p202-210
15.薫、浮舟を訪れ、その大人びたことを喜ぶ
〈p56 こうしてその月も過ぎました。〉
①K27年2月 大将殿、すこしのどやかになりぬるころ、例の、忍びておはしたり。
→正月は忙しい。やっと2月になって宇治へ。その間浮舟に大変なことがあったとは知る由もない。薫は昨年11月浮舟を宇治に連れて来て以来訪れていない。
②女、いかで見えたてまつらむとすらむと、空さへ恥づかしく恐ろしきに、あながちなりし人の御ありさまうち思ひ出でらるるに、、、、
→浮舟は匂宮との先夜のことを思い出すにつけても薫に合わせる顔がない。
③先夜匂宮が浮舟に言った言葉を浮舟は思い出す。
我は、年ごろ見る人をもみな思ひかはりぬべき心地なむする。
→貴女といると中の君も六の君も忘れてしまいそうだ、、、強烈な言葉である。
④浮舟は薫の顔を見ながら薫とのこと匂宮とのことに思い悩む
この辺り文脈が複雑で分かりにくい。浮舟の苦悩をそのまま表している感じがする。
脚注17も言っているが薫を評するには客観的に(冷静に)匂宮を評するには主観的に(情熱的に)語られている。浮舟の心は既に匂宮にあって薫にはない。
薫評 いとあはれと人の思ひぬべきさまをしめたまへる人柄なり
匂宮評 あやしう、うつし心もなう思し焦らるる人をあはれと思ふ
⑤薫 「造らする所、やうやうよろしうしなしてけり。、、、この春のほどに、さりぬべくは渡してむ」
→薫は浮舟をほったらかしにして呑気すぎると作者も読者も批難口調であるが、普通に考えればこんなペースではなかろうか。文は出しているし新居も着々と用意している。真面目で堅実な後見ぶりだと思うのだが、、、。
→浮舟と匂宮がこんなことになっているとは、、、。ちょっと薫が可哀そう。
⑥朔日ごろの夕月夜に、すこし端近く臥してながめ出だしたまへり。男は、過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は、今より添ひたる身のうさを嘆き加へて、かたみにもの思はし。
→脚注3 並んで月を眺める二人。普通ならお互いのことを想い合う所だが二人の想いは違っている。
→薫は浮舟を通して大君のことを、浮舟は薫よりも匂宮のことに想いを馳せている。
→匂宮が来たのは1週間くらい前だろうか。事態は恐ろしく変わったものである。
⑦薫 宇治橋の長きちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな
浮舟 絶え間のみ世にはあやふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや
→何とも空しい感じの歌の応酬である。
⑧薫 いとようも大人びたりつるかなと、心苦しく思し出づることありしにまさりけり。
→浮舟は以前に増して色っぽくなっている。薫はしてやったりとほくそ笑む。知らぬが仏である。
11月から翌年2月とはやはり長過ぎますね。
いくら文のやり取りがあったとはいえ待つ身の女性にとっては毎日でも逢いたいはず・・・
大事な女性であれば尚更のこと、ここまで放っておくことは考えられない。
その隙を縫った匂宮に心変わりされたとしてもこれは自業自得かな?
薫にとっては酷な言い方ですが。
ひたすら積極的、情熱的に行動した匂宮に軍配有りかな思います。
久しぶりの逢瀬、本来なら喜ぶべき日が浮舟にとっては針のむしろ。
心と身体はすでに匂宮へ・・・
理性と感情は別のもの。理性では解っていても感情の動きには抗えない。
浮舟の苦悩、これは不可抗力、言ってみれば災難とでもいえるもの。
浮舟が自ら望んだことでなし彼女に罪はないもののやはり辛い。
同じ月を眺めながら心の擦れ違い。
何も知らないお人良しの薫が匂宮によって開花された浮舟の女らしさを喜ぶ姿は気の毒としか言いようがありません。
二人の和歌も宇治橋を題材に何やら危ういものですね。
いつもながら的確なるコメントありがとうございます。
そうですねぇ、軍配は匂宮でしょうね。物言いでもつけたい所ですが無理ですかね。
久しぶりに宇治を訪れた薫、浮舟とは当然濃密な夜を過しに来たのでしょう。ただその辺が何も書かれていない。匂宮との閨の様子はあれだけ官能的に書かれているのに。
心苦しければ、常よりも心とどめて語らひたまふ(p206)
涙ともすれば出で立つを、慰めかねたまひつつ(p208)
真面目な薫のこと、長らく来れなかった言い訳をくどくど事務的官僚的な口調でいい聞かせたのでしょう。そんなのって浮舟の心に響かないでしょうに。やはりここは浮舟をひしと抱きしめ「I love you」と囁きながら愛撫し続ける、、、、そうでなくっちゃねぇ。
→薫には軍師が必要でしたね。。