宿木(8) 薫、二条院に中の君を訪ねる

p86-98
8.薫、中の君を訪れ、互いに胸中を訴えあう
 〈p66 夜が明けてくるにつれ、〉

 ①女どちはしどけなく朝寝したまへらむかし、
  →主人匂宮は公務で宮中泊り。中の君も女房たちも気を許して朝寝している。
  →朝早い二条院の様子がよく分かる。描写が細かい。

 ②中の君の応対 今はみづから聞こえたまふことも、やうやう、うたてつつましかりし方すこしづつ薄らぎて面馴れたまひにたり。
  →匂宮の妻に納まって然も妊娠もして中の君は昔のおぼこではない。

 ③薫 よそへてぞ見るべかりける白露のちぎりかおきし朝顔の花
  中の君 消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる
  →こういう歌を交し合うのが王朝人なんですね。

 ④つつましげに言ひ消ちたまへるほど、なほいとよく似たまへるものかなと思ふにも、まづぞ悲しき。
  →声も話し方も立ち居振舞も大君そっくり。「大君のゆかり」である。

 ⑤故院の亡せたまひて後、二三年ばかりの末に、世を背きたまひし嵯峨院にも、
  →源氏の死が語られる重要ポイント。
  →幻の巻の翌年G53年に出家、嵯峨院(現清凉寺辺)で二三年過した後に亡くなった。
  →早すぎる感じ。紫の上を失くし精魂つきて自ら死を欲したのだろうか。

 ⑥六条院、源氏の出家、死で寂れたが夕霧が移り住んで復興している。
  この右大臣も渡り住み、宮たちなども方々ものしたまへば、昔に返りたるやうにはべめる。
  →六条院夏の町(かつて花散里が居た所)に夕霧が女二の宮&六の君と住んでいる。
   (夕霧は勿論雲居雁三条邸と六条院を半々に住み分けている)

 ⑦中の君「、、忍びて渡させたまひてんやと聞こえさせばやとなん思ひはべりつる」
  →八の宮の三回忌、中の君は宇治に帰りたいと薫に訴える。
 
  薫「荒らさじと思すとも、いかでかは」
  →匂宮の妻に納まっている中の君を宇治に連れ帰るなどできる筈がない。

 ⑧薫「かしこは、なほ、尊き方に思し譲りてよ」
  →八の宮宇治山荘はお寺に寄進しよう。薫の道心が表れている。

 ⑨宮の、などか、なきをりには来つらんと思ひたまひぬべき御心なるもわづらわしくて、
  →それは当たり前だろう。いくら鷹揚な匂宮とて留守中に妻の所に来られては平常ではおれないだろうに。

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4 Responses to 宿木(8) 薫、二条院に中の君を訪ねる

  1. 青玉 のコメント:

    友人の妻を夜明けから訪れるなんて、しかも妊娠中、これは見舞いという口実を兼ねてのことでしょうか。
    時には兄が妹に言い聞かせるように親密にまた中の君にも多少の甘えがあり心を許しているように見受けられます。
    宇治へ帰りたいと訴えるのも甘えではないでしょうか?
    六の君のことで心が弱っているとは言え・・・

    ここで久しぶりに源氏のことが語られるのですね。
    源氏が亡くなったのは薫九歳前後とあります。
    偶然です。今日清凉寺へ行ってきました。(後述記)

    亡き大君を偲ぶ共通の悲しみで繋がっているような薫と中の君ですが、さすが匂宮の留守中の訪問は薫も気が咎めるでしょう。
    薫のねじれた感情には苛立ちますね。

    • 清々爺 のコメント:

      (返事が遅れすみません)
      ありがとうございます。

      おっしゃる通りここでは薫は中の君に兄が妹を諭すように世間のこと(夫婦仲のあり方など)を色々教えていますね。薫の気持ちとしても妹を見るような一面もあったのだと思います(好色面だけでなく)。

      中の君は生後間もなく母を失くし2年前に父、昨年姉が亡くなり天涯孤独。寂しさは言うまでもないことながら匂宮に娶られて二条院の奥方に納まり匂宮の子どもを身籠っている。気持の持ち方次第ではこれに勝る幸せもないでしょうに。夫を信頼し薫を後見人としてうまくあしらい二条院の女あるじたる自覚を持って強く生きて欲しいと思います。
       →中の君には結構そういう才覚もあるのではないかと思うのですが。。

  2. 青玉 のコメント:

    {京都 そぞろ歩き}
    京都へ行ってきました。(京都文化博物)
    どうしても観たい絵があり矢も楯もたまらなく新幹線に乗ってしまいました。
    ブージヴァルのダンス(ルノアール)ボストン美術館の所蔵です。
    生きてる内にはもう二度と日本では会えない一期一会の作品です。
    思い切って行って良かった!!大満足でした。

    それだけではもったいない、そうだ嵯峨嵐山へも行こう!!
    まず目指したのは嵐山渡月橋
    何十年ぶりでしょう、この橋の上に立つのは。
    上流が大堰川、明石の上の別荘はこの辺りだったのでしょうか?

    橋の上から渡しの舟が見えます。
    そう言えば昔、渡し船に乗って対岸のお宿に行きました。
    その宿からはトロッコ列車が見えていたっけ~。懐かしいな~

    しみじみとひとり散策、先ずは目的の時雨殿、天竜寺のお隣です。
    小倉百人一首の殿堂ですが閑静な佇まいです。
    歌仙絵を忠実に摸した百体の人形に和歌が添えられています。
    また歌合わせの場面の装束や調度なども再現されておりました。
    二階の座敷で平安装束体験コーナーがあり衣裳を着て写真を撮っていただきました。
    窓から眺めた嵐山と保津川の眺めは絶景でした。

    そこを起点に源氏物語(野宮神社 清凉寺) 平家物語(祇王寺、滝口寺) 百人一首、定家ゆかりの二尊院、常寂光寺。芭蕉の落柿舎。
    嵯峨野の竹林、もみじの新緑を満喫してきました。
    あ~あ、京都ってやっぱりいいな~
    連休明けの静かで気ままな京都ひとり旅でした。

    • 清々爺 のコメント:

      新緑の京都、素晴らしかったことでしょう。ご報告ありがとうございます。
      嵯峨野嵐山、本当に興味深い所が目白押しですね。

      時雨殿、よかったですね。益々百人一首への知見が深まったことでしょう(私は時間がなく入れませんでした)。あの辺り定家の匂いがプンプンしますよね。平安の衣裳をまとっての写真ですか、それはいい記念になりましたね。勿論気分は大堰邸での明石の君の気分だったことでしょう。

      祇王寺も近くなんですね。知りませんでした。平家物語冒頭の祇王の話は清盛のおごれる姿をこれでもかと描き出してますね。清盛フアンの私には愉快な話ではありませんがよくできていると思います。

       仏も昔は凡夫なり 我等も終には仏なり
       いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ

      どうぞまた身辺雑記聞かせて下さい。楽しみにしています。

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