p140 – 150
2.源氏、西の対で和琴を弾き玉鬘と唱和
〈p48 たそがれ時のほの暗さの中に、〉
①夏の町西の対、玉鬘の居所へ
御前には一面撫子の花が色取り取りに植えられている。
②源氏→玉鬘 色々と話しかける
夕霧の友だちとして若き公達が来ている。お目当ては玉鬘、あなたですぞ。
皆インテリで取分け右中将(柏木)は頭抜けてますよ。
→お節介なことである。まして柏木は実の弟であること玉鬘も知っていように。
③「来まさばといふ人もはべりけるを」
→催馬楽を引いて源氏に応答する玉鬘の聡明さ
→催馬楽「我家」帚木の紀伊守邸でも出てきたが相当露骨な歌
我家(ネットから引いてきました)
我が家は 帳(とばり)帳(ちょう)も垂れたるを
大君来ませ 婿にせむ
御肴(みさかな)に 何良けむ 鮑(あわび)栄螺(さだを)か
石陰子(かせ)良けむ
鮑栄螺か 石陰子良けむ
(訳)
私の家は 御簾や几帳を垂らして飾ってあります
大君さまおいでなさい 婿入りなさいませ
お酒の肴は何にしましょう
鮑か栄螺か、それとも石陰子がお好みですか
鮑か栄螺か、それとも石陰子がお好みですか
④内大臣を悪く言う源氏、聞かされる玉鬘が可哀そう
⑤和琴を持ち出し和琴にことつけて内大臣のことを語る
→内大臣は当代の和琴の名手
→和琴は日本独自のもの女性のためのもの(和琴論)
⑥催馬楽 貫河(ぬきがわ)
貫河の 瀬々の柔ら手枕 柔らかに 寝る夜はなくて 親放(さ)くる夫(つま)
親放くる 妻は ましてうるはし しかさらば 矢矧の市に 沓買ひにかむ
沓買はば 線がいの細底(ほそしき)を買へ
さし履きて 上裳とり着て 宮路通はむ
「この歌は親に仲をさかれながらも純愛を歌い合う男女の掛け合いから成る」(花宴p257脚注)
→むしろ夕霧と雲居雁のところで引用されたらと思うが直接すぎるだろうか。
⑦さる田舎の隈にて、ほのかに京人と名のりける古大君女の教へきこえければ、
→肥前でも皇族の血を引く老女に和琴をならっていた。教育こそ命である。
⑧いにしへも、物のついでに語り出でたまへりしも、ただ今のこととぞおぼゆる
→雨夜の品定め、19年前のことである。
⑨源氏 なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人やたづねむ 代表歌
玉鬘 山がつの垣ほに生ひしなでしこのもとの根ざしをたれかたづねむ
帚木の巻、頭中と夕顔の和歌の贈答
夕顔 山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露
頭中 咲きまじる色はいづれと分かねどもなほとこなつにしくものぞなき
夕顔 うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり
19年前のことが蘇る。
先ず歳時記で撫子を引いてみました。秋の季語とありました。
河原撫子、常夏(古名) 後に中国から入ってきた唐撫子(石竹)に対して大和撫子という。
催馬楽が時々出てきますが猥談を元にした風俗歌と思えばいいでしょうか?
打ち捨てられた実の親とはいえ源氏から内大臣の悪口を聞かされるのは辛いでしょう。
源氏、和琴に興味をしめす玉鬘をこれ幸いとうん蓄を傾ける。
その場の和歌の贈答は何やら悩ましげな雰囲気です。
親恋しさの玉鬘、また源氏への複雑微妙な揺れる気持ちが伝わって来ます。
ありがとうございます。
1.そうですね、「撫子」は俳句では秋の季語、秋の七草の一つですもんね。源氏物語では花散里の夏の町に植えられているし(「少女」p154)、常夏が撫子の異名ですし、夏それも真夏のイメージですけどね。
2.催馬楽には卑猥な内容のものもあるのでしょうが必ずしもそればかりではなく、男女の素朴な恋愛を謳った風俗歌と考えるのがいいかと思います。現代の歌謡曲だってけっこう露骨なものがあるし、まあそれと同じじゃないでしょうか。「我家」は露骨ですがこれも単純に「どうぞいい娘のいる我家においでなさい」ということでしょう。
3.玉鬘の心境は複雑でしょうね。でも聡明なる玉鬘のこと、日々情報を整理しながら身の処し方を考えているのだと思います。