p112 – 122
9.玉鬘、物語に熱中する 源氏の物語論
〈p28 長い梅雨が例年よりしつこく降りつづき、〉
さて有名な物語論です。
①長雨例の年よりもいたしくして、晴るる方なくつれづれなれば、
→五月は長雨(梅雨)の季節。雨夜の品定めもこの頃であった。
②絵・物語は女・子どものもの。男性は漢字での学問。
③玉鬘は田舎(九州)では絵・物語もさほどなかったのであろう。今は豊富な絵・物語に熱中している。
④住吉物語 今残っているのは鎌倉時代に書かれたものの由。でもこの時代既に存在してた。
⑤源氏→玉鬘
「骨なくも聞こえおとしてけるかな。神代より世にあることを記しおきけるななり。日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくはしきことはあらめ」
→物語の中にこそ真実が述べられているとの強烈なメッセージ
⑥源氏→玉鬘
「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、、、、、、(から)、、、、よく言へば、すべてごとも空しからずなりぬや(まで)」
→源氏の口を借りた紫式部の物語論
→源氏物語はこのような考えで作ったのですよとの作者の告白
⑦一般的な物語論を語りながら自分と玉鬘との関係に言い及び、身体を摺り寄せて髪をなでて和歌の応酬をする。
→何とも中途半端な感じである。色めかしい会話は楽しむが最後の線は越えない(脚注)
⑧源氏との応答を見て玉鬘は聡明な女性だなあと思います。
10.源氏と紫の上、物語の功罪を論ずる
〈p34 紫の上も、明石の姫君のための御注文にかこつけて、〉
①明石の姫君(8才)、女房たちが絵を見せたり物語を読み聞かせたりして教育している。
②それについて物語の功罪を紫の上と論ずる。
③源氏「姫君の御前にて、この世馴れたる物語などな読みきかせたまひそ」
→どんな本を読ませるか、読ませてはならないか。今も全く同じ議論をしている。
→物語(本)と子女教育、しつけ論
→今と違って世間を知る術が何もなかった世の中、物語は強烈な刺激だったのだろう。
④源氏の議論への紫の上の応答(自らの体験談を踏まえ)がもう少し書かれていたらよかったのに。
源氏に言わせている紫式部の物語論、一理ありますね。
実際にはあり得ないことも表現の良し悪し(物語の質)で現実のような錯覚を起こし読者を感動させる。
あたかも今現在、源氏に没頭している自身がまさにその状態。
登場人物に思いを寄せ、嘆き悲しみ怒りを共にする・・・
現実と虚構のはざまで踊らされている自身に時に苦笑してしまいます。
玉鬘、自身の数奇な運命を物語以上と思っているようですね。
まるでこれは劇中劇を見てるようです。
子どもに上質な本を読ませたいと思う親心は昔も今も変わらないですね。
「よからむ人にいかで人ほめさせじ」
下人に褒められるは第一の恥なりというどこかで読んだ一行を思い出しました。
ありがとうございます。
(体調大丈夫ですか。どうぞ無理なさいませんように。)
実はこの物語論は私にとって非常にショッキングなものでした。若い頃は歴史ものを中心に小説を読みまくっていたのですがある時期からフィクションは一切やめ、歴史・教育・社会など小説以外のものを中心に読書してきたからです。その理由は「フィクションは作り事でつまらない。現実とは違う」という考えからでした。小説(特に面白いだけの娯楽小説)を読む時間は勿体ないとまで思っていました。ゴーマンだったと反省しています。それだけ今源氏物語に入り浸って物語から真実を読み取ろうとしているのだと思います。
→ホントおっしゃるように源氏も夕顔も玉鬘も私にとっては歴史上の人物です。