蛍のまとめです。
和歌
49.声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
(玉鬘) 蛍のシルエットショー
50.その駒もすさめぬ草と名にたてる汀のあやめ今日やひきつる
(花散里) 好ましき花散里
名場面
48.さと光るもの、紙燭をさし出でたるかとあきれたり。蛍を薄きかたに、
(p97 蛍に浮かぶ玉鬘)
49.神代より世にあることを記しおきけるななり。日本紀などはただかたそばぞかし
(p116 源氏の口を借りての紫式部の物語論)
[「蛍」を終えてのブログ作成者の感想]
G36年5月を歳時記風に語った蛍の巻を終えました。
この季節は何と言っても佐々木信綱(三重県鈴鹿の生まれ)の「夏は来ぬ」です。これだけよく初夏の言葉を凝縮させたものだと思います。
「夏は来ぬ」 作詞:佐々木信綱
1 卯の花の 匂う垣根に ほととぎす 早も来なきて 忍音もらす 夏は来ぬ
2 五月雨の そそぐ山田に 早乙女が 裳裾濡らして 玉苗植うる 夏は来ぬ
3 橘のかおる のきばの 窓近く 螢飛びかい おこたり諌むる 夏は来ぬ
4 おうちちる 川辺の宿の かど遠く くいな声して 夕月すずしき 夏は来ぬ
5 五月闇 螢飛びかい くいな鳴き 卯の花さきて 早苗植えわたす 夏は来ぬ
先ず「蛍のシルエットショウ」。伊勢物語などにも見られるようで紫式部の独創ではないようですが玉鬘をちょっとだけ見せつけ兵部卿宮をドッキリさせようとする源氏の遊び心には感嘆してしまいます。素直にアッパレ!をあげていいと思います。
次に五月五日端午節会の馬場の競射。広大な六条院ならではの豪華スポーツイベント。若い男たちが女性たちの前で(女性は姿は現さないのであろうが)日ごろ鍛えた腕を見せ合い女性たちにアピールする。六条院は馬の蹄の音、矢が的を射る音、そして女性たちの嬌声でさぞ賑やかだったことでしょう。
そして紫式部が源氏に語らせた「物語論」。参りました。物語の位置づけも怪しいようなこの時代にこれだけ言えるのは凄い。自分の展開する源氏物語に余程の自信があったのでしょう。その通りで源氏物語は石原裕次郎じゃないですが「♪真実(ほんと)の恋の物語~」だと思います。
この場面一番印象的なのはやはり巻名の通り蛍光で宮に玉鬘の姿をちらりと見せるところでしょうか。
「ちょっとだけよ」という感じかしら?
これを即、歌に詠みたいと思いましたが昨日まで5句目が出ませんでした。
そこであらためて与謝野晶子を参考にしてあっ!!と思いました。
5月、新暦走り梅雨のころでしょうか。
うっとうしさを晴らすような趣向、蛍 馬場の競射、物語。
見事というほかありません。
確かに「夏は来ぬ」の歌詞、素晴らしいですね。
子どもの頃は意味も解らず歌っていましたがあらためて詩を味わってみました。
子どもの頃そうだったように今時の子どもにとってもこの歌詞は外国語に思えるかもしれませんね。
それでもこども心に何となくこの歌の豊かな詩情を理解する下地はあったように思います・・・
ありがとうございます。
この季節、日本の都市部になくなった象徴的なものは蛍でしょう。蝉はいっぱいいるしトンボ・蝶々もあちこちにいますが蛍は見れません。残念ですね。
5句目の「青きまぼろし」は晶子の「青引きてとぶ」からですか。なるほど。「青」がいいですね。蛍火は身をこがすという感じからすると赤い炎というイメージもありますがここは青白い方が妖艶だと思います。3句目の「夕まぐれ」もいい言葉だと思いました。
ところでこの場面玉鬘はどんな姿勢でいたかというと残念ながら横たわっているのですよね。勿論それではつまらないので各種源氏絵では座っている構図が多いようです。勿論「あさきゆめみし」ではすくっと立って丸見えです。これもいいでしょう。
自分ではこんなに上手くまとめられませんが、清々爺のコメントどおりの感想を持ちました。小生には、源氏物語の中でもこれまでになくストーリーも面白く、また戯れや論争もあり中身の濃い帖でした。
とは言え、P94「三」の書きだしの10行、主語が誰か難しく、また急に”宰相の君”など出てきては誰かも解らず、大苦戦でした。
”夏は来ぬ”;良い唱歌です。一番は今でも詞をみないで歌えます。孫にも歌ってあげていました。
小生が気に入って、孫に買ってあげた ”21世紀に残したい 童謡・唱歌” ”原田泰治が描く 日本の歌百選”という、すごく大きくてかつ重い本があります。当然、“夏は来ぬ”も泰治先生の絵入りで5番まで載っていますが、脚注に、”この歌は戦後、5年生の音楽に取り上げられましたが、言葉が難しいという理由で、二、三、四節が消え、一、五節だけで、うたわれました”とあります。
また”くいな”は解らず、調べて写真を見ましたが、見た(鳴き声を聞いた)記憶がありません。失われていく日本の自然を守ることは、至難の技ですね。
歌では、
なく声もきこえぬ虫の思いだに人の消つには消ゆるものかは
と
声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
が、特に返歌が面白かったです。
ありがとうございます。暑さにめげず源氏物語を楽しんでおられるようで何よりです。
1.おっしゃる通りこの巻を読んで源氏物語はユーモアの書だという思いを強くしました。蛍ショーのおふざけはその最たるものだと思います。でも全くあり得ない出鱈目な話ではなく何となくありそうなギリギリの所をついているのではないでしょうか。
2.蛍3.の冒頭部分苦労しましたか。でもそうやって苦労を重ねていると必ず慣れてきてその内そんなに苦労せずともスーッと分かるようになりますからご安心を。
「宰相の君」はイキナリではないですよ。直前のp93に出て来て説明もされてます。見ておいて下さい。
こんな時登場人物事典があると便利だと思います。私は「源氏物語必携辞典」(角川書店)を使ってますが各人物がどの巻のどこに出ているか全て載っているので「以前どこかに出て来たけどどこだったかな」とチェックするのに便利です。ご参考まで。
3.童謡・唱歌は大事です。子どもたちにはしっかり伝えたいと思います。夏休みは演歌を控えて童謡・唱歌で行きましょうかね(来週は演歌やりますが)。孫に買ってあげたという本よさそうですね。早速にと思いましたが14700円だというので手を引っ込めました。一度現物見てみたいものです。
ハッチーさんも言われていますが、この帖は“戯れや論争もあり
中身の濃い帖でした。”
でも、やはり、圧巻は「源氏演出の妖艶蛍ショー」。禁断の恋人・玉蔓に、
腹違いの弟・兵部卿宮に その気があるような恋文を無理やり書かせて
呼び寄せ、蛍ショーを演出、その幻想さに兵部卿宮は
更に舞い上がってしまう。この源氏の歪んだ想いと
その捌け口たる蛍ショー、少し怖い気がします。
→ 蛍と言えば、滋賀の岐阜県境近くの醒ヶ井駅から樽ケ畑経由
霊仙山に向かう際、辿っていく天野川(丹生川)で経験した、
蛍の乱舞・群舞。幻想的と言うか綺麗なんてものではなく
平気で顔に当たってくる蛍たちの群舞に恐怖感を感じました。
爾来、私にとって、蛍のイメージは優雅さではなく獰猛さでもあるのです。
そのイメージでこの『蛍』を読めば、源氏が何か気味悪い変質者みたいに
思えてきて・・・・。
後半の“源氏に言わせている紫式部の物語論(by青玉さん)”、
式部は「史書より物語(小説)の方が為になるのよ」と言いたいのですね。
確かに式部の様に、万巻の史書を咀嚼したうえで物語をつづれば
そう言えます。でも(式部は)、何故、この箇所に、何故、玉蔓相手に
物語論を開陳するのか、良くわかりません。
頭の中将が久しぶりに登場。
わたくし、この頭中さん、好きなのです。玉蔓を実の娘と気づくシーンが
今から楽しみです。
ありがとうございます。暑い日が続きますね。お元気で何よりです。
1.滋賀の山奥での蛍の群舞、そんな風でしたか。すごいですね。日本では夏の優雅の筆頭に挙げられる蛍ですが(その代表がゲンジボタルと言うのも面白い)幼虫はカワニナなど肉食だし結構獰猛な感じもします。英語ではFireflyだし、火をともすので激しく情熱的なイメージでも歌に詠まれています。
投稿欄で挙げましたが情熱歌人和泉式部の歌を思い出します。
もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる
2.物語論、何故玉鬘相手にこんな場面で開陳したのか。何故でしょうね。物語(絵物語)→婦女子の退屈しのぎ→長雨で何もやることない、、、、ということからこの場面に持ってきたのかもしれません。別に玉鬘が相手である必要はないと思いますが、玉鬘の人生そのものが物語的だから(勿論物語ですが)そうしたのかもしれません。
長雨・女性というと百人一首No.9小野小町です。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
3.頭中さん、いいですよね。雲居雁の話と玉鬘の話がしばらく併行して進みますから頭中さん出番いっぱいですよ。お楽しみに。