p137 -148
7.薫、姫君たちの部屋に忍び入る 大君脱出
〈p237 夜が少し更けていく頃、〉
①宵すこし過ぐるほどに、風の音荒らかにうち吹くに、はかなきさまなる蔀などはひしひしと紛るる音に、
→侵入の晩。男が忍んでいく晩は大抵このように風が吹いてザワザワした感じ。
②薫、第二回目の侵入 - 名場面
音を聞きつけて逃れる大君。寝入っている中の君
→源氏が空蝉と軒端荻の所へ侵入したのと同じ(空蝉p176)
③中納言は、独り臥したまへるを、心しけるにやとうれしくて、心ときめきしたまふに、やうやう、あらざりけりと見る。いますこしうつくしくらうたげなるけしきはまさりてやとおぼゆ。
→大君だけが事の成り行きを承知していた。
(薫が来る。私は逃げる。薫は中の君と契るだろう。中の君は吃驚するだろうが薫と結ばれればそれが一番だ、、、)
→薫と中の君はそれぞれに驚いたことだろう。
④薫 なほ本意の違はむは口惜しくて、うちつけに浅かりけりともおぼえたてまつらじ、この一ふしはなほ過ぐして、、、
→ここで契ってしまったら大君とは結婚できまい。匂宮にも恨まれる。
→ここは思い止まるのが妥当なところだろうか。
→「まあこちらでもいいか」って軒端荻と情を交した源氏とは比較にならない。
⑤女房たち「いま、おのづから見たてまつり馴れたまひなば、思ひきこえたまひてん」
→いかにも女房は品が落ちるといった言い方だが、それだけにリアルである。
⑥薫→中の君「あひ思せよ。いと心憂くつらき人の御さま、見ならひたまふなよ」
→薫はどんな思いで中の君と実事なき夜を過ごしたのだろう。
→中の君も間近に薫に顔を見られた、即ち殆ど情交したに等しいということ。
⑦こんな事態になって薫・中の君・大君はそれぞれにどう思ったのだろう。
薫と中の君、両方から恨まれる羽目になった大君が一番堪えたのではないか。
⑧薫が弁に腹たちまぎれにおどし・いやみを言う場面
「来し方のつらさはなほ残りある心地して、、、、今宵なむまことに恥づかしく、、うきもつらきも、かたがたに忘られたまふまじくなん。、、、、」
→正に捨て台詞。みっともいいもんじゃない。源氏はこんなこと言わない。
8.薫、大君と片枝の紅葉につけて歌を交す
〈p244 大君も、一体どうしたことだろう、〉
①薫より後朝の文
大君 「例よりはうれしとおぼえたまふも、かつはあやし。」
→この辺が微妙ですねぇ。女心ははかりしれません。
②青き枝の、片枝いと濃くもみぢたるを、
→芸が細かい。さすがです。
③薫 おなじ枝を分きてそめける山姫にいづれか深き色ととはばや
大君 山姫の染むる心は分かねどもうつろふ方や深きなるらん 代表歌
→お互い感情が高ぶってて歌どころではないだろうと思うに、さすが王朝人ですね。
→でもそれでまた「ひょっとしたらまだ行けるのか」という気持ちになる。
本当、ここは空蝉と軒端荻を思わせる場面ですね。
おっしゃる通り源氏とは大違い、やはり薫の真面目さゆえでしょうか。
姉妹そろって実事なき夜を過ごしたということですか。
お互いに実事なき夜を過ごした姉妹の胸中いかばかりか思いやられますね。
それにしても女房たちのお気楽な発言は腹立たしいですね。
仕える者の親味さに欠けます。
腹立ちまぎれの薫の捨て台詞、気持ちは解りますがちょっと浅はかにも思えます。
薫と大君の歌
女心の微妙さ、確かにそうですね。
薫に愛想づかしはされたくない、大君自身もその矛盾した気持ちは自覚しているようですね。
全く複雑極まりない三角関係の様相を呈し読者もやきもきします。
二人の姫たちの深層心理が今いち読みとれません。
でも大君の本心はやはり薫が好きなのだと信じたいです。
自身の心の声に素直になれば大君も幸せになれるのに残念な思いです。
ありがとうございます。
1.二人の女性が寝ている所に忍び込む場面、描写も空蝉とそっくりですね。読者の脳裏に焼きついた過去の場面を甦らせてパッと場を作ってしまうところ、上手いと思います(紫式部は空蝉のこの場面が気に入っていてどこかでまた使おうと思っていたのかも)。
振り返ってみると源氏は軒端荻と契るのを悪びれておらず(多少は悪いかなとは思ったにせよ)むしろ「このまま何もせず帰ったら却ってこの女性を傷つけることになる。ここはオレがやらなきゃ!」って感じでコトに及んでいますね。男たるものこれくらい自分本位で考えられなきゃ世の中渡って行けないってことでしょうか。源氏は勿論、匂宮もそうするでしょう。でも薫にはそれはできない。
→ここは薫は思い止まって当然でしょう。でもウジウジと中の君と一晩過ごしたのは如何なもんでしょう。「ゴメン、君じゃないんだ、、、」ってすっぱり帰ればよかったのでは。
2.この二回目の侵入、大君は薫の侵入を予測していて「二人で寝てて自分が逃げれば薫は中の君と契るだろう、そうすれば自分の望み通り薫と中の君は結婚へ、、。それが一番いい」と考えていたのでしょう。謂わば大君の策略だったとも言えようか。でもそれは失敗した。大君が一番打ちひしがれたのではないか。
→でも薫からは文が届いた。「大君は自身の心の声に素直になればいいのに、、、」おっしゃる通りです。
{お知らせ}
4月に入り初めて映画を観ました。
驚いたことはシニア料金が1000円から1100円に値上げされていたことです。
年間100本観ると一万円増の出費になります。
映画好きにとっってこれは痛い!!
それはさておき例の美杉でロケされた映画「WOOD JOB」5月10日が全国ロードショーです。
三浦しをん 「神去なあなあ日常」と「神去なあなあ夜話」の原作を読んでおかれることをお勧めします。
えっ、10%値上げですか、それは便乗ですね。それと年間100本ですか、それもすごいですね。年間11万円、、、。(まあゴルフ1回で1万円ですから大したことないですね)
お知らせありがとうございます。タイトルは「WOOD JOB」なんですか。「神去りなあなあ」の方がいいと思いますけどねぇ。「日常」は読みました。美杉村、きれいに書かれてますよね。読んだ時こりゃあ、映画になるぞと思いました。見てみたいと思います。宣伝もすごいようですよ。ウチの仲間から聞いたのですが先日山手線に美杉村のラッピングトレインが走ったようです。
(「舟を編む」は見逃しましたが「風が強く吹いている」「まほろ駅前多田便利軒」は見ました。しをんちゃんの小説は映画に適してますね。「仏果を得ず」もやって欲しいのですが文楽界は難しいのでしょうね)
古典講読第一回、「名句でたどる奥のほそ道」
今聞き終えました。
第一回は概略と説明を丁寧に解説されました。
ゆっくりなので何とか一年間ついていけそうです。
たまに忘れて聞き逃すことがあっても大丈夫な感じです。
加賀美さんの素晴らしい朗読と佐藤講師のユニークな解説で我々も一年間、楽しい芭蕉の旅を続けられたらいいですね。
明日から三重へ行ってきます。
私も聞きました(毎週録音です)。わかりやすくて1年間楽しみです。
先生が言ってたことでハタと気がつきました。芭蕉が奥の細道に行ったのは元禄2年(1689年)でこの年は1月と2月の間に閏1月が入っており、暦が約1ヶ月ずれてるんですね。芭蕉の旅立ちが旧暦3月27日(新暦5月16日)で「行春や鳥啼き魚の目は泪」ですが、普通の年ならとっくに4月に入っており「行く春」どころか初夏もいいところの筈です。
「笠嶋はいづこさ月のぬかる道」
「文月や六日も常の夜には似ず」
月(month)を詠んだ句もあるのですが、1ヶ月のずれはちょっと気になるところです。閏月のある年は季節感にちょっと違和感があるのかもしれません。