御法(4・5・6・7) 秋、紫の上死去

p246 – 258
4.紫の上、見舞のため退出の中宮と対面
 〈p260 夏になりますと、〉

 ①暑い夏になる。宮中から明石の中宮が二条院に見舞に訪れる。明石の君も加わり三人で懐かしく語り合う。
  →実子のいなかった紫の上には中宮が一番可愛かったのであろう。
  →明石の君は中宮に付き添っている。宮中と六条院を行ったり来たりだったのだろうか。

 ②紫の上 「おのおのの御行く末をゆかしく思ひきこえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心のまじりけるにや」
  →中宮とその皇子・皇女たちの行く末、もっと見たかったであろう。実感がこもっている。

5.紫の上、二条院を匂宮に譲り、遺言する
 〈p263 三の宮は、大勢の親王たちのなかでとりわけお可愛らしく、〉

 この段はまるまる名場面です。
 ①三の宮(匂宮)との対話、涙が出てきます。
  紫の上「まろがはべらざらむに、思し出でなんや」
  三の宮「いと恋しかりなむ。まろは内裏の上よりも宮よりも、母をこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは心地むつかしかりなむ」
  紫の上「大人になりたまひなば、ここに住みたまひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花のをりをりに心とどめてもて遊びたまへ。さるべからむをりは、仏にも奉りたまへ」
  →宇治十帖に繋がる重要場面です。

6.紫の上、源氏・中宮と決別ののち死去する
 〈p264 ようやく待っていた秋が訪れ、〉

 ①秋になる。
  さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど
  →和泉式部の歌が引用されている。
   秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ

 ②中宮は夏以来二条院に留まっていたのだろうか。紫の上の居室に見まいに出向く。

 ③こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれと、、、
  →死の直前まで美しい紫の上の様子

 ④源氏も見舞に訪れる。三人での唱和、紫の上最後の歌である。
  紫の上 おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露 代表歌
  源氏 ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先だつほど経ずもがな
  明石の中宮 秋風にしばしとまらめつゆの世をたれか草葉のうへとのみ見ん

  →はかなく消える露
  →国宝源氏物語絵巻 御法 の名場面です。

 ⑤宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、御誦経の使ども数知らずたち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御物の怪と疑ひたまひて夜一夜さまざまのことをし尽くさえたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。
  →中宮に手を握られ源氏に見守られて紫の上は静かに息を引き取る
  →紫の上も一番可愛かった中宮に最後を看取られて嬉しかったことだろう。  

7.源氏、夕霧に、紫の上落飾の事をはかる
 〈p269 中宮も、宮中にお帰りにならない前に、〉

 ①二条院は皆騒ぎ惑い悲しみに包まれる。

 ②この世にはむなしき心地するを、仏の御しるし、今はかの冥き途のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべきよしものしたまへ。
  源氏は生前叶えてやれなかった落飾を夕霧に手配させる。

 ③夕霧は源氏に比べ冷静。4年前一旦死にかけて生き返った経験からまだあきらめず残った僧たちに誦経をさせる。
  →結局剃髪はされたのかされなかったのか。
  →脚注はされてないとしているが、、、。作者は明確に書かず読者の判断に委ねたか。

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2 Responses to 御法(4・5・6・7) 秋、紫の上死去

  1. 青玉 のコメント:

    永遠の別れを前にしていくら出家願望とはいえ紫の上の心中はまだまだこの世への未練はたっぷりだったでしょう。
    愛する人達との別れを思えば当然でしょうね。

    特に可愛がっていた孫、三の宮との遺言とも思える対話には涙します。
    私のことを桜や梅を見るたび思い出して下さいね。
    大好きなお祖母様のことを忘れるものですか、幼い三の宮涙の会話がいじらしいです。
    紫の上はこの皇子を抱きしめたい思いだったでしょうね。

    そして三人の最後の唱和、紫の上らしい夜明けの哀しくも美しく静かな死・・・
    読者も悲しみに耐えなく言葉も見つかりません。合掌・・・

    生前の願望だった落飾は叶ったのか叶わなかったのか?・・・

    昨日の「出家」について
    出家が婚姻関係においてどのように扱われたのか例の「源氏物語の結婚」の本からは以下のようにありました。
    出家にはいくつかの異なった様態があり婚姻との関係もそれにしたがって差がある。
    出家して僧籍に入る本格的な出家の場合は俗人として本籍を離れる定めでおのずから離婚となりその場合特に問題ないがはっきりしないのが在家で戒を受ける場合である。
    出産や病気平癒のための戒など日常生活に影響しない事例もあり夫婦の関係が絶えたことをうかがわせる事例もあると言うことで過去の天皇家や摂関家の実例が引かれていました。
    例えば源氏物語中の女三宮の場合ですが源氏の承諾を得ぬままに朱雀院が出家させたのは単に世間をごまかすための手段であり目的は源氏と引き離すことで婚主の判断が重く婚姻関係が解消されたと見なしてよいであろうとの事です。

    でも清々爺さんも指摘しておられますがそのまま六条院に住んでいるのも不思議ですよね。
    ようするに時と場合によっていろいろな形態があるということなんでしょうか。
    ややこしくて複雑ですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.紫の上の死。可愛かった中宮(出ない乳房を含ませたなんて場面もありました)に手をとられ朝露が消えるように命が果てる。源氏物語中で一番悲しい場面ではないでしょうか。直前の源氏物語絵巻の構図とともにしっかり記憶しておきたいと思います。

       これまでの主な人の臨終の場面をピックアップしてみました。押し並べてあっさりなものが多い中で紫の上の場合が一番濃密に描かれています。
        (宮は御手を、、、以下、、消えはてたまひぬ。 まで投稿欄に載せました)

       桐壷更衣 「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」(桐壷p22)
       夕顔 ただ冷えに冷え入りて、息はとく絶えはてにけり。(夕顔p239)
       葵の上 内裏に御消息聞こえたまふほどもなく絶え入りたまひぬ。(葵p56)
       六条御息所 七八日ありて亡せたまひにけり。(薄雲p246)
       藤壷 灯火などの消え入るやうにてはてたまひぬれば、(薄雲p198)
       柏木 泡の消え入るやうにて亡せたまひぬ。(柏木p264) 
       紫の上 かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。(御法p256)

      2.「源氏物語の結婚」に基く出家の解説ありがとうございます。改めて該当部分拾い読んでみました。

       なるほど、女三の宮の出家は婚主(女の保護者)である朱雀院が源氏の承諾なく勝手に行ったもので目的は娘を源氏から引き離すことですか。朱雀院もやるものですね。

       昨日進乃君と出産直後出家するなんて世間に「道ならぬ出産」を公言するようなものじゃないかとコメントし合いました。「源氏物語の結婚」によると産後病に苦しんでいるこの機会に出家させれば夫婦仲の悪さだの「道ならぬ出産」だの物笑いにならずにすむ、それで源氏とを引き離すことを目的に出家させたとのこと。
       →なるほどと思いました。色々読み方があって面白いですね。

      3.式部さん推奨の明星大学三橋准教授のネットによると、出家には:

        生前出家 仏道修行すべく俗縁を捨てる所謂出家
        臨終出家 死の直前あの世で優遇されるため急遽行う出家
        死後出家 死後葬式の際戒名をもらってする出家(現在皆やっていることか)

       この三種類があるとのこと。生前出家のあり方については依然疑問が残りますが、臨終出家・死後出家は面白いですね。戒名ってそういうもんなんですかね。

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