p132 – 141
26.夕霧、惟光の娘に消息 惟光よろこぶ
〈p153 そのまま舞姫たちを宮中に留められて、〉
①左衛門督その人ならぬを奉りて咎めありけれど
→よく分からぬが細かい決まりがあったのであろう。ピンと来た読者もいたのでは。
②惟光の娘 典侍に(源氏の力で結局典侍になる)
③夕霧と惟光の娘の兄弟との会話が面白い(リアルです)。
③そして夕霧の贈歌を挟んでの兄妹と惟光の会話
→惟光はしてやったりと思ったであろう。源氏に典侍への口ききを頼むぐらいだから美貌の娘を何とか上に押し出そうとの野望はあったのでしょう。でもまさか自分の口から源氏に「夕霧さまにウチの娘なんぞいかがでしょう」なんて言いだせない。
明石の入道の例にやならまし
→この忙しい時に何を夢みたいなこと言ってるの、、、周りの人は相手にしない。でも惟光には本心からのつぶやきだったのだろう。
27.夕霧、わが後見の花散里を批評する
〈p156 若君はその後、〉
①源氏は二条東院西の対に居る花散里に夕霧の後見を託す
→同じ二条院に居る紫の上の所には決して近づけないのと全く対照的
→花散里とは何も起こらないと源氏は確信している(でも万一ってこともあるのでは)
②夕霧の花散里評 容貌のまほならずもおはしけるかな、かかる人をも人は思ひ棄てたまはざりけり
語り手の花散里評 もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり
→小説的誇張にしてもちょっとひどいと思うのですが、、、。ここまで書かねばならぬ理由でもあったのでしょうか。
28.年の暮、夕霧と大宮、互いに嘆き合う
〈p159 年の暮には、正月の晴れの〉
①G33年 暮 夕霧が三条邸の大宮を訪れる
②六位で始めさせられたこと雲居雁を引き裂かれたこと。夕霧にはつらい一年であった。
夕霧 老いねどくづほれたる心地ぞするや
→相当に堪えて落ち込んでいる。それを大宮が必死に慰める
③祖母と最愛の孫との対話 自ずと愚痴が後をたたない。
・そもそも母(葵の上)はすぐ亡くなった
・実父源氏は他人行儀で冷たい(六位にしかしてくれない)
・頼みだった故大臣(左大臣)も昨年亡くなってしまった
→まあ人生いろいろあるよ、元気を出しなよ、夕霧くん!
細かい決まりには触れていませんが舞姫にもそれ相応の資格が必要なようですね。
夕霧の贈歌、惟光にとっては願ったり叶ったりだったのでしょうね。
明石の君の果報を我が娘にもと夢見たのかも知れません。
さて花散里、若き夕霧の目に映る評価、まことに辛辣極まりないですがこの歳にしては観察眼が鋭いと思います。
大宮と花散里、年頃はどのくらいの差でしょう?
美しい尼姿のお婆様と比較までしているのは面白い所です。
大宮の必死の慰めにも夕霧、源氏への不満様々な心の鬱屈で晴れぬ年の暮れ。
夕霧にとっては試練の年でしたね・・・
ありがとうございます。
1.昨日のコメントはちょっと先走りしてしまいました。惟光が喜ぶ場面は面白い、あの律義者の惟光のしたり顔が目に浮かびます。願わくばその後日談(夕霧と娘のことを知った源氏と惟光の反応など)を聞かせて欲しかったです。
2.花散里の年令は不詳です。世代的には桐壷帝の女御(麗景殿女御)の妹なので藤壷と同じくらい、即ち源氏より5才くらい上。今38才くらいかなと想像します。大宮も年令は出てきません。左大臣が源氏より31才上即ち生きていれば今64才(娘の葵の上が今生きていれば37才)なので大宮は60才前後でしょうか。当時としては長生きだと思いますがそうそう寿命も長くないはず。夕霧が出世して雲居雁と結ばれる姿を早く見せてあげたいと思います(私は大宮の大フアンです)。