宿木 あふけなく大御むすめをいにしへの人に似よとも思ひけるかな(与謝野晶子)
早蕨で匂宮が中の君を二条院へ移し入れたのがK25年春。宿木は1年遡ってK24年春から語り起されます。京を舞台での薫の縁談話からです。
p58-68
1.藤壷女御、女二の宮の養育に力を尽す
〈寂聴訳 巻九 p44 その頃、藤壷の女房と申し上げたお方は、〉
①「そのころ、藤壷と聞こゆるは、、」
→新しい話の語り出し。宇治十帖は橋姫・宿木・手習の冒頭が「そのころ、」で始まっている。
②藤壷女御 今上帝に一番早く(明石の中宮より早く)入内した女御(梅枝p204)
→最初麗景殿女御だったが藤壷に住いが変わっている。藤壷の持つ意味は大きい。
③睦ましくあはれなる方の御思ひはことにものしたまふめれど、
今上帝との仲も明石の中宮に次いで良好だった。
→明石の女御が中宮になったのは無論源氏の後ろ楯による。
2.藤壷女御の死去 女二の宮の不安な将来
〈p45 この女二の宮が十四歳になられました年、〉
①K24年春 女二の宮裳着の儀(14才になった)
→結婚年齢になったということ。
②女御、夏ごろ、物の怪にわづらひたまひて、いとはかなく亡せたまひぬ。
→あっけなく亡くなってしまう。今上帝も驚き悲しんだことであろう。
→女二の宮は裳着を終えてスタンバイ。さあ誰を婿にするか。
3.帝、女二の宮と薫との縁組を画す
〈p47 お庭前の菊の花が、〉
国宝源氏物語絵巻 宿木(一)の場面です。
①朱雀院の姫宮を六条院に譲りきこえたまひしをりの定めどもなど思しめし出づるに、
若菜上の冒頭朱雀院の悩みの場面と瓜二つである。
1)朱雀院 藤壷女御(名前もいっしょ)が死亡 女三の宮をどうするか
2)今上帝 藤壷女御が死亡 女二の宮をどうするか
1)朱雀院 悩んだ末源氏に嫁がせる
2)今上帝 チョイスは薫しかいない
即ち
1)朱雀帝・藤壷女御 - 女三の宮 - 源氏
2)今上帝・藤壷女御 - 女二の宮 - 薫
②帝、女二の宮と囲碁を打っていた。ここに薫を召し寄せ三番勝負
→源氏物語に囲碁の場面は4例
空蝉と軒端荻(空蝉p167) 玉鬘の大君と中の君(竹河p102)
本段 帝と薫(宿木p64) 後出 浮舟と尼(手習p202)
③帝 三番に数一つ負けさせたまひぬ
→ここはわざとだろうか。本来ならわざとでも薫が負けるべき。
④薫 世のつねの垣根ににほふ花ならば心のままに折りて見ましを
帝 霜にあへず枯れにし園の菊なれどのこりの色はあせずもあるかな
→こういう風に儀礼的に和歌を詠み合い事を進めていく。これぞ王朝流であろう。
⑤薫 例の心の癖なれば、急がしくもおぼえず。
薫は結婚に消極的 劣り腹の女二の宮だからだろうか。
后腹におはせばしもとおぼゆる心の中ぞ、あまりおほけなかりける
明石の中宮腹の女一の宮ならいいのに、、と思う。
→これは(薫の実の父)柏木が女二の宮に心を動かされず女三の宮に執着したのとそっくりではないか。
年が一年遡り京では薫の方でも変化が生じていたのですね。
藤壺と言えば真っ先に浮かぶのは光源氏永遠の女性、藤壺中宮です。
それだけここに住むと言うのは意味があるのでしょう。
その女御が亡くなり遺された姫君の新たな登場ですね。
若菜上の女三の宮降嫁を思わせる薫との縁談ですね。
この新たな展開に薫はどのように動くのでしょうか?
薫の動向が楽しみになって来ました。
ありがとうございます。長い宿木ですが外は風薫る五月。薫には若者らしく溌剌とやって欲しいものです。よろしくお願いします。
1.宿木3.帝と薫の碁打ちの場面は菊薫る9~10月、K24年のことです。総角で八の宮の一周忌の後薫が大君に三度に亘り侵入するのはこのちょっと前、匂宮が中の君と契ったのが8月です。だから9~10月と言えば大君が重病に陥り苦しんでいる頃です(大君死亡は11月)。
→こんな時だから女二の宮との結婚話も上の空だったことは仕方ないかもしれません。
2.それにしても女二の宮は今上帝が女一の宮とともに最愛する皇女ですからねぇ。臣下の薫からすれば天にも昇る気持ちになってもよさそうなもの。宇治のこと(姫たちへの後見と想い)は宇治のこととして女二の宮との婚儀を優先させるのが普通でしょうに。
→そこが薫の真面目さ不器用さでしょうか。
→源氏ならうまく両立させて取り仕切るんじゃないでしょうか。