東屋のまとめです。
和歌
99.ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬところと思はましかば
(浮舟) 最後のヒロイン浮舟の初歌
100.さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそぎかな
(薫) 大君代、中の君代、浮舟を
名場面
102. 扇を持たせながらとらへためひて、「誰ぞ。名のりこそゆかしけれ」とのたまふに
(p80 匂宮、浮舟をとらえる)
103. 「佐野のわかりに家もあらなくに」など口ずさびて、里びたる簾子の端つ方にゐたまへり
(p126 薫、三条隠れ家で浮舟と契る)
[東屋を終えてのブログ作成者の感想]
東屋を終えました。いかがでしたか。八の宮・大君・中の君との何だか重っ苦しい話からガラッと変り軽めで小気味いい浮舟物語が始まりました。
東国育ちの中の品の女性、浮舟。八の宮に認知はされなかったもののれっきとした落し胤で大君に生き写しの美女。この美女が薫と匂宮に絡んでいく、面白くない筈がありません。
新しい主役(浮舟)の登場もさることながら脇役として登場する面々が実に面白く活き活きと書かれているのに感心してしまいます。浮舟の母=中将の君、その夫=常陸介、浮舟の婿候補=左近少将、口達者な仲人、ガマの様相の浮舟の乳母。物語の筋立てもさることながらこれら登場人物の思いざまと会話がリアルに語られ作者のアイロニカルタッチの描写と相俟って人々の喜怒哀楽がヒシヒシと伝わってくる感じです。
浮舟、、、いい女性ですねぇ。私は夕顔、玉鬘に繋がる男好きのする儚げの女性をイメージしています。読者(男性でも女性でも)は自由に自分のイメージに合った浮舟を作りだせばいいのだと思います。まだ浮舟の心内は詳しく語られていませんが薫の隠し女となった今不安が八分、期待が二分といったところでしょうか。
これまでは「すぐ行動に移す匂宮」と「石橋をたたいても渡らない薫」で終始してきましたが本帖ではちょっと違うんですね。匂宮はすぐ行動に移したものの思いは成し遂げられず(浮舟に迫ったが未遂)、一方薫は雨のそぼ降る三条の隠れ家でやっと石橋を渡りました。コメンテーター各位からも賞賛の拍手が送られています。
さて、浮舟を廻る薫と匂宮のバトル、どう展開するのでしょう。薫の逃げ切りか匂宮の巻き返しか。次帖「浮舟」は源氏物語中一番面白い巻とも言われています。どうぞご期待ください。
「東屋」終わりましたね。
登場人物が次々と、しかもユニークで我々現代の庶民にも親しめ共感できる人物が多々でした。
物語の筋のテンポも早く軽やかに進展しましたね。
この巻の人物の考えや行動も割合と普通で何処にでもいるようなのが面白かったです。
最後のヒロインは大君似の美しい女性、浮舟。
まだ表面的にしか浮舟については見えてこないのですが今後の成り行きが楽しみです。
どのような考えをし、どんな行動を取るのかとても興味があります。
男性の好む女性像と女性の好む女性像は少し異質なものがあると思うのですがどうでしょう?
逆に女性が好む男性像と男性が好む男性像の方が一致する点が多いのではないかと思うのは私だけでしょうか?
その辺の所も考えながら読んでいければと思います。
その名もズバリ「浮舟」クライマックスですね。期待しましょう!!
ありがとうございます。
東屋、期待に違わず面白かったですね。いつもながら場面場面に即しての含蓄深いコメント本当にありがたいです。
「男性の好む女性像と女性の好む女性像」vs「女性が好む男性像と男性が好む男性像」ですか。成程面白い観点ですね。芸能週刊誌なんかにもよく載ってますね(広告だけで読んだことありませんが)。
異性を見る目と同性を見る目、違いますねぇ。
一般論はさておき私の場合は女性を見る目となるとどうしても自分に(伴侶・パートナーとして)合っているか、いっしょにいて居心地がいいかどうかという観点で考えてしまいます。世間的にいくら評価の高い女性でも「こりゃ合わないな」と思えばそれ以上にはなりません。男性の場合はいっしょに暮らす訳ではないので生き方や考え方が違っても万事客観的に評価できます。その上に若干好き嫌いが入ってくるという順番でしょうか。
(私が浮舟を見る目もそんな観点からであります)
あと3カ月。青玉和歌集も4首だけになりましたね。どうぞ最後までよろしくお付き合いお願いいたします。
皆さん仰るとおり、小生もスーッと止まることも少なく、楽しく読み終えました。物語の展開が早いのと清々爺も挙げている脇役連中がいい味わいを出しているためでしょう。
あと、P128の薫と浮舟の契る場面、原文では実事の記載がなく、また脚注でも全く説明がなく、清々爺の解説がないと、この場面を読んでもピントきませんでした。その後の物語の展開を読んでいけば、自ずと明白になりましたが、”薫 どうした,頑張れ”と応援してきた小生には、ここでもう少し成り行きを匂わせて欲しかったと思います。紫式部さん、いかがですか。
当時は、女は、中の品の女性が、抱きたいと思う、かわいい女のようですね。
薫は、上の品の女性には極めて慎重ですが、中の品となると積極的になる、あるいは見下している傾向が極端に見えますが、当時の平安上級貴族の世界観でもあるようですね。ここらあたりが、薫を好きになりきれないところですかね。
浮舟、一番面白い帖とのこと、すこし読み始めていますが、楽しみです。
歌では、清々爺が掲げている歌が小生にもよかったです。備忘録として再掲載させていただきます。
ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬところと思はましかば
(浮舟)
さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそぎかな
(薫)
青玉さんの歌もすばらしかったです。
雨そぼる葎茂れる東屋に
風吹き入りて薫り立つらし
ありがとうございます。
雨のそぼ降る東屋での一夜、もう少し味わい深く書いて欲しかったですよねぇ。何せ浮舟のロストバージンのシーンですから。何故紫式部はかくもあっさり省筆したのでしょう。冷静・客観的・秀才・慎重・穏当・一般常識的な薫に対しては官能場面での感情移入ができなかったのかもしれません。結局最後まで紫式部は薫の濡れ場シーンを描き出していません。
薫と匂宮、女性に対する一途さひたむきさでは勝負ありかも知れませんが、総合的な生活力・世渡り力という点では薫に敵う人はありますまい。よくぞ対照的な二人を配し浮舟物語を紡ぎ出したものだと感じ入っています。
浮舟、楽しんで読み進めましょう。
薫! やったじゃない!
清々爺は (他の方も同感のようです);
「いつもウジウジの薫が大胆に一挙に行動に出るのは
浮舟の出自身分からでしょう。」、と。
そうかなぁ?
式部さん/清々爺のやりとりで催馬楽「東屋」が紹介されていますが
何度も読み返すと、その小気味な素朴さと言うか品の良い
荒っぽさ(清々爺の弁を借りるとワイルドさ)が漂っています。
薫も 浮舟の醸し出す東国の雰囲気に
流されたんじゃないかなと思ったりもします。
東屋の 真屋のあまりの その雨そそぎ
我立ち濡れぬ 殿戸開かせ
鎹(かすがい)も 錠(とざし)もあらばこそ
その殿戸 我鎖(さ)め おし開いて来ませ 我や人妻
女性に対しては失礼になりますが、男が女を見下ろすと
恋愛に余裕が出来、たちまち、情愛の世界に変じるのは
貴族社会でも同じだと思います。
情愛と言えば、薫と浮舟の宇治への道行きのシーンなどは、
今迄の 式部の筆致とは思えぬ色っぽさが出てきました。
「うち眺めて寄りゐたまへる袖の、 重なりながら
長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、
御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、
落としがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。」
これは まるで浄瑠璃の道行きの描写です。
次帖で浮舟が どのように 振る舞うか 楽しみでもあり
その結末だけは知っているだけに 辛い気持ちにもなります。
以上
ありがとうございます。しっかりフォローされてますねぇ。素晴らしい。
浮舟の醸し出す東国の雰囲気ですか。まあ確かに京生まれ京育ちの姫君たちと比べれば浮舟は常陸にいましたから東国の匂いはあったのかも知れません。でも催馬楽「東屋」で謳われるワイルドさはむしろ浮舟には似合わないのではないかと思うのですが。。。
おっしゃるように薫は相当上から目線で浮舟を見下しコトを運んでますね。荒々しく(雄々しく)振舞う男に対し 嫋嫋と(女々しく)従う女の構図でしょうか。
薫が浮舟を宇治に連れ出すシーンがよかったですか。なるほど。男が女を労わりつつ恋の逃避行に赴く。行きつく先ではどんな運命が待ち受けているのか、、、。浄瑠璃の道行ですね。でもこの時の二人の気持ちはウキウキした気分ではなかったにせよそんなに悲観もしてないように思うのですがいかがでしょう。