竹河(6・7・8) 薫、玉鬘邸に年賀に訪れる

p91-102
6.薫、夕刻に玉鬘邸を訪問し優雅にふるまう
 〈p19 夕暮になって四位の侍従薫の君が、〉

 ①舞台は再び玉鬘邸、夕方に薫が年賀に訪れる。
  玉鬘邸の女房たちも薫がお目当て、「いらしたわよ!」と色めきたつ。

 ②玉鬘邸、御念誦堂の御簾の前 庭には梅と鶯の初声
  国宝源氏物語絵巻 竹河一
  →女房たちが六人も描かれている。薫との歌の唱和

  宰相の君 折りて見ばいとどにほひもまさるやとすこし色めけ梅の初花
  薫 よそにてはもぎ木なりとやさだむらんしたに匂へる梅の初花
  →薫もなかなか気をもたせることを言う。

 ③薫 まめ人、とこそつけられたりけれ、いと屈じたる名かな 
  →まめ人と言われたのは夕霧。年が経ち夕霧は尊大になっている。今のまめ人は薫。
  →夕霧のまめ人は父源氏が反面教師か。薫のまめ人は出生への疑惑によるものか。 

7.正月下旬、薫玉鬘邸を訪ね少将らと小宴
 〈p23 薫の君は堅物という名をつけられたことが、〉

 ①正月二十日過ぎ薫は再び玉鬘邸を訪れる。
  中門入りたまふほどに、同じ直衣姿なる人立てりけり。隠れなむと思ひけるをひきとどめたれば、この常に立ちわづらふ少将なりけり。
  →蔵人少将も来て覗き見ている。末摘花で源氏と頭中が出くわしたに同じ(末摘花p120)
  →表現もそっくりでパクリであろう。
  
 ②玉鬘は薫に柏木の面影を感じる。
  「おほかた、この君は、あやしう故大納言の御ありさまにいとようおぼえ、琴の音など、ただそれとこそおぼえつれ」

 ③楽宴、琵琶・筝の琴・和琴・あづま琴 & 催馬楽のオンパレード
  「梅が枝」「東屋」「この殿は」「竹河」「何ぞもぞ
  →今なら生演奏による大カラオケ大会という趣向だろうか。
  →けっこう下ネタ的な歌意が多かったのではなかろうか。

 ④薫「水駅にて夜更けにけり」とて逃げにけり。
  →まめ人薫は酒もあまり飲まず逃げ帰る。これが薫、好色ぶってもできはしない。

8.蔵人少将薫を羨む 玉鬘薫の筆跡をほめる
 〈p27 蔵人の少将は、この薫の君がこうして〉

 ①翌朝、薫から歌が届く。
  薫 竹河のはしうち出でしひとふしに深き心のそこは知りきや 代表歌

 ②玉鬘は薫を絶賛、
  「幼くて院にも後れたてまつり、母宮のしどけなう生ほしたてたまへれど、なほ人にまさるべきにこそはあめれ」 
  (やはり源氏の子、あんな女三の宮に育てられたけどこんなに立派に成長した)
  →玉鬘の源氏礼讃の一節であろう。  

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4 Responses to 竹河(6・7・8) 薫、玉鬘邸に年賀に訪れる

  1. 青玉 のコメント:

    薫、玉蔓邸では憧れの的になっているようですね。
    女房たちのかしましい噂話が想像されます。
    梅に鶯、そして芳香を放つ若き公達の登場。これ以上の舞台設定はないですね。
    さぞや女房たちも色めき立ったことでしょう。

    「国宝源氏物語絵巻」徳川美術館の今年の展示、案内しておきます。
    「竹河二」 「東屋一」11月16日~11月24日です。

    「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひたまへると聞きわたるをまめやかにゆかしくなむん」
    「おほかた、この君は、あやしう故大納言の御ありさまにいとようおぼえ、琴の音など、ただそれとこそおぼえつれ

    やはり血は争えませんね。玉蔓にもそれが感じられたのでしょう。

    昨日式部さん、清々爺さんのコメント「催馬楽」についてとても参考になりました。
    物語中頻繁に催馬楽が出てきてこれは一体何だろう?とよく解らないまま脚注から私なりに庶民の間に流行っていた多少卑猥な歌謡曲のようなものが宮廷にまで伝わったのかな?ぐらいの知識で済ませてきました。
    お二人のやりとりから源氏物語とのかかわりも大まかに理解することができました。
    ありがとうございます。
    ご紹介の本、検索してみましたが市の図書館にはありませんでした。
    又機会があれば県図書館にでも行ってみます

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.この竹河も宇治十帖に行く前に薫のことを色々考えさせてくれるという点ではいいですね。匂宮は身分上そうどこへでも行けるわけでなく窮屈してる訳ですが薫は臣下なので気軽。普段は冷泉院・母三の宮の三条邸・宮中を行き来してたのでしょうが、玉鬘邸なんかへもやって来る。そりゃあ女房たちは色めきたったことでしょう。チヤホヤされ、時には情けをかけることもあったのでしょうが、いつも醒めていて心の底から楽しい気分になることはない。琴の音も悲しげな調子だったのでしょうか。

      2.徳川美術館展示の情報ありがとうございます。竹河(二)は次回(竹河9)の場面ですね。

      3.私も催馬楽なんかも勉強させてもらっています。詞は現存していても節回しやリズムが残ってないのは痛いですね(残しようもないのは分かるんですが口伝えの伝承とかでも)。

  2. 式部 のコメント:

     催馬楽の続きです。「竹河」の中にでてくる催馬楽ですが、これまでの巻の注にその詞章が記されていますので、面倒がらずにチェックしてみてください。
     「梅枝」・・・「梅枝」の巻 p198 注11
     「東屋」・・・「紅葉賀」の巻 p226 注7
     「この殿」・・「初音」の巻 p26 注4
     「竹河」・・・「竹河」の巻 p98 注18

    「竹河」p99 注25に定家自筆本奥入付箋の部分を読むと、定家の時代には「万春楽」「何ぞもぞ」の曲があったようですね。
     紫式部は源氏物語の中にいったいどれくらいの催馬楽を引用したのか知りたくなります。定家の言葉は手がかりの一つでしょうが、現存していない曲では調べようもありませんね。
    「竹河」は斎宮の地である伊勢の実在する河として当時知られていたようで、催馬楽の「竹河」も伊勢の地名としてうけとめられ、平安貴族たちの間で好まれていたのでしょうか。
     斎宮からの連想で、一線を画す恋ということで、この巻の貴公子たちの恋は成就しないのかもしれません。
     ところで近鉄山田線斎宮駅の近くの「竹神社」がもとは竹川の古里といわれていたそうで、行ってみたくなりました。「ふるさとの散歩道・三重県」p203

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.仰せに従い各歌詞を見てみました。竹河のこの段のものは何れも新春の寿ぎを表すものなんですね。でも「妻戸おし開けて」とさりげなく「東屋」を引いて薫の登場を促したり、「さき草」と歌詞の一部で家の祝福を示したり、「竹河」は歌の贈答にも入れてるしそれが巻名にもなっている。正に自由自在に引用されてる感じがします。こういう風に書ければ楽しいでしょうね。

      2.そうですか、「万春楽」「何ぞもぞ」は定家の時代にはあったのが今は残っていないということですか。催馬楽もその他俗謡・風俗歌の類も引用されながら分かってないものが多数あるのでしょうね。中世の源氏物語注釈書で一覧表みたいなもので残っているのが発見されるといいのでしょうが。

      3.「竹河」は伊勢なんですか。地図で見て「竹神社」分かりました。竹川という地名もあるのですね。お蔭さまで「竹河」の巻でも話すことが増えました。さすがお伊勢さんです。

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