p216 – 222
7.夕霧、源氏と玉鬘の寄り添う姿に驚く
〈p106 西の対の、玉鬘の姫君のところでは、〉
①秋好中宮、明石の君を経てやっと玉鬘の所へ。
→何をおいてもここに来たかったろうにやはり物には順番がある。
②玉鬘の様子
日のはなやかにさし出でたるほど、けざけざとものきよげなるさましてゐたまへり
→目のさめるように美しい、ちょっと言い過ぎではなかろうか。
酸漿などいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々うつくしくおぼゆ
→丸顔豊頬 にこやかに愛敬があったのであろう。
③夕霧がまた覗く(好奇心の塊みたいな年令故仕方なかろう)
なほ見れば、柱がくれにすこし側みたまへりつるを引き寄せたまへるに、御髪のなみ寄りて、はらはらとこぼれかかりたるほど、、、、
→夕霧もびっくりしたことだろう。理解を示しているように書かれているがここは踏み込んで「父上、御乱心めされたか!」と叫ぶところではなかろうか。
④夕霧の見た玉鬘
八重山吹の咲き乱れたるに露かかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる
cf. 紫の上(p196)
春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す
二人の比較は、 昨日見し御けはひには、け劣りたれど、
→やはり紫の上の方が上。禁断の度合が違うからだろう。
⑤玉鬘 吹きみだる風のけしきに女郎花しをれしぬべき心地こそすれ
源氏 した露になびかましかば女郎花あらき風にはしをれざらまし 代表歌
→源氏も玉鬘もゲーム感覚で詠み合っているような感じ。藤壷との命を懸けた恋とは違うように思います。
⑥なよ竹をみたまへかし
→方違えの夜空蝉と契った時の表現(帚木p142)
8.源氏、夕霧を従え、花散里を見舞う
〈p111 源氏の君は、東の花散里の君のところへ、〉
①最後に花散里 朝から裁縫など家事に余念がない。
②花散里は縫い物、染色に通じている。でも紫の上の方が上である。
南の上にも劣らずかしと思す
夕霧からみた玉鬘の容貌、姿態が事細かに表現されていて面白い所です。
よく観察しているなと思います。
それでも紫の上には及ばないと言うことでしょうか。
なよ竹、空蝉よりも最近の大河ドラマ会津藩家老・西郷 頼母の妻の辞世
「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け」
を浮かべてしまいました。
夕霧の目を通して映るものは全て紫の上との比較です。
それほど紫の上の印象が並々のものではなかったのでしょうね。
ありがとうございます。
1.夕霧にとって紫の上は義母、玉鬘は義姉。何れも通常なら恋の対象にはならない人です。でもそこは思春期で好奇心旺盛な15才、男として近づきたい・よく見たいという欲望は当然でしょう(いつの時代も変わらぬ男の欲望でしょう)。そういう夕霧の目を通して紫の上と玉鬘を比較させる。さすが紫式部、うまいもんです。
2.なよ竹、そうですね。私もあの辞世の句を見たときドキッとしました。そして頼母の妻は源氏物語を知っているなと思いました。それにしても悲劇・悲惨ですね。いくら何でもあんな風になってはいけない。バッサリ斬ってしまうと結局会津には人物がいなかったということでしょう。あの悲劇を決して美化してはいけないと思います。