篝火のまとめです。
和歌
53.篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ
(源氏) 何とも断ちがたい恋情
名場面
51.御琴を枕にて、もろともに添ひ臥したまへり。、、、
(p184 初秋の夜、篝火を点して、、、)
[篝火を終えてのブログ作成者の感想]
第27帖篝火を終えました(たった1回ですが)。全54帖の丁度半分通過です。最短の帖です(次いで短いのは「花散里」)。
酷暑六月の「常夏」と秋本番八月の「野分」を繋ぐ初秋(七月)の六条院の風情が語られます。物語的には進展も後退もない正しく繋ぎの一幕と言うことでいいのでしょう。
秋になりぬ。初風涼しく吹き出でて、、、、
→燃える夏もようやく終わりさわやかな秋風が吹き始めた。
→秋は人恋しい物悲しい季節。抑えたつもりの玉鬘への恋情も払拭できない。
→篝火を燃やして琴を枕に寄り臥す。
→恋の煙は秋風に吹かれ消えるのか消えないのか。
風がポイントだと思いました。そして次は秋本番のトンデモナイ風-野分へと続くのです。お楽しみに。
深まり行く秋の六条院、かがり火をたいて、恋歌を交わし合い、音楽を聞き、優雅ですね。常夏ですが今日は涼しいので、気分も穏やかになります。
これで半分まで読んできたとのこと、名リードにより、楽しく来れました。後の半分、もっと楽しみです。よろしく。
自分の整理ですが、歌は
篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ
が印象にのこりました。
ありがとうございます。
頭も心持もすっかり源氏読みのモードになって来られたようですね。もう大丈夫です。余裕が出てきたら少しづつ興味のある周辺分野に手を出していくのもいいかと思います。源氏物語は百科事典ですから色んな角度から楽しめると思います。
篝火の歌、投稿欄では暑苦しい感じと書きましたが改めて読んでみるとなかなかいいですね。初秋の風情がうまく詠まれていると思います。ただ源氏の恋情にはいい感情を持ってませんので暑苦しいと言ってしまったものでして、、、。
「常夏」から篝火へ、季節の移り行くさまが感じられますね。
篝火は暑苦しいと言うよりは前段の「常夏」p143で
月もなきころなれば、灯籠に大殿油まゐれり。「なほけ近くて暑かはしや、篝火こそよけれ」
とありますので涼しさをイメージするのでしょうね。
そこで
篝火の涼風吹きてゆらめけり
恋のほのほと燃えにけるかも
ありがとうございます。
1.そうですね、常夏は盛夏6月、篝火は初秋7月。初秋と言ってもまだ暑い。夜は外で篝火をたいて涼をとるということなんですね。
2.篝火の歌、いいですね。暑さの中の涼しさのイメージ、その中で源氏の篝火の歌を踏まえ源氏の恋情を慮ってる感じでしょうか。
篝火などと言う“言葉”、日常的にはまったく使わなく
なりましたが、今でも、京都の料亭では季節に関係なく
庭に篝火を置くところがあります。南禅寺周辺の少し
高級な湯豆腐の店で見ることが出来ます。
思い出せば、支柱から吊るされた鉄製の網碗に灯された
篝火は、とても涼しげです。確かに、今頃 (※丁度、一ヶ月遅れで
付いていっているので、丁度今頃になります)=初秋に ぴったりの
小道具ですね。
一ヶ月遅れのフォローアップ、いいと思いますよ。是非マイペースで進めてください。
篝火、そうですね。いい小道具だと思います。真夏が過ぎて初秋、とは言えまだ暑い。そんな中篝火をたかせて玉鬘に寄り添う。官能的ムードを醸し出すにぴったりですね。