p60 – 65
3.貴顕参列、帝以下の布施豪勢をきわめる
〈p113 親王たちも例によって大勢いらっしゃいました。〉
①いつもながら親王たちも集まり華やかな催しになる。
→紫の上の取り仕切り
②朱雀院からも内裏(今上帝)からも盛大な布施が寄せられる。
→源氏への気遣い+女三の宮への慰め・激励だろうか。
4.源氏、女三の宮のため細心に配慮する
〈p114 女三の宮が出家なさいました今になって、〉
①朱雀院は三条宮を女三の宮に譲渡し源氏が立派に修繕しいつでも六条院から移って住めるようになっている。朱雀院は移らせたいし女三の宮も六条院から離れたい。でも源氏は別居を許さない。
明け暮れ見たてまつり聞こえうけたまはらむこと怠らむに、本意違ひぬべし
→これは本音であろう。女三の宮には未だ複雑な気持ちがあるものの手放したくはない。
②財宝、財産みな三条宮に集め女三の宮の将来の生活に備えさせている。
→朱雀院も源氏もそこまでやるか!ちと異常である。
5.女三の宮の出家生活 源氏の未練を厭う
〈p115 秋の頃には、尼宮のお部屋から〉
①春の町女三の宮の寝所の前を虫のすだくような野原へと改造する。
→華やかであるべき春の町に出家者が住むのはぎこちない感じがする。
②女三の宮の出家に付き合い尼となった女房十余人ばかり。
→5、60人の中から選んだとあるが出家できるような女房がそんなにいたのだろうか。
→それなら何故女三の宮を守ってあげられなかったのだろう。
③なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへば、例の御心はあるまじきことにこそはあなれと、ひとへにむつかしきことに思ひきこえたまへり
→源氏は未だ女三の宮への未練(性愛)が断ちきれない。
→性愛はともかく「かわいさ」「いじらしさ」「あわれさ」の混じった気持ちだったのでは。
④脚注15 「中宮定子が出家後帝寵を受けて出産した例もあある」
→この経緯も強烈です。興味ある向きには調べてみてください。
⑤源氏に煩わしいことを言われる女三の宮、六条院を離れ三条宮で静かに暮らしたいと思うのは自然であろう。
内裏(今上帝) 山の院、院の帝(朱雀院) 院(源氏)と使い分けられているのがこの頃になってようやくフンフンと理解できるようになって来ました。
それと主語が省かれていても誰を指すのか読み進める内にわかってくるものですね~
それにしても女三の宮の全く関わらない(意思のない所で)出家の儀式がどんどん豪勢に進み取り仕切られるのには驚きです。
出家というものはひっそりと内々にするのかと思っていましたが・・・
源氏の心境は様々入り混じった複雑な心境ですね。
女三の宮に対する未練、許し難い気持、出家に追いやった罪の意識、とにかく身近に居て欲しい・・・
この期に及んでなお吹っ切れない、つくづく未練ったらしい男ですね。
それに引き換え女三の宮の方がよほど潔いです。
思えば数多の女房の中で誰一人優秀な女房がいなかったのは不思議ですね。
女三の宮を上手く教育しリード出来る賢い女房がいれば運命も又変わったやもしれません。
歴史にも完成した小説にも、もしやはありませんものね・・・
ありがとうございます。
1.物語作者(即ち登場人物)はいつも今上帝・朱雀院・源氏の3人のことを意識して物語を進めています。3人の呼び方は都度違うので、これは誰かなと考えるようにしていると自然と分かってくると思います。源氏物語はやはり天皇家のお話なのだと痛感します。
2.おっしゃる通り出家者のやる開眼供養がこんなに華やかであっていいものか疑問ですね。何気なく読んでいましたがご指摘を受けて「そんなバカな」って感じがしました。「出家とはなんぞや」、、、ってことですよね。今後も繰り返し出家、出家と出て来ます。紫式部は出家をどう捉えていたのか(手放しの讃美者か懐疑論者か)考えていきたいと思います。
3.源氏の女三の宮への気持ち、確かに未練ったらしいですがちょっと弁護したくなりました。未練にみえるのは女三の宮への優しさかもしれません。未練を捨てて三条宮へ送り出し一切おかまいなし知らんふりというのも冷たいのじゃないでしょうか。源氏は冷血漢ではなく温かい心を持つ未練ったらしい男、、、そう思いたい面もあります。
言われてみれば確かにそうかも知れませんね。
優しいからこそ思い迷い悩む、人間の煩悩はそう簡単に断ち切れるはずがありません。
真の冷血漢なら思い惑うことなく簡単に切り捨て置くことでしょう。
簡単に割り切れないところが源氏の人間たる優しさかも知れません。