紅梅のまとめです。
和歌
85.心ありて風のにほはす園の梅にまづ鶯のとはずやあるべき
(紅梅大臣) 中君を匂宮に
86.花の香にさそはれぬべき身なりせば風のたよりを過ぐさましやは
(匂宮) 宮の御方がいいんだ!
名場面
86.兵部卿宮内裏におはすなり。一枝折りてまゐれ。知る人ぞ知る」とて
(p58 紅梅大臣、匂宮に紅梅を)
[紅梅を終えてのブログ作成者の感想]
紅梅を2日間で終えました。テキストだとわずか27頁ですが新たにいっぱい人が出て来て「どれがどれやらさっぱりわからず、、、それがゴッチャになりましてわてほんまによう云わんわ」(買い物ブギ・笠置シズ子)と言うのが正直な感想でした。
とは言うものの二つ感じたところを記しておきます。
1.この帖は藤原の頭領紅梅大臣の存在にスポットライトを当てた帖と言えましょうか。桐壷帝の時代には左大臣・右大臣を藤原家で占め外戚としての権威を競いあったのですが朱雀帝・冷泉帝・今上帝では源氏の一族に押されて影が薄くなりつつある。そんな中紅梅大臣は頑張っており娘大君を東宮に入れ巻き返しを図っているのですよ、、、と作者は言いたかったのかと思います。夕霧と並び政治の重鎮ですが宇治十帖では殆どチョイ役としてしか登場しません。恐らく夕霧の力に抗しえず第二番手に甘んじていったのでしょう。
[藤原の頭領は
左大臣 - 頭中 - (柏木が亡くなったため弟の)紅梅大臣
となっていますが、実は、
左大臣 - 頭中 - 柏木 - 薫
なんです。考えると深いものがありますね]
2.読者の心に残る歌を詠み巻名にもなっている真木柱の君、この人の過去を振り返ってみました。
父髭黒と引き離され祖父式部卿宮に引き取られる 13才(真木柱)
祖父、柏木との縁談を望む。柏木、猫の方がいいとして拒絶 16才(若菜下5)
(この時柏木がOKしていれば、、、、あり得ない話ですが)
蛍兵部卿宮と結婚するがすぐ飽きられる 16才(若菜下6)
(不幸な結婚生活とあったがその後宮の御方が生まれている)
蛍兵部卿死亡、紅梅大臣の北の方になり男君が生まれ現在に至っている 46才(紅梅)
(30年も飛んでおり歩んだ人生が幸せだったのか不明ですが、波乱万丈ですね)
→若菜下5・6では真木柱の君への想いでコメント欄が賑わいました。
[2014年東京に二十数年ぶりに大雪の降った2月梅の季節に「紅梅」を読んでました、、、と記憶しておきましょう]
私が蔵人少将と勘違いした紅梅大臣はここが初登場でしょうか?
歴史にもしも?はないですが物語に、もしもがあれば話の展開は180度変わってきますね。
想像するのには何ら差し支えないですものね。
真木柱のその後がこの巻で明らかになり一応すっきりはしました。
13才から46才ですか、歳月を感じますね。
運命に翻弄されながら子宝も得、現在を受け入れているようですね。
この時代選択肢などなかったのですから女性として妥当な生き方だったのかもしれません。
梅の季節に「紅梅」
意図されたわけではないでしょうが印象に残りますね。
ありがとうございます。
1.紅梅大臣が出て来た場面調べてみました。それなりに出てはいますが謂わば子役としてで印象には残っていませんよね。
①父頭中が開いた負態の楽宴で高砂を謡い賞賛をあびる(賢木32 p200)
②源氏・玉鬘が篝火で秋を愛でる場に召し出され鈴虫に劣らず謡う(篝火3p188)
③その他楽宴の時は「例の弁少将」としていつも美声を披露している。
初音の男踏歌(初音6p38)
梅枝の薫物合せの月下の宴(梅枝3p198)
藤裏葉の頭中・夕霧仲直りの宴(藤裏葉4p241)
④死に際柏木から後事を託され頭中の跡取り息子に(柏木7p253柏木11p290)
2.真木柱の人生、考えさせられますね。おっしゃる通り自分に選択権はなく髭黒から引き裂かれ(真木柱は祖父の所へ行くより髭黒と玉鬘の家庭の方がいいと思っていた)、祖父の一存で好きでもない蛍宮と結婚し、すぐ飽きられ、、、。でも今は好きで通ってきてくれた紅梅大臣の北の方になり多くの子どもに囲まれ、先妻の娘(大君)が東宮に入内した時には晴れて参内もしている。ようやく幸せになれた、、、と言えましょうか。多くの真木柱フアンはほっとしたことでしょうね。
ど素人の私ですが、この紅梅は文章の格調もイマイチに思え、紫式部が書いたのか?と、学者先生、寂聴、清々爺皆さんが疑問を呈せられていることが、もっともに思えます。
それに、清々爺が書いています(引用)が、以下も変ですよね。
時系列的にもK24年の話で「匂兵部卿」とも繋がっていないしK20年から始まる宇治十帖との整合性もついていない。宇治十帖の「椎本」と「総角」の間に入れれば座りがいいのにとも言われてます。まあ、スンナリと行きましょう。
これも、ど素人の質問出すが、清々爺が上記であげておられる歌2首、紫式部の作として文学的評価はいかがですか。
2首目は、少々周りくどいですが、悪くないようにも思えます。爺の見解はいかがですか?
ありがとうございます。
1.ど素人の素朴な感想こそ当を得ているのじゃないでしょうか。書かれているのが古文で難しいことは当然ですがトーンやタッチは素人にもつかめますし何よりストーリーが平板でつまらなく頭にも心にも入って来ない、、、。他の帖は思い出すことができますがこの「匂宮三帖」は何度読んでもすぐ忘れて思い出せません。明日からの竹河も我慢してください。三月(橋姫)になると世の中明るく見えること保証しますから。
2.代表歌として原則一帖につき二首づつ挙げてますがこれは最初の講読会の時皆で選んだもので、その基準は文学的なものというより「巻名を表している」「詠者が巻を代表している」「一番重要な事件に関わっている」、、、ということでした。従って文学的評価や個人の好き嫌いは二の次としていました。この点ご承知おきください。
でも結果として総じて巻を代表する名歌が入っているとは思っているのですが。
一首目は巻名を表す紅梅大臣が詠んだ歌として選びました。
二首目はそれに対する答えとしての匂宮の歌です。私も匂宮らしくてなかなかいいと思います。
(そもそもこの巻には歌は四首のみで二首も選ぶ必要はないのかもしれませんが)
紅梅大臣、調べて下さってありがとうございます。
結構ちょこちょこと登場しているのですね。
印象が薄いと言うか清々爺さんが挙げてくださっているのでああ、そう言えばそんな箇所あったかな?という程度です。
それにしても人間の記憶(私)の曖昧さといい、いい加減さには自身驚いています。
万事に大雑把。私らしいと言えば身も蓋もありませんが・・・
明日からの竹河、今度は玉蔓のその後でしたね。
玉蔓と言えばその数奇な運命、やはりその後が気になるところですよね。
私はマニアックに些細な登場人物も拾っていますが、大筋に関係ないしそんなの思い出せなくても全く関係ありません。
→この人調べて感じたことは次男は辛いな、二番手は印象薄いなということでした。
玉鬘、楽しみにしてください。あの右近はどうしたのでしょうね。
匂宮と太夫の君が男色関係!!。
実は、原文(と現代語訳)を読み進むうち、何かおかしい、と
感じ始め、更に後半の匂宮と君のやりとりが
えらく色っぽくなってくるのでひょっとしたらとは
思ったのですが、・・・。最終的には(?)清々爺のコメントで
初めて確認しました。
この帖、”盲腸”みたいだと評されているようですが、
前半の真木柱の苦労話も真に迫っていましたし、
結構面白かったです。
所で、清々爺のコメントに「この帖は藤原の頭領紅梅大臣の存在に
スポットライトを当てた帖と言えましょうか。桐壷帝の時代には
左大臣・右大臣を藤原家で占め外戚としての権威を競いあったのですが
朱雀帝・冷泉帝・今上帝では源氏の一族に押されて影が
薄くなりつつある。」とありますが、
どこからこういう解読が出来たのですか?
(その栄華振りから、光源氏=道長と思っていましたが)
ありがとうございます。
紅梅も面白く読めたようで大したものです。盲腸ってのもいいですね。これいただいて「匂宮三帖」じゃなくて「盲腸三帖」って呼ぶのもいいかもしれませんね。
私が源氏の一族と言うのは源氏・夕霧・薫(表向き)です。源氏の姓を賜った光源氏を長とする一族ですから藤原ではありません。
源氏物語での藤原家の本流は左大臣-頭中-柏木(死亡)-紅梅大臣(右大臣)となるのですが、本帖の時点でも一番権勢を振るっているのは夕霧であり紅梅大臣は後塵を拝しています。また少し下の世代では薫が第一人者として崇められています。即ち源氏物語は史実と違って賜姓源氏が藤原家を凌いで世の中を牛耳っていく話になっている訳です。
望月の歌の道長の栄華振りは源氏物語の光源氏に通じると思いますが、賜姓源氏vs藤原家という観点からは光源氏=道長ではありません。
道長をスポンサーとした紫式部が何故賜姓源氏が栄華を極める源氏物語を書いたのか、道長がそれを許したのか、議論百出のところです。
源氏一族に薫(表向き)が並ぶのですからもしも薫の出生の秘密が公になれば薫のダメージは大きいですよね。
薫としては今の地位を保つためにはこの秘密は生涯秘しておきたいと思うのも無理ないことですね。
宇治の弁を意識せざるを得ない薫の心情、よく解ります。
ところで最近の研究では盲腸もやたら取らない方がいいとか云々・・・
それなりに価値があるような研究内容でしたね。
この三帖もそういう意味では私にとっては価値あるものでした。
「源氏物語での藤原家の本流は左大臣-頭中-柏木(死亡)
-紅梅大臣(右大臣)となるのですが」
シツコイようですが、
藤原家の本流を、上記のように解釈するのは、
単に、物語上、登場する権勢盛んな2派のうち
賜姓源氏を差し引けば、左大臣系が藤原本流に決まっている、
と言うことですか?
或いは、作品の中で、左大臣系が藤原家だと想像つくような
設定、説明が(物語の中で)されていましたか?
源氏物語は政治権力争いも描いていてその面では賜姓源氏とそれ以外の貴族との争いということですね。貴族は藤原氏だけに限りませんが当時一番強かったのは藤原氏なので源氏物語で賜姓源氏を除いた一番強い貴族(即ち私のいう左大臣系)が藤原氏ということになります。
物語中で左大臣系が「藤原氏」だと直接説明してある箇所はないと思いますが藤原氏を暗示してるところは随所にあります。ちょっと拾ってみますと、
①玉鬘が発見された場面 玉鬘8.p205 脚注25
「例の藤原の瑠璃君といふが御ために奉る」
②玉鬘の裳着の場面 行幸4.p22 脚注7
春日の神の御心違ひぬべきも、、
→春日の神は藤原氏の氏神
他にも絵合での弘徽殿女御(頭中の娘)と前斎宮の女御(秋好中宮)との冷泉帝後宮争い、梅枝・若菜下での今上帝をめぐる麗景殿女御と明石の女御との後宮争いでも源氏方vs藤原方と捉え方がなされています。