氏物語は大いに参考になります。
ありがとうございます。
他の母娘関係にも触れていただきました。母が子(取り分け娘)を想う気持ちは昔も今も未来永劫変わらないのでしょう。身分が全ての当時、母は自分の出自を身をもって知ってるだけに娘にはそれを超えて幸せをつかんで欲しいと願ったことでしょう。
一条御息所の歌を思い出しました。
女郎花しをるる野辺をいづことてひと夜ばかりの宿をかりけむ
追伸 昨日徒然草展行ってきました。なかなかよかったです。また一度読み返してみようという気になりました(教訓ものとしてではなく)。徒然草の普及は江戸時代の儒教・封建思想の賜物ですね。三条西実隆が初めて徒然草に言及し北村季吟の注釈書(文段抄)も重要なものと知りました。大したもんです。
清々爺さんと式部さんの母娘論を興味深く拝読させていただきました。
母、中将が浮舟の苦悩を理解し得なかったのは当然だなんてつれないコメントをしてしまいましたがそんなものではないですね。
中将が娘の心情を察し得なかったのはそれなりの理由があったと見るべきでしょうね。
大勢の子どもの中で誰よりも浮舟を誇りに思い愛し幸福を願っていたのですものね。
親子の中でも母娘は永遠のテーマですね。
この時代の身分制度、出自を現代に当てはめるのは誤解を招くかもしれませんが母親が娘を想う気持ちは昔も今も変わらない筈です。
ちょっとした変化や仕草、感情も見逃さないのが母親です。
無条件に娘に寄り添えなかったかった母も哀れなら母に心底すがれなかった浮舟の絶望感が切ないです。
今日観てきたジブリ映画「思い出のマーニー」も苦悩する娘と母のアニメでした。