「野分」けざやかにめでたき人ぞ在ましたる野分が開くる絵巻の奥に(与謝野晶子)
G36年中秋の8月
p194 – 200
1.六条院の中秋、野分にわかに襲来する
〈寂聴訳巻五 p88 秋好む中宮の御殿のお庭に、〉
①中秋と言うと名月だろうに月見の宴のことは省略されている。何故だろう。
→夕顔が妖物に憑りつかれて亡くなったのが八月十六日。玉鬘にその辺語り聞かせる絶好のチャンスだったのに。でも敢えてそれに触れないところが作者の意図であろう。
②秋の町の風情。胡蝶の巻では春秋論争で春を良しとしたがここではやはり秋もいいとさらりと言っている。
→春には春の、秋には秋の良さがある。春秋論争に勝ち負けはない。
③中宮が里帰りしている。そこに野分(台風)が来る。
→野分=台風の古語 秋の野の草を分けて吹く強風
嵐=激しく吹く(特に山から)風
No.22 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀
④草むらの露の玉の緒乱るるままに、御心まどひもしぬべく思したり。
→玉の緒=命
→No.89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
百人一首中の絶唱の一つ。定家はどんな想いでこの歌を選んだのだろう。
2.夕霧、六条院にまいり紫の上をかいま見る
〈p90 紫の上の南の御殿でも、〉
①舞台は春の町に移る。野分による紫の上覗き見の名場面
見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す
→夕霧15才、ついに垣間見た紫の上。さぞドキッとしたことだろう。
→さて一度見て忘れられない紫の上への想いは今後どう進展するのか(読者の期待は膨らんだことだろう)。
②源氏は夕霧に紫の上を見せないよう細心の注意を払っていた。夕霧は源氏のその心を見抜いており逆にチャンスを伺っていた。
→強風で戸が開いてしまう。うまいこと考えたものです。
③これまでの覗き見場面
・碁打ち覗き見 (空蝉)
・北山で若紫を (若紫)
そして本段。これからも重要な覗き見シーンが出てきます。
④夕霧がカメラアイ(源氏以外の第三者の視座)として登場し野分に戸惑う女君たちの様子を読者に伝える。夕霧は三条宮(大宮)と六条院を掛け持ちし、女君たちの面倒をみる。
野分の巻では風見舞いのことが描かれていますが、この時代は何かにつけてお見舞いが多かったようです。それがお付き合い上の大切な要素だったと思われます。
その折の適切なタイミングと言葉が大切だったのでしょうね。それは現代でも同じですが・・
大宮をはじめ女君たちを思いやる源氏や夕霧の姿が描かれている場面、いいですね。
女性たちはみな源氏や夕霧がいることで心強く感じ安心したのでしょうね。
ありがとうございます。
何せ電話はおろか郵便などの通信手段がなかった時代(江戸時代では飛脚はあったか)大事な人の安否を問うには自ら出向くか或いは使者を差し向けるしかなかった訳ですもんね。おっしゃる通り源氏物語にもお見舞いの場面は多いですね。人々はそれだけ心を通じさせることに気を配っていたのだと思います。
そして使者には随分と気を遣い酒食のもてなしをして豪華なお土産を持たせて礼をつくす。タイミングと適切な言葉こそ大事だったのだと思います。
雨風の見舞と言えば賢木の巻で雷雨が襲った翌朝右大臣が朧月夜の無事を確かめに来て源氏・朧月夜の密会場面に直面するシーンを思い出しました。天気予報もないだろうし、気をつけると言ったってねぇ。。