東屋(44・45) 宇治での浮舟

p139-143
44.薫、琴を調べ、浮舟に教え語らう
 〈p291 ここに以前からあった琴や筝の琴を取り出させて、〉

 ①ここにありける琴、筝の琴召し出でて、かかること、はた、ましてえせじかしと口惜しければ、、
  →田舎育ちの浮舟、風流事はできないのだろうか、、。源氏が玉鬘を試した時に似ている。

 ②薫「昔、誰も誰もおはせし世に、ここに生ひ出でたまへらましかば、いますこしあはれはまさりなまし」
  →そんなこと言われても浮舟としては慰められようがない。

 ③薫「あはれ、わがつまといふ琴は、さりとも手ならしたまひけん」
  浮舟「その大和言葉だに、つきなくならひにければ、ましてこれは」
  →源氏が玉鬘を試した時、紫の上に和歌や楽器を教えようとした時が思い出される。
  →田舎にあっても最低の風流事は心得ておらねばならない。その点明石の君は勿論、玉鬘も合格であった。さて、浮舟は?

 ④薫「楚王の台の上の夜の琴の声~」と誦じたまへるも、
  →ここでこんな難しい漢詩を持ち出すのはいかがなものか。教養をひけらかしているとしか思えないが、、、。(薫もそうだが紫式部も)

45.弁の尼の贈歌 薫、和して感慨を託す
 〈p293 弁の尼のところから、〉

 ①弁 やどり木は色かはりぬる秋なれどむかしおぼえて澄める月かな
  薫 里の名もむかしながらに見し人のおもがはりせるねやの月かげ
  →八の宮山荘は建て替わりそこに住む女君も変ってしまったが九月十三日の月の光は変わらない。弁と薫は二人して亡き八の宮、大君に想いをはせる。

 これで「東屋」は終わり次「浮舟」に移ります。けっこうテンポも早いし読み易いのではと思います。浮舟の運命やいかに。お楽しみに。

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6 Responses to 東屋(44・45) 宇治での浮舟

  1. 青玉 のコメント:

    自分の経歴を恥じている東国育ちの浮舟にとって薫の態度は少々侮辱的で酷ですね。
    源氏が若紫や玉蔓を教育しようとした時はもう少し労わりと慈しみがあったような気がするのですが?

    尼君の贈歌は前巻「宿木」での唱和を思い起こさせます。
    お互いが八の宮、大君を偲び宇治の夜は更けてゆく・・・
    いよいよ次は「浮舟」楽しみです。

         雨そぼる葎茂れる東屋に
           風吹き入りて薫り立つらし

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.浮舟に対する薫の態度、読者としてはおっしゃる通り源氏と比べて薄情だなあと思いますね。これも紫式部のワザのなせる所でしょうか。

      でも冷静に考えてみると薫とて浮舟に殊更冷たく当たっているわけでもなくまあ普通だと思うのですが。言葉は難しい。「吾妻琴くらいは弾いたのでしょう」と言うのも優しく労わりを込めて言うのと冷たく言い放すのとでは相手に伝わる感情は全く違いますから。

       →「薫は冷たい男だ」との意識が読者には刷り込まれてしまっているように思います(私もそうですが)。

      2.「東屋」の歌、「風吹き入りて薫り立つらし」、、、よくぞこんな文句浮かんできますねぇ。感心しています。青玉和歌集の中でも出色の一首ではないでしょうか。

  2. 式部 のコメント:

    源氏物語ではありませんが、7月21日までサントリー美術館で「徒然草~美術で楽しむ古典文学」の催しがあります。
    今日、観てきました。伊勢物語の伊勢絵や源氏物語の源氏絵はよく知られていますが、徒然絵は馴染みがなく、興味深かったです。絵巻や屏風絵、写本、やはり嫁入り道具にもありました。
    よく知っている章段は絵を観てすぐに内容がわかって面白かったです。
    お時間があればお出かけください。それほど混雑していませんでした。

    • 清々爺 のコメント:

      ご紹介ありがとうございます。面白そうですね。行ってみたいと思っています。徒然草、ざっとしか読んでないので少し勉強して行かなくっちゃね。見どころポイント教えて下さいね。

  3. 青黄の宮 のコメント:

    東屋はこれで終わりですね。これまでうじうじと逡巡するばかりだった薫が浮舟の隠れ家に突然忍び入って浮舟と一夜を共にし、翌朝には浮舟を抱き上げて車に載せ宇治に連れ去るという思い切った動きを見せました。匂宮役の小生としても、「おっ、薫もなかなかやるじゃないか。男はこうでなくっちゃ。」と高く評価したいと思います。

    でも、浮舟は可憐で十二分に美しいのに、彼女を大君の型代として見るのは良くない。さらに、浮舟を「あんたは常陸の田舎育ちだから音楽の素養はないだろう」という傲慢な態度で見下すのも不愉快で浮舟が可哀想。薫が総じて浮舟を見下してぞんざいに扱うのは、東屋[34]に説明があった「器量も人柄の良し悪しも品格の程も全て生まれつきの身分で決まる」という平安時代の考え方に囚われているからでしょうか。

    他方、匂宮はこれだと思った女性には生まれつきの身分にかかわらず、等しく積極的に愛しようとする。その理由として、小生は「匂宮のような皇子で将来は東宮や帝にもなるかもしれない最高の生まれつきの人物からみれば、生まれつきの身分が自分より高い人間はいないのだから、自然と全ての人に等しく接することになり、中の君、六の君、浮舟を差別感なく愛することになる」という仮説を考えつきましたが、どうでしょうか?

    いずれにせよ、ようやく薫もリングに上がり、浮舟を巡って、匂宮と一戦を交える用意が整いました。次の展開が楽しみです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      薫も漸く少しは評価されたようでホッとしています。それにしても余裕のコメントですねぇ。

      薫と匂宮の女性に対する考え方の相違、よくぞ言ってくれました。私も青黄の宮さんのご高説に全面的に賛成です。光源氏も臣籍降下したとは言え、周りの扱いは皇子並みで自分自身もそう自覚していたのでしょう。時には兄朱雀帝をも見下ろしたような感じすらします。

      源氏や匂宮にとっては全ての女性が身分的に下なのだから女性評価の項目に「身分が自分より高いか低いか」というのはなかった。だから自分に正直な評価ができたということでしょうか。
       
      (そういう源氏も晩年で皇女女三の宮を妻にすることになり苦悩を招く、、、これが源氏物語第二部なんですが)

      さて匂宮と薫とがリングに上ったようで「浮舟争奪戦」壮絶なバトルのゴングです。正々堂々全力を尽くして戦って欲しいと思います。応援の程よろしくお願いします。

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