竹河(1・2・3・4・5) 玉鬘のその後

竹河 姫たちは常少女にて春ごとに花あらそひをくり返せかし(与謝野晶子)

この帖は光源氏の物語→宇治十帖へと続く本筋とは切り離し、謂わば外伝(髭黒に嫁いだ玉鬘のその後)として読むのがいいでしょう。登場人物もここだけの人が多いので憶えておかなくても大丈夫です。スッと行きましょう。

p78-90
1.前口上――髭黒邸の悪御達の話であること
 〈寂聴訳巻八 p10 このお話は、光源氏の御一族とは少し縁が離れて〉

 ①これまでの語り手とは違い髭黒・玉鬘についてた古女房たちの話ですよ。
  →逆に今までの話は紫の上づきの女房たちですよと指摘している。
  →まあそうも言えようか。何れにせよ源氏物語は紫式部が作家として語っているのだが。

2.髭黒死後、訪客もなく近親も疎遠になる
 〈p10 玉鬘の尚侍と、故髭黒の太政大臣との間には、〉

 ①玉鬘十帖「真木柱」の後玉鬘はどうなったのか。
  まもなく夫髭黒死亡
  子どもは男3人(左近中将・右中弁・藤侍従)女2人(大君・中の君)
  玉鬘はずっと尚侍の職にある。
  髭黒は死んだが経済的には源氏からの相続も受けて裕福
  髭黒の人望が今一つだったので人の出入りは余りない。

3.大君、帝・冷泉院・蔵人少将に求婚される
 〈p12 男君たちは、御元服などなさり、〉

 ①姫君二人 結婚年齢にさしかかっている。玉鬘の思案。
  大君、普通なら今上帝に参内させるところだが明石の中宮には蹴落とされよう。
     それなら、欲しいと言ってきている冷泉院がよいか。

 ②冷泉院は昔玉鬘にご執心であった。一時尚侍として参上しお手がつく直前まで行ったが髭黒が自邸に取り戻した。即ち、冷泉院は玉鬘に貸しがあり、玉鬘は冷泉院に借りがある。

 ③夕霧の息子(五男or六男)蔵人少将が大君を狙っている。
  母(雲居雁)を使って玉鬘に大君が欲しいと訴える。

4.薫、玉鬘から源氏の形見として親しまれる
 〈p15 源氏の院の御晩年に、〉

 ①薫登場、四位侍従で14-5才 玉鬘は蔵人少将より薫の方がいいと考えている。
  →薫は源氏の子。蔵人少将は源氏の孫。やはり身分が違う。

 ②薫の年令が出てきたので他の人たちの年令も分かる限り整理しておきましょう(薫14才とします)。K14年時点で。
  冷泉院43才 玉鬘47才 夕霧40才 今上帝35才 明石の中宮33才

  大君・中の君、蔵人少将の年令は不詳ですがまあ結婚適齢期ということで。
 
5.夕霧、年賀に玉鬘訪問 大君について懇談
 〈p16 正月の初めの頃、あの玉鬘の君の御兄弟で、〉

 ①明けてK15年正月 夕霧や紅梅大臣続々と玉鬘邸に年賀に訪れる。
  →適齢期の大君・中の君が狙いなのだろう。現金なものである。

 ②夕霧と玉鬘のやりとり。玉鬘十帖の時お互い意識し合う初々しい仲であったが当時から20数年たちお互い一家を構え子どもたちの結婚で牽制し合う間柄となっている。
  夕霧は長女を今上帝に入れている。大君が今上帝に入るとかち合うことになる。
  冷泉院には秋好中宮(源氏の養女)・弘徽殿女御(玉鬘の異母妹)がいる。
  →やっぱり私のところの蔵人少将がいいのじゃないですか、、、
 
 ③女三の宮(入道の宮)のことが触れられる。
  何と言っても薫の実母。これからの薫物語(宇治十帖)にはかかせない脇役です。

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4 Responses to 竹河(1・2・3・4・5) 玉鬘のその後

  1. 青玉 のコメント:

    ここでも玉蔓が望まぬ結婚でありながら多くの子を成して現実と向き合っている様子がうかがえます。
    目下の悩みは二人の姫君、すっかり母親をしていますね。

    前「紅梅」が薫24才ということはこれより10年前の状況でのお話と思えばいいのでしょうか?
    それにしても順序に違和感がありますね。

    お互い適齢期の娘や息子の時代に月日の流れを感じます。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。
      源氏の死後確実に年月は過ぎそれぞれの一族一家に盛衰があるようです。

      1.玉鬘一家のことが述べられる竹河ですが、大黒柱髭黒は亡くなり今や未亡人の玉鬘。この一家にはとりたてて後見人もなく謂わば零落貴族だと思うのですが冷泉院、今上帝からもチヤホヤされる。ちょっと不思議です。玉鬘&姫たちに魅力があったからでしょうが、財政的・政治的基盤には乏しいと思うのですが。

      2.p86脚注4に夕霧のことが解説されています。
        「なお、夕霧の性格は、夕霧巻以来、強引と尊大とが加わってゆき、後の宇治十帖では、思いやりに欠けたおもしろみのない人物として描かれることになる」
        
       →重要ポイントだと思います。あの真面目で誠実で思いやりのあった夕霧が、、、。私としては残念です。主人公が若い世代(薫・匂宮)になると副主人公(夕霧)はそういう悪役的な位置づけにならざるを得ないのでしょうか。晩年の源氏と同じですかね。

  2. 式部 のコメント:

     さらっと読む竹河に入りました。このあたりで別のコメントをします。
     今まで源氏を読んできて、その出典の多さに驚きます。
     漢詩、漢籍、日本の古物語、日記、和歌など紫式部の学問や教養の深さ、幅の広さには誰もが感心していると思います。
     宇治十帖に入る前にこうした貴族階級の教養や学問的な素養から少し離れた催馬楽についてまとめておきたいと思います。
     催馬楽は上代の地方歌や戯れ歌などに曲調をつけて、宮廷への雅楽として持ち込まれたもので平安貴族が400年にわたって愛唱したものです。
     以下に「源氏物語の宮廷文化」(植田恭代・笠間書院)の催馬楽の部分をまとめてみました。
     ◎源氏物語では催馬楽のでてくる回数が多いと同時に用いられる曲が多岐にわたっている。現在に伝わる催馬楽の曲目61曲のうち源氏物語にみられる曲は23曲にも及ぶ。公的な晴れの場の曲目だけでなく、もっと身近なところで口ずさまれていた曲が豊富に取り込まれている。
      次が一覧です。
     帚木・・・飛鳥井 我家
     若紫・・・葛城 妹之門
     末摘花・・妹之門
     紅葉賀・・山城 東屋(4ケ所)石川
     花宴・・・貫河 石川
     賢木・・・高砂(4ケ所)
     須磨・・・飛鳥井 妹之門
     明石・・・伊勢海
     澪標・・・高砂
     蓬生・・・東屋
     薄雲・・・桜人
     少女・・・更衣 安名尊 桜人
     初音・・・此殿 竹河
     胡蝶・・・安名尊 青柳
     常夏・・・我家(2ケ所)貫河
     真木柱・・竹河
     梅枝・・・梅枝 高砂
     藤裏葉・・葦垣(2ケ所)河口(3ケ所)
     若菜上・・青柳 我家 席田
     若菜下・・葛城
     横笛・・・婦与我
     竹河・・・高砂 梅枝(2ケ所)此殿(2ケ所)竹河(6ケ所)
     椎本・・・桜人
     総角・・・角総(2ケ所)
     早蕨・・・此殿
     宿木・・・伊勢海 安名尊
     東屋・・・東屋(4ケ所)
     浮舟・・・葦垣 梅枝 道口
     手習・・・道口

     ◎物語内容と詞章の関連が深い
     ◎源氏物語では催馬楽の世界を柔軟に掬い上げ、物語世界の人間関係に絡ませ、時には展開にまで関わっていく。
     ◎一種の「をかしみ」に近い美をもたらしている。それは情趣美に背反することなく調和している。
     ◎催馬楽を源氏物語に取り入れることは、単にひとつの歌謡を物語に用いたというだけにとどまらず、一見異質な美や価値観を物語に掬い上げることにつながり、これは物語の本質にも関わってくる。
     ◎平安貴族たちに愛唱されたはずの催馬楽は詞章に民衆を謡うものが多い。だがその俗的な内容も宴席での貴族たちの戯れた様子を思い合わせれば、貴族社会と相反するものではなく、むしろ十分に馴染むものであった。

     興味のあるかたは図書館で借りて読んでみてください。
     これからのストーリーを考える時、催馬楽をベースにもっているとより面白く読めるかもしれません。  

    • 清々爺 のコメント:

      待ってました! 貴重な解説ありがとうございます。
      (ご紹介の書籍買おうと思いましたが1300円でなく1万3000円でしたのでやめました)

      そうですか、54帖中29帖に催馬楽が出てくるのですか。催馬楽が貴族社会~庶民層まで幅広く愛唱されていたことが分かるし紫式部はきっと「催馬楽大好き人間」だったのでしょうね。

      現在残されているのが61曲、散逸したのを合わせると全体でどれぐらいあったのでしょう。でも千とか二千とかそんなに多くはなかったのでしょうね。何百年もに亘って繰り返し繰り返し歌いつがれてきたので皆覚えていて、それぞれに持ち歌があったのでしょうか。現代のカラオケと同じで「さあ、次は〇〇さんのXXです!」なんて囃されてしぶしぶを装いながら立ち上がって歌うとか。洒落者はちょっとアレンジして調子を変えて歌ったりとか。楽しい宴会の様子が浮かんできます。

      物語の展開にまで関わっていく、、、という点から振り返ってみました。
      薄雲9p186 で源氏が大堰に明石の君に逢いに出かけるときの紫の上との対話&和歌の贈答は催馬楽「桜人」そのものということでした。
      (先に「桜人」の歌句が念頭にあって、場面が作られたと考えたいほど、両者ぬきさしならぬ関係となっている(脚注))

      歌謡の世界、源氏物語の催馬楽を経て後白河法皇の今様、梁塵秘抄(遊びをせんとや生れけむ)に繋がっていくのでしょうか。

      またいろいろ教えてください。

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