御法 なほ春のましろき花とみゆれどもともに死ぬまで悲しかりけり(与謝野晶子)
源氏の一の人紫の上の死を語る源氏物語中一番悲しい巻だと思います。女三の宮も朱雀院も出てきません。若菜上下・柏木・夕霧と異なり会話や心内語は少なく淡々と事実が叙述されます。
p236 – 246
1.紫の上病重く、出家の志も遂げえず
〈寂聴訳 巻七 p252 紫の上は、あの御大病の後は、〉
①G51年春 紫の上が大病を患ったのは4年前 現在紫の上は43才
その後小康状態ではあったが年とともに弱ってきている。
②紫の上は予てから出家したいと願望しているが源氏が許さない。
出家のあり方
出家するのは仏道修行に精を出し死後成仏して極楽へ行きたいからなのか。
出家したらしてはならないこと
出家してもしていいこと
→この辺りがよく分からないので出家願望だのそれは許さないだの言われてもピンと来ないのが正直なところです。
③ただうちあさへたる思ひのままの道心起こす人々
→こういう人もいたようですが、出家した後どうしてたんでしょうね。
2.紫の上、法華経千部供養を二条院で行う
〈p254 紫の上は長年にわたって、〉
①紫の上の里は二条院。10才で連れて来られてから27才で六条院に移るまで17年間過ごしたことになる。
②女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひたまひける御心のほどなどを、、、
→紫の上は仏道に精進して法会のことにも通じている。
③三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなどもうららかにものおもしろく、
→春が好きな紫の上、桜が満開の春に華やかに供養を行う。
→これが最後の春なんだとの自覚があったのだろう。
④六条院から明石の君、花散里が参列し紫の上と歌を詠み交す。
紫の上 惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪尽きなんことの悲しさ
明石の君 薪こる思ひは今日をはじめにてこの世にねがふ法ぞはるけき
→色々あった二人、恩讐を超えての贈答
⑤高僧たちの誦経の大合唱。楽人・舞人の華やかな楽宴。
ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花のいろいろ、なほ春に心とまりぬべくにほひわたりて、
→華麗を極める大法会、でも紫の上の死期は刻一刻と迫っている。
→紫の上 春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す (野分2.p196)
3.紫の上死期の近きを感じ、名残を惜しむ
〈p258 昨日はいつになく起きておいでになったのがひびいたのか、〉
①さすがに情けをかはしたまふ方々は、誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我独り行く方知らずなりなむを思しつづくる、いみじうあはれなり。
→源氏の一の人と自負してきた自分だが先に死んでしまう、、、残念で悔しい気持ちだろうか。
②紫の上 絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを 代表歌
花散里 結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも
→源氏物語における花散里の存在感は大したもの、派手ではないがずっしりしたものがある。
紫の上の病はやはり精神的なものだと思います。
長年にわたる源氏の女性関係でどれほど心をすり減らしてきたことでしょう。
望みの出家もままならずあわれという他ありません。
ただただ法華経供養で救われたいと言う願望でしょうか・・・
紫の上らしい死期を覚悟した春の宴にも似た華麗で荘厳な法会の催しです。
ライバル、明石の君との邂逅とも言えるような和歌の贈答ですが果たしてその心の内は?
そして花散里との最後の和歌
紫の上の和歌もさることながら花散里のもいいですね。
生々世々の素直な心の交わりが感じられ感慨深いです。
ありがとうございます。
1.紫の上の心労はG40年2月女三の宮が六条院に降嫁してきて以来ずっと重くのしかかっておりG47年ついに発病、その後も回復は芳しくなかったのでしょう。この所の柏木物語→夕霧物語と殆ど紫の上のことが語られておらず読者も忘れ気味だったのかもしれませんがその間も彼女の心の悩みはずっと続いていた。考えると可哀そうですねぇ。G47年の女楽の後の発病、これは源氏への絶望からでしょうしその後も出家を訴え続けるのに拒否されてばかり。これでは心の病は回復のしようがありません。
→やはり源氏の処し方に大いなる疑問を感じます。
2.紫の上vs明石の君、二人の心の内(本心)はどうだったのでしょうね。慎みを以て旨とする明石の君にはこの時点では憎しみのような気持ちはなかったと思います。ただ実娘が国母となり繁栄を極める明石一族への羨みの気持ちはあったと思います。
→明石の君の返歌は正に必要十分でありそつがない。さすがですね。
出家すれば婚姻関係が解消されるということがこの物語のポイントの一つだと思います。来世を願う気持ちも勿論あるでしょうが、諸々のわずらわしい男女関係から逃れる方法として特に女性には出家願望があったのかもしれません。男性の出家願望とは少し違う要素があるように感じます。
私も出家のことよくわからないので、「出家 平安時代 貴族」で検索してみました。
そのなかで明星大学のものがわかり易かったです。
あとはタイトルだけでとても読む気にはなりませんが、三橋正著「平安時代の信仰と宗教儀礼」がとても詳しいように感じました。誰か読んで教えてください。
ありがとうございます。
なるほど、出家は婚姻関係解消のためですか。第一のポイントかもしれませんね。
p238脚注1 に「出家した場合、俗縁はいっさい断ち切るのがたてまえ。したがって、夫婦で出家しても同じ所に住めない」とありますがこれはどうなんでしょう。女三の宮は出家しても六条院に住んでいるし、空蝉は二条東院にいるわけで山に籠っているわけではないですからね。朱雀院は西山に居るものの俗縁に関わってくるし、、、よく分かりません。
「出家」なんていい加減なものであったのか、源氏物語で書かれている「出家」はちょっと違ったものであったのか、、、この辺寂聴さんにでも聞いてみたい所です。