p160 -174
31.源氏に柏木の文を発見され、女三の宮泣く
〈p271 翌朝は、まだ朝の涼しいうちに〉
重要場面
①女三の宮にほだされてもう一晩泊った源氏、女三の宮は情交の疲れでまだ寝ている。
御褥のすこしまよひたるつまより、浅緑の薄様なる文の押しまきたる端見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。
→ジャジャーン! 源氏、柏木から女三の宮への手紙を発見
→扇が小道具としてうまく使われている。
→この場面、源氏と朧月夜の密会露見の場面(賢木)とよく似てると思うがどうか。
②驚き女三の宮の不注意を難詰する小侍従。女三の宮はただただ泣くばかり。
女三の宮「いさとよ、見しほどに入りたまひしかば、ふともえ起きあがらでさしはさみしを、忘れにけり」
→誠に正直な告白。幼い皇女であれば仕方あるまい。
③アレコレ遠慮なく糾弾する小侍従
→今さら言っても始まらない。密会を手引しその後もズルズルと手を貸し、挙句は手紙を取り次ぎ源氏に見つけられてしまう。全ては小侍従の責任である!
→思えば女三の宮は柏木に襲われることなど思いもかけず妊娠させられ、まだ性懲りもなく欲しくもない手紙なぞを送られそれが一番恐い源氏にバレてしまう。女三の宮に何の罪もない。悪いのは柏木と小侍従、女三の宮がいささか気の毒である。
32.源氏、密通の事情を知り、思慮憂悶する
〈p275 源氏の院は、例の手紙がまだ腑に落ちませんので、〉
①源氏、柏木の手紙をじっくり読み返す。
年を経て思ひわたりけることの、たまさかに本意かなひて、心やすからぬ筋を書き尽くしたる言葉
→事の経緯が詳しく書かれている。恋文にはあるまじき文面。
→源氏は柏木が玉鬘に出してきた恋文を見ているので柏木の筆跡を覚えている(胡蝶4 p67)
②「さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき、、、」源氏の心内が長文で語られる。
帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど、それは、また、いふ方異なり、、
内々の心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかることはさらにたぐひあらじ
→紫の上よりも丁重に扱ってきたのに、、、考えれば考えるほど許しがたい行状である。
→でも外に知られては困る、、、と思うに、待てよ、、、
③故院の上も、かく、御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせたまひけむ、思へば、その世のことこそは、いと恐ろしくあるまじき過ちなりけれ
桐壷帝は源氏と藤壷の密通を知っていて知らず顔だったのだろうか、、、
→源氏物語中最重要ポイントの一つでしょう。
桐壷帝「皇子たちあまたあれど、そこをのみなむかかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」(紅葉賀9 p208)
33.源氏・女三の宮・柏木それぞれ苦悶する
〈p278 源氏の院はつとめてさりげなくしていらっしゃいますけれど、〉
①紫の上「心地はよろしくなりにてはべるを、かの宮のなやましげにおはすらむに、とく渡りたまひにしこそいとほしけれ」
→源氏の悩む様子を見て病み上がりの紫の上の優しい配慮(この寛容さは吉祥天女ならん)
②紫の上「ここには、しばし、心やすくてはべらむ。まづ、渡りたまひて、人の御心も慰みなむほどにを」
→紫の上は二条院で別居している方が心が安らぐと考えている。本音であろう。
③小侍従から事の露見を告げられた柏木、身も凍むる心地して、言はむ方なくおぼゆ
→文字通り凍りついたのではなかろうか。
身のいたづらになりぬる心地すれば、、、
→百人一首 No.45 藤原伊尹
哀れともいふべき人はおもほえで身のいたづらになりぬべきかな
身の破滅である。
④女三の宮の軽率さもあるが結局は自分が招いた身の破滅。自業自得であろう。
→柏木をどう評価していくか、まだまだ柏木物語は続きます。
本当、この場面ハラハラドキドキです。
女三の宮、皇女とは言えいかにも鷹揚過ぎます。
小侍従の詰問は上から目線ですね。
それほど女三の宮がいまだに幼いと言うことでしょうか
そう言えば朧月夜との塗籠の場面でしたかしら?思い出しますね。
文を見つけた源氏の胸中、様々な思いに至る。
その心内、事細かに表現されており過去の藤壺との不義密通に思いを巡らせる・・・
まことに因果応報、因果はめぐるものですね。
自分も同じようなことをしたではないかと思わなかったでしょうか?
ここで一番知りたいのは果たして桐壺帝は藤壺との密通を知っていたのかという疑問です。
これは桐壺帝だけにしかわからない永遠の謎でしょうか?
源氏はいわば二人にコケにされたとの思い無きにしも非ずではないでしょうか?
そして質は違えど柏木と女三の宮の苦悩も計り知れないものがあるでしょう。
それぞれの苦悩を抱えて今日の場面は息をのむような緊張の連続でした。
ありがとうございます。
1.おっしゃる通り小侍従は女三の宮に対し上から目線ですねぇ。作者も「馴れきこえたるなめり」と書いてますがちょっとやり過ぎでしょう。読み返してみても謝りの一言もありませんからね。身分を弁えない小侍従の遠慮のない糾弾は読んでいても気分悪く女三の宮が「あわれ」(かわいそう)です。
2.朧月夜との密通露見は右大臣邸の朧月夜の自室(対屋)でした(賢木33)。塗籠は三条邸に藤壷を襲った凄い場面でした(賢木16)。襲ったり、襲われたり、密会がばれたり、、、。現代では考えられない男女のオープンさです。
3.桐壷帝が知っていたかどうか、永遠の謎ですね。源氏には過往のツケが一気に回ってきている感じです。苦悩する源氏、第二部のメインテーマです。
盲目状態の柏木、思慮の足らない小侍従、意志があるのかないのかよくわからない女三宮、こういうケースもありなのか? 物語とはいえ、すっきりしません。
現在進行中の「あわれ柏木」物語はちょっと横に置いて、別の話題です。
京都は紅葉の真っ盛りで堪能しました。人の多さにはいつもながら疲れますが・・
以前コメントした「風俗博物館」の報告です。
ちょうど「六条院行幸」(藤裏葉)の部分の展示がなされていました。折に会ったまさに紅葉散り敷く雅な展示でした。(人形ですが、着座の位置、衣装、持ち物などでそれぞれの人物が誰なのかわかります。)
私設の博物館なので、こじんまりとした空間が心地よかったです。
丁寧に見ても一時間足らずですみます。
衣装(四季のかさね色目)や什器その他四分の一の縮尺で展示されていました。
小さいですけれど平安時代を感じる手助けになると思います。
12月、6月は休館で、その間に展示内容を替えるそうです。
お出かけの時にはH・Pで確かめてください。
式部さん 有難うございます。
良い時期に京都を楽しまれましたね。
紅葉を愛でながら目的も実行でき充実した旅は一石二鳥も三鳥も。
たとえ人形であっても物語をよく読んでいれば一目瞭然なのでしょうね。
実物大の人形の衣裳やその色柄 小道具類も臨場感があるのでしょう。
私は今日カルチャー教室の帰り徳川美術館に立ち寄りましたので少々お伝えします。
国宝 源氏物語絵巻 関屋・ 絵合・ 宿木(二)
関屋は剥奪部分が目立ち色も褪せていて目を凝らしても何が描かれているかよくわからなかったです。
ただ詞書が添えれれており変体仮名を読み解ける人は内容が解ると思います。
そこで私のような素人向きに白地の紙にペン書きのようなもので場面をイメージ書きした物がありました。
その絵を瞼の裏にイメージし彩色を施し本物を見ると言う方法でかろうじて理解できる・・・
季節は旧暦9月紅葉の美しい逢坂の関で空蝉と邂逅する名場面ですね。
そして絵合は詞書のみで源氏が須磨明石の旅日記の絵を取り出すところだそうです。
いずれの詞書にもかすかに下絵が見られます。
宿木二はまだ学習していないのでお話の内容が解らないのですがイメージ画によれば匂宮と六の君との婚姻三日目の翌朝の露顕の情景だそうでこの絵は関屋に比べ保存状態がいいように思われました。
いずれの絵も(5点)20センチ×40センチほどの大きさで意外と小さいのだなと感じました。
昨年はどんなふうに観賞したのかな~
忘れてしまいましたが確か柏木だったような・・・
蓬左文庫の「源氏物語の世界」では多くの写本(河内本 青表紙本 別本系)や注釈書が展示されておりました。
一番印象に残ったのはテキストに使用している脚注にある河海抄 湖月抄などがありこれが原本なのかと感じ入りました。
他にも絵画 屏風 意匠 源氏浮世絵と盛り沢山で源氏酔いしてしまいました。
式部さん、青玉さん レポートありがとうございます。それぞれに源氏物語の世界を満喫されたようでよかったですね。
1.式部さん、風俗博物館、面白そうですね。是非行ってみたいです。
六条院への行幸場面(藤裏葉)とはおっしゃる通り今の季節にピッタリですね。紅葉の中に源氏・朱雀院・冷泉帝が和歌を唱和し合う第一部のフィナーレ。苦悩の源氏に付き合っている今、栄華の場面が眩しいですね。
冷泉帝 世のつねの紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を
2.青玉さん、国宝源氏物語絵巻を毎年見られて羨ましいです。
来月は「柏木(一)(二)(三)」「横笛」「鈴虫(一)(二)」と六枚も出てきます。例の西田さんのCDも聴いて予習してください。それにしても重要な若菜上下などが残されてないのが残念です。
河海抄、湖月抄の原本ですか、感銘されたことでしょう。今こうして我々が源氏物語を楽しめるのもこうした先人の注釈書のお蔭です。是非源氏を読み伝えて行きたいと思っています。引き続きよろしくお願いします。
3.昨日、思い立って上野に「京都 洛中洛外図と障壁画の美」特別展を見に行ってきました。平安王朝ではなく私のジャンルからはちょっと外れてましたが竜安寺・二条城の障壁画は迫力満点でした。とにかく人が多く「京都ブランド」の凄さを改めて思い知りました。