宿木(41・42・43・44) 中の君、男子を出産 

p209-217
41.中の君男子を出産 産養盛大に催される
 〈p162 ようようのことでその明け方に、〉

 ①やっと中の君男子を出産
  からうじて、その暁に、男にて生まれたまへるを、宮もいとかひありてうれしく思したり。
  →今上帝の初孫だろうか。男、皇位継承候補者である。

 ②次から次への盛大な産養 3日目5日目7日目9日目 果てしなく続く。

 ③九日も、大殿より仕うまつらせたまへり。よろしからず思すあたりなれど、、、
  →夕霧(六の君)の所からも祝儀が寄せられる。

 ④中の君 かく面だたしくいまめしきことどもの多かれば、すこし慰みもやしたまふらむ。
  →普段は六の君に気圧されて心が晴れないが子を産んで晴れがましい気持ちになる。
  →読者もこれで中の君もひどく軽んじられることはなかろうとホッとする。

42.女二の宮の裳着 薫、婿として迎えられる
 〈p164 こうしてその月の二十日過ぎに、〉

 ①2月20日過ぎ女二の宮裳着の儀 翌日薫が通い初夜を迎える。

 ②薫(臣下)が皇女の婿となる。世人はうらやみやっかみで辛口に評する。
  →確かに帝の在位中の皇女降嫁の例は少なかったのだろう(脚注15)

 ③源氏が女三の宮を得たのは朱雀帝が院になっての晩年
  柏木が女二の宮を得たのも朱雀院の晩年
  その女二の宮を柏木の死後もらったのが夕霧
  夕霧「故院だに、朱雀院の御末にならせたまひて、今はとやつしたまひし際にこそ、かの母宮を得たてまつりたまひしか。我は、まして、人もゆるさぬものを、拾ひたりしや」
  →何をおっしゃる夕霧右大臣!友人の未亡人を無理やり手籠めにしたのはどなたでしたっけ!

 ④宮は、げにと思すに、恥づかしくて御答へもえしたまはず。
  →女二の宮(落葉の宮)の登場。夕霧は今でも雲居雁と女二の宮を15日づつのペースで訪れているのであろうか。

43.薫、女二の宮を三条宮に迎えようとする
 〈p166 こうして、それから後は、〉

 ①薫は宮中の女二の宮の所へ通うのは鬱陶しい。母の三条宮に迎えようとする。
  帝は宮中から離したくないが母宮の意向とあっては仕方がない。
  →今上帝は母宮(女三の宮)の兄。父朱雀帝から後見を頼まれており無下にはできない。

 ②、、、かたみに限りもなくもてかしづき騒がれたまふ面だたしさも、いかなるにかあらむ、心の中にはことにうれしくもおぼえず、、、
  →薫は何故女二の宮を妻に迎えることに気が進まないのであろう。
  →大君は亡くなり中の君は子持ちの人妻である。
   薫の心境は深い謎であります。。。

44.薫、若君の五十日の祝いに心を尽す
 〈p167 薫の君は、匂宮の若君の生後五十日になられる日を〉

 ①宮の若君の五十日になりたまふ日数へとりて、その餅のいそぎを心に入れて、籠物、檜破子などまで見入れたまひつつ、、、
  →五十日の祝いといえば
   1.源氏が明石の姫君誕生の五十日の祝いに使いを出す場面(澪標p214)
   2.薫の五十日の祝いで源氏が薫を抱く超有名場面・国宝絵巻(柏木p265)
    →因果は廻る今度は薫が匂宮と中の君の皇子を祝う場面である。

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2 Responses to 宿木(41・42・43・44) 中の君、男子を出産 

  1. 青玉 のコメント:

    そうでしょうとも、女は子を産むと強くなれますもの。
    産養の儀も事細かなしきたりがあるのですね。

    そして女二の宮の裳着に続き婚儀。
    これほどまでに晴れやかな出世にも心晴れぬ薫。
    執拗なまでの薫の心の闇は解せないですね。
    夕霧の言いようは(拾ひたりしや)は落葉の宮に失礼じゃないですか・・・

    若君の五十日の儀、確かに因果は廻る場面ですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      産養、子どもが生まれた際の盛儀、これは重要な行事だったようです。何せ無事生まれるだけで大変なこと、また幼児死亡率も高かった時ですからともかく立派に育って欲しいとの願いも強かったのでしょう。

      特に七日目は一番重要で天皇が主催したりしています。源氏物語では明石の中宮の皇子(今上帝)の場合、冷泉帝が(@若菜上p154)、薫の場合には今上帝が主催しています(@柏木p234)。本段の場合は今上帝でなく明石の中宮主催です。やはり母親が中の君ということで少し差がつけられていることが分かります(母が六の君の場合なら当然今上帝でしょうに)。

      産養の記述ということでは何といっても紫式部日記でしょう。道長から初孫(敦成親王)=父は一条帝・母は彰子、誕生の記録を残せということで書かれたのが紫式部日記ということですので。ここでも七日の夜は一条帝主催の産養が詳しく述べられています。

      子や孫が生まれて嬉しく思うのはいつの世も人情の常でしょう。本段の匂宮の喜びはちょっと控えめ過ぎますね。

       いとかひありてうれしく思したり

      だけではねぇ。

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