宿木(36・37・38・39・40) 中の君の出産近づく

p196-208
36.匂宮、中の君と薫の仲を疑い、情愛深まる
 〈p153 ほとんど草の枯れはてている前庭の〉
 国宝源氏物語絵巻 宿木(三)の場面です。

 ①匂宮と中の君@二条院 晩秋の景色
  枯れ枯れなる前栽の中に、尾花の、物よりことに手をさし出でて招くがをかしく見ゆるに、
  →脚注9 薄の穂のなびく様子を手を振って人を招く動作に見立てる。

 ②露をつらぬきとむる玉の緒、はかなげにうちなびきたるなど、、
  →百人一首 No.37 文屋朝康
   白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける

 ③「わが身ひとつの」
  →脚注4貫之 おほかたの我が身ひとつの憂きからになべての世をも恨みつるかな
  →リンボウ訳は百人一首No.23 大江千里を引用している。
   月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど
   [脱線] 大江千里には春の素晴らしい歌がある。
   照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(花宴p248)

 ④匂宮の琵琶、中の君の筝の琴
  催馬楽 伊勢の海
  →明石8・9 源氏、入道との語らい(2013.3.21) コメント欄参照 明石p138
  
 ⑤匂宮「、、このごろ見るわたりは、まだいと心とくべきほどにもならねど、片なりなる初ごとをも隠さずこそあれ、すべて、女は、やはらかに心うつくしきなんよきこととこそ、、」
  →一般論はいいが六の君と比較して中の君を窘めるのはいかがなものか。 

37.夕霧、匂宮を連れ去る 中の君悲観する
 〈p157 中の君にお琴をお教えになったりして、〉

 ①二条院(中の君)に3、4日居続ける匂宮、こともあろうに夕霧が連れ戻しに来る。
  →おとど!そりゃあ、いけません、大人気ありませんぞ。
  →夕霧には二条院は久しぶりか。あの紫の上の死顔に見入ったところである。
  (脚注13の二条東院とは隣り合わせだが違うのではないか)

 ②勢ひこちたきを見るに、並ぶべくもあらぬぞ屈しいたかりける。
  →何と言っても今や夕霧の威勢が一番。夕霧に踏み込まれ匂宮を連れ去られた中の君の心境察するに余りありです。

38.中の君の出産近づく 諸方より見舞多し
 〈p159 正月の末頃から、中の君は、〉

 ①明けてK26年 中の君の出産近く見舞が相次ぐ(匂宮の母明石の中宮からも)
 
 ②匂宮と中の君が契ったのはK24年8月 足掛け3年である。
  六の君に押されて第二夫人の位置づけであった中の君も出産が近づき注目される。  

39.女二の宮の裳着の用意 薫中の君を憂慮す
 〈p159 薫の君は、匂宮が御心痛のあまり〉

 ①薫は女二の宮の裳着→婚儀もあり慌ただしい。中の君の出産も気がかりである。
  →お忙しいことです。

40.薫、権大納言に昇進、右大将を兼ねる
 〈p160 薫の君は二月の初め頃、〉

 ①K26年2月 薫 中納言から権大納言兼右大将に昇進(大出世である)

 ②薫は昇進新任披露の宴を六条院で行う。
  →六条院春の町(紫の上の町)であろうか。同じ六条院夏の町には六の君が居る。
  →匂宮は最初躊躇したが結局参列し六の君の所へは行かず二条院に戻る。

 ③語り手の評言
  劣るべくもあらぬ御ほどなるを、ただ今のおぼえのはなやかさに思しおごりて、おしたちもてなしたまへるなめりかし。
  →中の君は親王の娘(桐壷帝の孫) 六の君は臣下(夕霧)の娘(源氏の孫)
  →身分は中の君の方が上だが世人の一般評価は権勢家夕霧の娘六の君の方が上である。

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4 Responses to 宿木(36・37・38・39・40) 中の君の出産近づく

  1. 青玉 のコメント:

    この段、匂宮と中の君の微妙な心理のやり取りが嫉妬、あてこすり、皮肉を交えて面白いです。
    二人の琵琶と筝の琴の合奏
    ひとりごとはさうざうしきに、さし答へしたまへかし
    いろいろあってもかえって仲睦まじいですね。

    ここで明石8・9に遡ってみました
    管弦、催馬楽のこと復習できました。

    そこへ夕霧の野暮な出現。
    中の君も相手が夕霧ではなす術もないでしょうね。
    所詮頼るべき者もない宿木のような中の君の存在。

    昨日の清々爺さん、蔦紅葉が中の君を挟んで匂宮と薫とのこんがらがった関係に象徴されるとあり、なるほどと思いましたが今日は中の君の存在自体が宿木のようにも思えてきました。
    頼るべきは匂宮か薫か、やはり夫である匂宮でしょうね。

    六の君に押されてはいますがこの出産により立場は好転するのでしょうか?
    興味深いところです。匂宮にとっては第一子ですよね。

    女二の宮の裳着の儀に続き薫の昇進。
    この昇進は女二の宮との婚儀が関係しているのでしょうか?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      二条院に中の君を住まわせ六条院の六の君の所へも通う。どんなローテーションでやってたのかは分かりませんがご苦労さまなことです。でも何とも匂宮の住み場所が理解できません。

      匂宮は東宮ではないものの今上帝の第三の宮、当然内裏に然るべき住み場所はあるのでしょう。二条院はあくまでプライベートな里下がりの屋敷でしょう。その二条院に第二夫人の中の君を住まわせるのはいいとして、第一夫人の六の君の六条院には通わなければいけないのですかね。東宮は当然宮中ないし東宮御所に住んでたのじゃないかと思うのですが匂宮も宮中に六の君を迎えて住まわせる(勿論経済的後見は夕霧にさせる)わけにはいかなかったのでしょうか。この辺当時のしきたりがよく分かりません。史実(道長の娘たちはいっぱい皇子たちに嫁いでいる)、調べてみたいと思っています。

       →というのは夕霧が二条院まで来て六条院に連れ帰るなんてのは何かオカシイなあと思ったものですから。

      • 式部 のコメント:

         匂宮はこの時点では東宮ではないため、単なる親王扱いで、内裏に宿直の部屋が与えられていただけでしょう。仲間を連れての遊びや食事はその場所で行ったでしょうけれど、妻は実家にいるか、宮の私邸(ここでは二条院)におくしかなかったと思います。源氏は皇族を離れても宿直所をもっていて、私邸(二条院)もあったのと同じですよね。
         和泉式部日記でも和泉式部が敦道親王邸に入ったことが書かれています。身分の高いそして今を時めく父をもった姫君は実家暮らしなのでしょうね。
         東宮妃や帝への入内となると宮中に入って、里下がり以外は実家に帰るのも難しかったでしょうね。
         もう少し詳しく調べたいですね。
         栄花物語、大鏡を少しずつ読んでいるので、何か関わりのある記述があればコメントします。

        • 清々爺 のコメント:

          明快なる解説ありがとうございます。そういうことなんでしょうね。

          考えてみると親王さんも大変ですねぇ。匂宮のように母の父(源氏)が有力者で立派な私邸があればいいのでしょうが(敦道親王もそうでしょう)母方の後見者が頼りない場合は哀れですね。その場合は有力な権勢家に婿入りするしか手はなかったということですね。

          (源氏の場合母方(桐壷更衣)の後見力は左程なかったと思われるのにあんなに裕福なのはちょっと疑問ですが)

          また、何か気付いたことあれば教えてください。

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