p210-218
16.薫の浮舟をしのぶ吟誦に、匂宮焦燥する
〈p63 二月の十日頃、宮中で詩を作る会が催されて、〉
①2月10日 宮中での漢詩作文会 薫と匂宮の探り合いの場である。
匂宮は催馬楽「梅が枝」を朗誦する。
②薫は浮舟を思い出してか「衣かたしき今宵もや」と口遊む。
さ筵に衣片敷きこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫(古今集 読人しらず)
→インパクトある引歌である。宮は寝たるやうにて御心騒ぐ。
→匂宮が聞き逃す筈がない。匂宮の行動に火を付ける結果となる。
③かの君も同じほどにて、いま二つ三つまさるけぢめにや、すこしねびまさる気色、
→付録p300参照 本来匂宮が薫より一つ年長。当年匂宮28才、薫27才の筈である。
④この段は薫が口遊んだ「衣かたしき今宵もや」を匂宮が聞き咎めた。それが全てである。
17.匂宮再び浮舟に忍び、対岸の家にこもる
〈p65 昨夜の薫の君の、臆面もない態度に〉
①かの人の御気色にも、いとど驚かれたまひければ、あさましうたばかりておはしましたり。
→匂宮はすぐさま行動を起す。すさまじい情熱である。
②匂宮、またしても雪をついての宇治行き。
→K24年11月大君死去の際、雪の中弔問に訪れた。あの時も情熱的だった。
③同じやうに睦ましく思いたる若き人の、心ざまも奥なからぬを語らひて、、、
→匂宮がやってくると聞いて右近は自分だけでは対応しきれないとして同僚侍従に事情(匂宮と浮舟のこと)を明かし協力を求める(嘘つきの共犯者に誘い込む)。
④時方が川向う(平等院側)の叔父の別荘を匂宮・浮舟の愛の住処として手配する。
→時方の甲斐甲斐しさ惟光に似ている。
⑤かき抱きて出でたまひぬ。右近はここの後見にとどまりて、侍従をぞ奉る。
→匂宮はお姫さま抱っこで浮舟を舟に乗せる。右近は留まり侍従がお供する。
⑥明け暮れ見出す小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるもいとらうたしと思す。
→対岸への情事行。漂う小舟に揺られ匂宮にひしと抱かれる浮舟。名場面です。
⑦匂宮「かれ見たまへ。いとはかなけれど、千年も経べき緑の深さを」とのたまひて、
年経ともかはらむものか橘の小島のさきに契る心は
女も、めづらしからむ道のやうにおぼえて、
橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ
→浮舟、巻名になり。女君の名前にもなった源氏物語を代表する歌である。
この段息もつかせぬ緊迫場面で匂宮の男っぽさ、浮舟の女っぽさが鮮やかに描かれていると思います。
(百人一首談話室に絵を投稿いただいている松風有情さんより。2015.12.11)
http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/10/KIMG0237.jpg
宮中の詩宴で薫の吟誦
さ筵に衣片敷きこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫
匂宮の嫉妬に揺れる心、ぐずぐずしてはおれない、一刻も早く宇治へ行かなければ・・・
翌朝、即行動開始。
相変わらず情熱的な宮、心はすでに宇治へ。
こうまでして逢いに来た匂宮に対し浮舟は感動、薫のことなどもうすでに眼中になかったのでは?
大概の女ならコロリと参ってしまうような宮の行動力です。
右近と女房の共謀、そして時方の工夫もあり首尾よく小舟で対岸の家に連れ出す。
乗る時も降りる時もお姫様抱っこ。いいな~憧れます・・・
浮舟って華奢で細身だったのかな~
ぽってりふくよかではお姫様抱っこは似合わない。
浮舟はもう夢見心地の心境ですべてを匂宮に任せ切ったでしょう。
何だか行動的な匂宮が男らしく思えてきたのは我ながら不思議ですね~
和歌の贈答。
この後の二人の逢瀬の濃密な情事を連想させ寂聴さんじゃないけど果てしなく想像力が掻き立てられます。
(暑い最中、泊り連チャンでゴルフに行ってました。大事な場面に返信遅れすみませんでした。追いついて行きます)
ありがとうございます。
薫のつぶやき(衣かたしき今宵もや)に敏感に反応する匂宮。おっしゃる通り薫への嫉妬が匂宮を宇治へと駆り立てたのでしょう。匂宮は浮舟が薫のものであることを自覚しており、薫が主人然と振る舞うことに焦燥感に駆られる。これって人の妻への横恋慕、即ち不倫に他なりませんよね。
源氏と頭中もライバルで女性を取り合ったり(夕顔もある意味そうだし、末摘花・源典侍も)しますが、総じておおらかで切羽詰まった感じはしません。性についてもオープンであっけらかんな感じです。一方薫と匂宮の浮舟を巡る確執はより人間的で現代にも通じる深刻な色合いを帯びています。宇治十帖が現代小説と言われる所以だと思います。
小舟で対岸へ渡るこのシーン、いいですねえ。好きな場面の一つです。
心理的には対岸に渡ってしまったら、もうあとには引き返せないということになりましょうか。
情熱的な匂宮に引きずられた感じの浮舟ですが、初めて恋をしたのでしょうね。それもまた良しだとおもいます。
「~この浮舟ぞゆくえ知られぬ」の歌がすべてを語り暗示しているようですね。
ありがとうございます。
物忌みとの口実で二日間の休みをとり宇治に馳せ参じた匂宮。宇治邸に籠るのではなく浮舟を非日常空間である対岸の隠れ家に連れ出すところがいいですねぇ。おっしゃる通り岸を渡ったらひき返せない、ある意味で観念したという気持ちになったことでしょう。
二人にとって秘密の時間を共有し絆を深め合う。現代の婚前旅行もそんな意味合いかもしれません。
源氏が夕顔を某の院に連れ出したのが想起されますね。
小生も匂宮と浮舟が小舟で対岸に渡るシーンは本当に素敵だと思います。浮舟が揺れる小舟を心細く思って、匂宮にひしと寄りすがって身動きもせずに抱かれる。匂宮は浮舟をたまらなく可愛いと感じたでしょう。
川の途中に橘の小島があるのも素晴らしい道具立てですね。その常盤木の緑に掛けて、二人が歌を詠み交わす。この歌のやり取りも素晴らしい。式部さんの指摘のとおり、浮舟の歌は彼女の心境のみならず先行きの運命を暗示する歌で、哀れを感じます。
浮舟にとっては、こんなロマンティックな体験は初めてでしょうね。この後に出てくる対岸の隠れ家における3日間の愛の交歓と併せて、浮舟は匂宮と忘れがたい思い出を共有しました。薫よりも匂宮に益々惹かれるようになるのも無理からぬところでしょう。
名場面読み解きに相応しい心理解説ありがとうございます。
狭い小舟・揺れる小舟で対岸に渡る。これがいいですねぇ。牛車で宇治橋を渡るのでは絵になりません。浮舟とはよくぞ名付けたものだと思います。
それにしても匂宮は自分に正直に浮舟に対応していますね。舟の中での浮舟はたまらなく可愛かったことでしょう。小舟で宇治川を渡る、、こんな場面を考え出した紫式部に改めて「アッパレ!」を贈りたいと思います。
(ブルーライトヨコハマ)
歩いても歩いても小舟のように
わたしはゆれてゆれてあなたの腕の中
か弱い女性が逞しい男性の腕の中でやすらぎを覚える、、、これぞ恋愛ではないでしょうか。