p122-128
38.弁の尼、京に出て浮舟の隠れ家を訪れる
〈p277 薫の君は、弁の尼君とお約束された日の、〉
①薫は弁の尼に車を遣わし浮舟の三条隠れ家へと連れ出す。
薫「庄の者どもの田舎びたる召し出でつつ、つけよ」
→あくまで田舎者風を装い仮にも正体がばれないよう注意する。用意周到。
②弁もそこまで言われては仕方なし、
いとつつましく苦しけれど、うちけさうじつくろひて乗りぬ。
→久しぶりの京、まあまんざらでもなかったのでは。
③浮舟と乳母、弁に応対。薫のことで来たことが分かる。
にはかにかく思したばかるらんとは思ひもよらず。
→薫がコトを遂げようとやって来ようとは想像だにしていない。
39.薫、隠れ家を訪問、浮舟と一夜を語らう
〈p279 その宵が過ぎた頃に、「宇治から人が参りました」〉
国宝源氏物語絵巻 東屋(二)の場面です。
①宵うち過ぐるほどに、宇治より人参れりとて、門忍びやかにうちたたく。
→何故薫が来たと堂々と入って来れないのだろう。世間体を憚ってか。
②雨と風
言ひ知らずかをり来れば、かうなりけりと、誰も誰も心ときめきしぬべき御けはひをかしければ、
→薫が来た。女房たちは色めき立つ。
③乳母が心配して母の所へご注進しようとする。それを制する弁。
→この乳母、さながら浮舟を守るゴールキーパーである。
→弁がうまく言い繕う。弁を連れてきてよかった。
④薫 佐野のわたりに家もあらなくに
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに(万葉集)
→狭野は和歌山県新宮市
薫 さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそきかな 代表歌
→催馬楽 東屋 雨の日に人妻の家を。(浮舟は人妻ではないが、、)
→紫式部はこの催馬楽を頭に浮かべてストーリーを作っていったのではなかろうか。
⑤こう押し入られては部屋に入れない訳にはいかない。
薫は珍しくストレートに浮舟に訴えかける。
「おぼえなきもののはさまより見しより、すずろに恋しきこと。さるべきにやあらむ、あやしきまでぞ思ひきこゆる」
→これまでの優柔不断な薫とはうって異なる。何が彼をそうさせたのか。
⑥人のさまいとらうたげにおほどきたれば、見劣りもせず、いとあはれと思しけり。
→浮舟の様子は薫の期待を裏切らなかった。
⑦そして例によってその夜のことは省筆。
39段 見出しに「薫、隠れ家を訪問、浮舟と一夜を語らう」とあるが一晩中何もせず語り合っただけなんてあり得ない。ここはあっさり実事ありの場面である。そのことが大事なのに脚注にも書いてない。脚注まで省筆することもなかろうに。
→大君、中の君にはあれだけ迫りながらついに手出ししなかった(できなかった)薫が何故ここでは浮舟とあっさりコトに及んだのか。
→浮舟を大君、中の君と同列の姫とは思わなかったからであろう。
この辺薫の心内をじっくり議論したいと思っています。
先ずは手始めに弁を宇治から京へ。
そして宵うち過ぐるほどに、いよいよ薫のお出まし・・・ドキドキ
お忍びでの来訪ということでしょうか?
今回の薫、いやに積極的な態度に驚きます。
今までの薫とは打って変わった様子です。
人のさまいとらうたげにおほどきたれば、見劣りもせず、いとあはれと思しけり
事の次第は詳しくは書かれてはいませんが期待を裏切らなかったという事は首尾よく思いを遂げられたとみてよいのでしょうね。
初めての薫のストレートな行動に読者としてはもう少し念入りで感動的な表現を期待していました。
意外と淡々としているのには少々肩透かしでを食らった気分です。
ここでの薫の行動の背景のあるのは大君や中の君とは一線を画していたということでしょうね。
薫の傲慢さ、浮舟を一段格下に見る気の置けなさからからきたものではないでしょうか?
ありがとうございます。
国宝源氏物語絵巻 東屋(二)のこの場面、源氏物語中でも屈指の名場面でしょう。華やかな表の舞台とは異なり下町のうらさびれた屋敷、雨がそぼ降る宵。稀代の貴公子薫がお忍びで薄幸の女性の元を訪れる。当時の女性読者は胸をときめかせたことでしょうね(菅原孝標娘のように)。
いつもウジウジの薫が大胆に一挙に行動に出るのは浮舟の出自身分からでしょう。中の君に紹介された中の君の異腹の妹ではあるものの八の宮に認知された娘ではない。薫は浮舟を大君・中の君とは比較にならない身分劣後の女性と位置付けていたのでしょう。
そして行動に移した。その結果、、、人のさまいとらうたげにおほどきたれば、見劣りもせず、いとあはれと思しけり、、、大君の面影を残す浮舟の素晴らしさ(肉体的な面もあったのかも)に目を見張り虜になった。「身分で侮っていたがもうこれは手放せない。オレのものだ」と心に誓ったのだと思います。
この部分は催馬楽「東屋」の世界が物語を覆っていますね。土着の催馬楽の内容に触発されて冷静沈着な薫も積極的に行動できたのかもしれません。
ここではまだ浮舟は「人妻」ではありませんが、少し先走りますと、匂宮が宇治へ行く場面ではまさにこの「人妻」が効いてまいります。
どんな三角関係になっていくのでしょうね。
薫は浮舟の出自(八の宮に認知されなかったこと、母親が召人だったこと)の軽さから、なんとなく召人を相手にするような気楽さから、ここでは珍しく積極的に行動に移せたのだと思います。
催馬楽「東屋」をもう一度読んでみると、源氏物語のストーリー展開、なるほどと納得できますね。
ありがとうございます。
催馬楽「東屋」(ネットからのコピペです)
東屋の 真屋のあまりの その雨そそぎ 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ
鎹(かすがい)も 錠(とざし)もあらばこそ その殿戸
我鎖(さ)め おし開いて来ませ 我や人妻
東屋、紅葉賀の源典侍の時にも引かれていますが本段は催馬楽「東屋」そのものですね。浮舟と薫・匂宮との三角関係。匂宮にとっては浮舟は薫の人妻、薫にとっては浮舟は(匂宮と契ったことを知ってからは)匂宮の人妻。お互いがお互いの妻を奪い合う、、、そんな三角関係。面白くなっていきますねぇ。
(東屋=東国という意味合いも感じられて浮舟にぴったりです)
今日のカルチャー教室、建礼門院右京大夫集での授業のことです。
題詠歌群の内の恋の歌51の和歌です。
催馬楽に寄する歌(詞書)
見し人はかれがれになる東屋にしげりのみするわすれ草かな
注釈
かつて逢瀬を重ねた人はまるで疎遠になってしまって東屋に忘れ草が生い茂るように忘れてゆくばかり。
枯れ枯れ、離れ離れ(かれがれ)は懸詞
忘れ草は萱草で「詩経集伝」に「萱草合歓、食之令人忘憂者」とあり転じてこの歌のように「人を忘れる草」にも用いられる。
この和歌は「稲荷社歌合、寄催馬楽恋」として「夫記和歌抄」雑十八に入集とありました。
これを学んで催馬楽「東屋」を思い出した次第です。
それと同時にhodakaさんの6月24日付「橙色の花」の萱草も同時に浮かび「万葉の時代から詠み込まれていて、憂きことを忘れさせてくれる草」というのに納得の思いでした。
ありがとうございます。建礼門院右京大夫集ですか、すごい世界ですね。素晴らしい!
建礼門院右京大夫の平安末期、源氏物語の「東屋」が有名で読まれていたかは疑問ですが、催馬楽の「東屋」は誰しも知ってる有名な歌だったのでしょう。そんな「東屋」を題材に歌を詠む、高尚な知的遊戯ですねぇ。
東屋=人妻=ゆきづりの恋、のイメージでしょうか。
(因みに「忘れ草」が源氏に出てくるのは須磨p58と宿木p92と来月の浮舟29.p269です。結構引用されています)