夕霧のまとめです。
和歌
78.山里のあはれをそふる夕霧にたち出でん空もなき心地して
(夕霧) 今日はもう帰れない!
79.女郎花しをるる野辺をいづことてひと夜ばかりの宿をかりけむ
(一条御息所) 雲居雁に奪われたいわくつきの手紙
名場面
78.「、、、世の中をむげに思し知らぬにしもあらじを」とよろづに、、、
(p107 夕霧、泊る・迫る・拒まれる)
79.いととく見つけたまふて這い寄りて、御背後より取りたまうつ
(p136 雲居雁、文を奪う)
80.埋もれたる御衣ひきやり、いとうたて乱れたる御髪かきやりなどして
(p216 塗籠の中、夕霧ついに女二の宮と契る)
[夕霧を終えてのブログ作成者の感想]
夕霧を終えました。けっこう長かったですね。夕霧の恋物語いかがでしたか。柏木の異常とも言える度を越した強烈な恋に比べると如何にもまめ男夕霧のやや優柔不断な恋物語だったでしょうか。秀才で公務では抜群の仕事ぶり、プライベートでは幼馴染の恋女房と子だくさんの家庭を営む中年男(と言っても29才だが)。そんな真面目男が一度恋に目覚めてしまうと見境がきかなくなる。現代にも通じるお話のようです(私にはそんな勇気はありませんが)。
柏木物語では妻(女二の宮)のことは殆ど出てきませんでしたが夕霧物語では雲居雁が何度も登場し子どもを挟んで痴話喧嘩を繰りかえす。挙句は妻は実家に帰り夫が迎えにいくが妻の機嫌は治らない。通俗小説タッチで読者も自分の家庭を重ねて楽しんで読んだのではないでしょうか。
ストーリーとしては夕霧・一条御息所・女二の宮の意思伝達がうまくいかないため誤解が誤解を生んで思わぬことになってしまう。コミュニケーションって一つ間違うと恐ろしいなあと感じました。小野の律師に余計なことを言わせる場面と雲居雁に大事な手紙を奪わせる場面、すごい仕掛けだと感心しました。
女郎花しをるる野辺をいづことてひと夜ばかりの宿をかりけむ(一条御息所)
この歌一つで色んなことが議論できるのではないでしょうか。
女二の宮の心の内は今一つ分かりませんが皇女の身の処し方の難しさを感じます。まじめ男が皇女(皇族)に恋を仕掛ける、それに対して女宮はどう対応するのがいいのか、、、宇治十帖にそのまま繋がっていくテーマであります。
さて夕霧物語は終わり、紫のゆかりのお話の終盤、来週から御法に入ります。
(付記) 1月18日行われたセンター試験国語に「夕霧 34」雲居雁が実家に帰る場面がそっくり出題されて余りのタイミングにびっくりしました。いい思い出になります。
まじめ男、夕霧が中年になってからの始末におえない浮気による家庭騒動でしたが深刻な場面にも何やらおかしみがあり楽しめた巻でした。
センター試験に出題された34も解答はともかく我々には時間たっぷり、余裕で臨めましたね。
受験者諸君には時間の余裕も問題を楽しめる雰囲気すらなかったことでしょう。
年をとると言うことは悪くはないですね。
もの覚えも悪くなり体力も若い人のようにはいきませんが境涯が変わります。
ところで源氏はじめ柏木、夕霧共に皇女には特別な思いがあるようですが・・・
単純な私には皇女ってそんなに有り難いもの?特別なのって思えるのですが。
やはり特別なんでしょうね。
女郎花しをるる野辺をいづことてひと夜ばかりの宿をかりけむ
御息所の誤解を伴うこの和歌が発端で物語が劇的に進行し思わぬ結果を導く・・・
紫式部、よくぞ考え付いたものだな~との思いです。
お勧めの「源氏物語の結婚」読み終えました。
平安時代の結婚の形式が一夫一妻制で法的、社会的にも守られていたことがよく理解できました。
媒人のいない婚姻が正式ではなく軽く見られたこと、正妻との間に恋愛物語は成立しない。
恋の相手は正妻となりえずまたその子の扱いにも差が出るなどとてもおもしろく読ませる内容でした。
これで今までの間違った観念も払拭することができ源氏物語のそれぞれの女性の立場(特に紫の上)も自ずと理解することできました。
ありがとうございます。
1.皇女への特別の想い、これは当時の身分社会とりわけ天皇絶対崇拝の社会の空気の中に住んでないと理解できないと思います。品定めの所で上の品・中の品の論議がありましたが皇女は上の品(王統或いは大臣クラスの上流貴族の娘)とも違う別カテゴリーの女性なんでしょう。
更にその皇女の中にも序列がある。朱雀帝の皇女で言えば女一の宮(この人殆ど出てこないのでよく分からない)はともかく女三の宮が上位で女二の宮は落葉の宮などと言われる程に下位に見られる。(下位であっても皇女は皇女。夕霧には特別なものに見える)、、、難しいもんですね。
人物本位で評価する現代社会では想像つかない世界ですね。
2.「源氏物語の結婚」、色々知見が高まったようでよかったですね。
紫の上が朝顔の姫君の出現に心を悩ませ、明石の君には何とか上位を保てたものの女三の宮の降嫁で絶望感を抱いたことがよく分かりますよね。
婿取り婚で三日間通い餅で祝うことの大事さもあります。それを怠った(誤解とは言え)夕霧に一条御息所が絶望したこともよく分かります。
何人もの女性を持てる平安時代であっても無秩序なものではなくキッチリと制度があったということだと思います。
お正月明けより長いお話となりましたが、清々爺も言っているように、現代のテレビドラマにもなりそうな、いかにもありそうでなさそうな恋と家庭の話で、面白く読めました。
源氏物語には季節の風景を愛でた文章が多くありますが、P98にある
“日入り方になりゆくに、空のけしきもあはれに霧りわたりて、山の陰は小暗き心地するに、ひぐらし鳴きしきりて、垣ほに生ふる撫子のうちなびける色もをかしう見ゆ。前の前栽の花どもは、心にまかせて乱れあひたるに、水の音いと涼しげにて、山おろしこころすごく、松の響き木深く聞こえわたされなどして、不断の経読む時かはりて、鐘うち鳴らすに、立つ声もゐ変はるもひとつにあひて、いと尊く聞こゆ。”
は、小生は名文で好きになりました。
話を本題に戻しますが、夕霧と女二の宮の関係について、何故二の宮は何事も隠さぬ仲の一条御息所に本当のことを言わなかったのか、少し考えさせられました。
P129最期の行で ”宮も、-------、聞こえたもふこともなくてみたてまつりたまふ。”とありますが、言えば良いのにと思いました。
母・娘ではこんなことは言えない、増して皇女では言うことなどあり得ないということでしょうが、如何ですか。
それと、P222最後の文章、”いかなる人、こうようなることをかしうおぼゆらんなど、もの懲りいぬべうおぼえたまふ。”は、夕霧の人間性を上手く総括したと、流石紫式部と、思った次第です。
歌では
たましひをつれなき袖にとどまおきてわが心からまどはるるかな (夕霧)
と
人の世のうさをあはれと見しかども身にかへんとは思はざりしを (雲居雁)
が気に入りました。
センター試験の国語、源氏物語の設問に、小生も昨晩挑戦しました。現代訳にたすけられ原文を読んだ後でしたので、はなしの筋は当然解っていたのですが、文法を除き、青玉さんとおなじ5問正解でしたので、あの青玉さんに並べるなど大したものと、実は現代訳でも読んだ直後だからですが、感激気味です。
それにしても、こんな難解な古文が出てきて、意味がわかる高校生などどれほどいるのか、小生などお受験していたら、主語も解らず、チンプンカンプンだったろうと、出題に疑問を感じました。さらに、選ぶ答えのひっかけには、50年前の受験時代を覚え出すほど、同じような回答群で、当時は解らずとも正解を選ぶ力に長けていたと思うのですが、それにしても何にも進歩していないように思えました。
最後に最近見た映画について、皆さんのどなたかが見たと書いておられたようにも思うのですが(ブログをひも解きましたがすぐには確認できませんでした)、”永遠のゼロ”を今週見て来ました。中々良くできたストーリーで(ベストセラー 一位)、映画もロングランだけあった上手く出来上がっていました。思ったことは、源氏物語の男の世界と、ZEROの男の世界、そのうちでも奥さんへの思いは、究極の対峙する世界だと思いました。時代背景が全く異なるので難しいですが、恐らく生身の男は、この両方の性を多寡は違うが持ち合わせていると考えさせられる、興味深い映画でした。お薦めです。、
その前に見た映画が、昨秋ですが、”風立ちぬ”で、ストーリーは”永遠のゼロ”とは違いますし、アニメですが、奇しくもゼロ戦の話で、この映画も、宮崎 駿 監督最後の作品ともなり、面白かったです。
早速のコメントありがとうございます。
1.小野の山荘の秋の日暮れの描写、いいですよね。スッと読んで頭に入るし、名文だと思います。
2.p129 母娘の対面の場面、ポイントの所だと思います。結局母からは問が発せられず娘からの回答はなかった訳ですが、沈黙の中にお互い思っていたことに擦違いがあったのではないでしょうか。
実事があったと思っている母は露骨に聞いては不憫だと思いさぐりを入れるにとどめる。
「小侍従から事情を聞いた母は実事まではなかったことを分かってくれている」と思っている娘は無体なことを仕掛けられたことだけで恥ずかしく思い、ただ泣くばかり。
それを見て母は益々実事はあった、夕霧はちゃんと責任取ってくれるだろうな、その始末は私の責任でつけさせなくっちゃと思う。
そして歌の贈答、手紙の行き違いの悲劇へとつながるということですかね。
3.センター試験へのコメント全く同感です。昔評論家が自分の文章が問題に出され設問を解いてみたが答間違った(or分からなかった)なんて嘘のような話がありました。そんなもんでしょう。受験は学問じゃなく点数を取る技術だってことがよく分かりますね。
4.「永遠のゼロ」よかったですか。戦争ものは敬遠してるんですが貴君のコメントで見ることにしました。官兵衛の岡田クンですしね。
追記
「ブログをひも解きましたがすぐには確認できませんでした」
→ブログのどこかに出てたなと思う事項があったら右の検索欄にキィワードを打ち込んで検索してみてください。私の投稿欄の部分は全て言葉を拾ってくれます。残念ながらコメント欄まではカバーしてないようで「永遠のゼロ」で検索してもダメでしたが。。
→例えば「源典侍」で検索すれば私が源典侍に言及している投稿が全てピックアップされてきます。
ご参考まで。
清々爺へ
追記の件了解。利用します。THANKS
追記を読んでえっ!!そうなんだ。
さっそく試してみました。バッチリでした。
今まで気付かなくて損しました。
私も時々遡ってブログを繰ることがあるのです。
そうなんです。ちゃんとご案内しなくて失礼しました。でも実は私自身も最近知ったのでして、、、。使い道がありますよね。活用してください。
この帖の始めの夕霧と落葉の宮とのやりとり(歌)、開き直った
男と女と言う感じがして とても現代的な事に驚きました。
我のみや憂き世を知れるためしにて
濡れそふ袖の名を朽たすべき
おほかたは我濡衣を着せずとも
朽ちにし袖の名やは隠るる
そして、この場面の最後の落葉宮の捨て台詞、「明かさでだに
出でたまへ(せめて夜を明かさずにお帰り下さい)」も渋いですねぇ。
歌と言えば、雲居の雁が夕霧の浮気を疑う時の歌も好いですね。
あはれをもいかに知りてか慰めむ
あるや恋しき亡きや悲しき
下二句の”あるや恋しき亡きや恋しき”なんて
坂本冬美に歌わせたいですね。
この帖は投稿のやりとりが、面白く、裏取りとか
詳細チェックしている内に どんどん時間が経って
ますます遅れてしまいました。でも 流し読みするのは
勿体ないので この調子でチンタラ着いていきます。
余談ですが 清々爺のコメントに
「『塗籠』、紫式部は好きですねぇ。藤壷・女二の宮、
そして今後も塗籠は出て来ます。」と。
恥ずかしながら、塗籠 と言う空間の事、初めて知りました。
(ネットでもどういうものかチェクしました。)
良く考えれば 広い木造家屋には 外光が射さない中心部は
一種のエアポケット化をする訳で そこに柱隠しをして
隠れ部屋みたいなものを誂えたのですね。
(話は飛びますが、刑事コロンボ(現在もNHKBSで再放送
しています)で、この塗籠を使ったトリック殺人事件が
ありましたよ。)
昨日のテニス場まるで春。その見返りに
一晩中、鼻水、目の痒さ、咳が止まらず。今年は
花粉症は 大した事がないと思ったのが浅はかでした。
ありがとうございます。しっかりと夕霧を読み終えましたね。ドンドン色んなチェックを入れて時間をかけて楽しんでください。
夕霧が落葉宮(女二の宮)と過した小野での一夜、二人は三首づつ歌を詠み交しているのですね。恨み言の応酬かもしれませんが心の交流はあったということでしょう。実事なき一夜はやはり拙かったですよね。
「あるや恋しき亡きや恋しき」坂本冬美ですか。なるほど。石川さゆりもいいかも知れませんよ。
花粉症の季節過ぎるまで大人しく机に座って源氏に勤しんではいかがですか。晴読雨読って言葉もあるじゃないですか(ある訳ないか)。