p112-122
35.浮舟隠れ家で思い沈む 中将の君と贈答
〈p269 三条の仮の住まいの暮しは所在なくて、〉
①三条の隠れ家にて思い沈む浮舟
旅の宿はつれづれにて、庭の草もいぶせき心地するに、賤しき東国声したる者どもばかりのみ出入り、慰めに見るべき前栽の花もなし。
→隠れ家の様子が簡潔に語られる。二条院とはうって変ったワイルドな世界である。
②あやにくだちたまへりし人の御けはひも、さすがに思ひ出でられて、何ごとにかありけむ、いと多くあはれげにのたまひしかな、、、、
→匂宮のことを思い出す浮舟。ここでは恐ろしい思いが甦ったということか。
③中将の君との歌の贈答
浮舟 ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬところと思はましかば 代表歌
→浮舟の最初の歌。「ひたぶるに」が浮舟らしくていい。
中将の君 うき世にはあらぬところをもとめても君がさかりを見るよしもがな
→この母の浮舟を想う心も「ひたぶる」である。
36.薫、宇治を訪れ、新造の御堂を見る
〈p271 あの薫の大将は、例によって、〉
①かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ、ならひにしことなれば、、、
→秋深まると薫は必ず宇治へ出向く。こういうリピート性がいい。
②宇治の御堂作りはてつ
こぼちし寝殿、こたみはいとはればれしう造りなしたり
→八の宮山荘は取り壊しその木材で阿闍梨の山寺に御堂を作り、取り壊した寝殿の後に新しく建物を建てた。薫が指図して造ったもの故さぞ豪華なものだったのではないか。
37.薫、弁の尼に浮舟への仲介を頼んで帰京
〈p272 薫の君は遣水のほとりの岩に腰をかけられて、〉
①薫 絶えはてぬ清水になどかなき人のおもかげをだにとどめざりけん
→湧き流れる清水につけて八の宮を偲ぶ。
脚注14 大宮を偲ぶ夕霧と雲居雁の歌も同様の発想(藤裏葉p266)
夕霧 なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくへは知るや宿の真清水
雲居雁 なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水
②薫「かの人は、先つころ宮にと聞きいしを、さすがにうひうひしくおぼえてこそ、訪れ寄らね。なほこれより伝へはてたまへ」
→浮舟が二条院よりいなくなった、、、薫が宇治に来たのは弁にそれを尋ねるためでもあったのか。
③弁「、、このごろもあやしき小家に隠ろへものしたまふめるも心苦しく、、、」
→三条の小家にいた。薫は嬉しかったことだろう。
④薫「さらば、その心やすからん所に消息したまへ」
→二条院、中の君の所に匿われているとなると気楽に行けないが三条の小家なら何憚ることなく浮舟に逢いに行ける。慎重な薫に持ってこいの場所である。
⑤「なおよきをりななるを」と例ならず強ひて、「明後日ばかり車奉らん。その旅の所尋ねおきたまへ」
→絶好のチャンス。弁を強引に動員して三条に押しかけようとする薫。
→弁の助けを借りようとしているところが慎重派の薫たらんところか。
⑥伊賀たうめ =好んで人の仲立ちをして歩く女
→何故伊賀なんだろう?
⑦下草のをかしき花ども、紅葉など折らせたまひて、宮に御覧ぜさせたまふ
→正妻女二の宮に気を遣う薫
→夫婦間がうまくいってない感じは源氏と葵の上との関係と同じようなものか。
母娘互いの真情を吐露している和歌が哀れを誘います。
浮舟の「つれづれは何か。心安くてなむ」の言葉がせつなく感じます。
粗末な隠れ家で浮舟はやはりわが身の不幸せを嘆いたのが正直なところではないでしょうか?
お互い母娘を思いやっての和歌と解すべきでしょうね。
一方宇治の薫、新造なった御堂を前にやはり憂いの思いは深まるばかりです。
新築の晴々しさがかえって憂愁を誘うようです。
そう言えば宇治には過去やこの場面でも秋が似合いますね。
そして薫も季節に例えれば秋の人ですね。
(私たちの源氏旅も秋の宇治がよろしいようで・・・それともいっそのこと都の華やかさを?)
相変わらず自らは動かず弁への仲介ですか?
常陸介ふぜいの娘に表立ってはまずいと言うことでしょうか・・・
浮舟が三条の小家に移ったと言う事は又とないチャンスに思えますがね~
目と鼻の先じゃないですか。
伊賀たうめ・・・伊賀市と何か関係あるのでしょうか?
面白い言葉ですね。
薫、女二の宮とは心が通い合っていないように見受けられますね。
それでもちゃんと手土産は忘れない・・・薫の優しさです。
「宿木」の時は中の君へ蔦の紅葉でしたね。
「下草のをかしき花ども、紅葉など折らせたまひて、宮に御覧ぜさせたまふ」
ありがとうございます。いよいよ浮舟物語も面白い所にさしかかってきました。いつもながら物語の流れを簡潔にまとめていただきありがたいです。
二条院に居た浮舟がいつしか二条院から消えた。、、、薫はどう思ったのでしょうか。折角中の君が勧めてくれたのにウジウジして行動に移さなかった薫(浮舟20)、今さら中の君に「浮舟はどうしたの?」と聞くのもプライドが許さない。どうしたもんか、、、と思案中に「そうだ宇治へ行って弁の尼に聞いてみよう」と思いついたのかも知れません。
弁に聞いてみると三条の隠れ家に居ると言う。薫はしてやったりと思ったことでしょう。隠れ家なら忍んで逢いにいくのに何ら支障はない。念には念を入れて弁に先鞭をつけさせておく。薫らしいやり方です。
→それにしても薫にとって弁の尼は正に「ありがたいお人」であります。
(晩秋の宇治、源氏物語の象徴だと思います。宇治十帖に浸っていると宇治に行きたいなあと思ってきます。当然第一候補でしょう)
奥の細道関連の情報が一つ
先週、朝TVを見ていたら偶然以下番組を発見、皆さんご存知かもしれませんが、参考まで。5分番組ゆえ、番組表では発見しづらい番組です。
小生は明日以降見ようと思っています。
NHK BSプレミアム
毎日 07:10-07:15
新日本風土記スペシャル 日めくり奥の細道
俳句を創ったかにかかわらず、芭蕉が旅の途中泊まった場所を毎日紹介するもの。
今朝は塩釜でした。明日は松島。
ありがとうございます。知りませんでした。
早速見ました。いいじゃないですか。元禄2年の旧暦を新暦に読み替えて日めくり的に滞在各地の様子が紹介されるのですね。私がいつも思っている「奥の細道は芭蕉が行った季節に読むべき」にピッタリです。
毎日録画して見るようにします。
(NHK第二の古典講読の奥の細道はマクラの俳諧論がちょっと鬱陶しく感じています)
「伊賀たうめ」、よくわからなかったので少し調べてみました。
たうめ(專女)とは ①老女 ②老狐 のこと
万水一露(書物)には「伊賀・伊勢のことわざに、仲だちを、たうめと言ふと云々」とあるようです。(原典にあたってチェックしたわけではありません)
要するに、仲人口を聞いて、人をたばかるものを、狐が人をだますのに譬えて言ったようです。
「女」というのが少々ひっかかりますねえ。
「東屋」の⑧段にでてくる、思わず読者が笑ってしまう口のうまい仲人は確か「男」でしたよね。 とりあえずこれを「常陸專男」と名付けましょうか?
興味深い所調べていただきました。ありがとうございます。
よく分かりました。伊賀に伊勢も入っているのですか、面白い。弁の尼がはっきり「今さら伊賀たうめになんて、、」と口に出しているのですから常識的な慣用語だったのでしょうね。別に伊賀・伊勢に限ったことではないと思いますが。。。
そう言えば何故「女」なのでしょう。まあダマす代表に喩えられる狐は女性的だし神がのりうつる憑坐も巫女ですもんね。そしてあの仲人、「常陸專男」(ひたちたうを)ですか。成程いいですねぇ。あの饒舌ぶり本当に笑えます。