p122 – 132
22.雲居雁、内大臣邸に去る 夕霧の嘆き
〈p145 若君は、あとに取り残されてことが、〉
①雲居雁が去ってしまった後の夕霧、切なかったであろう。
→それにしても12才、ませてたものです。
→恋を忘れるには勉強しかない、、、、と言う訳でもなさそうですが。
②夕霧 霜氷うたてむすべる明けぐれの空かきくらし降る涙かな
23.源氏、惟光の娘を五節の舞姫に奉る
〈p146 源氏の君は、今年の新嘗祭の節会に、〉
①五節の舞姫 11月新嘗祭に行われる公的宴会 4人の舞姫が舞を舞う
百人一首 No.12 僧正遍照
天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ
②詳しくは知りませんが舞姫を出すことは大変であり名誉であったのでしょう。
この年は ・按察大納言(雲居雁の母が北の方になっている)
・左衛門督(内大臣の異母弟)→何故内大臣は出さなかったのであろう?
・良清(今や源氏の家臣から独立し近江守になっている)
・惟光(これも今や摂津守になっている。源氏が後ろ盾)
から4人が舞姫を出す。
24.夕霧、惟光の娘を見て懸想する
〈p148 大学にいる夕霧の若君は、〉
①夕霧、あれ以来恋わずらい、食欲もないし勉学にも身が入らない。ふらふらと二条院へ。普段は紫の上の近くには近づけないよう女房たちが気をつけているが舞姫を迎えごった返している。そう隙に舞姫の居るところへ入り込む。
→源氏は夕霧を紫の上に近づけないよう徹底配慮している。
「わが御心ならひ、いかに思すにかありけむ」(語り手の言葉=草子地)
作者が源氏のことをからかっている。読者もクスっと笑ったところであろう。
②夕霧 衣の裾を引きならひたまふ
→源氏 裳の裾を引きおどろかしたまへれば(紅葉賀p220)
夕霧は惟光の娘(舞姫)を、源氏は大年増源典侍を。父子よく似てますね。但し夕霧は自分の裾を引いたのに源氏は相手の裾を引いている。やはり父の方が上手でしょうか。
25.五節の日 源氏、五節の君を思い歌を贈る
〈p150 六位の浅葱の袍に引け目を覚えてこれまで参内もせず、〉
①五節の儀には六位の制服でなくても行ける。そこで違う服装で勇んででかける。
→夕霧には六位がよほど堪えていたのであろう。ちょっと可哀そう。
②舞姫争いは一に源氏(惟光)、二に按察大納言
③ここで突然源氏の回想場面が入る
源氏 をとめごも神さびぬらし天つ袖ふるき世の友よはひ経ぬれば 代表歌
→この五節の舞姫、須磨の時(もう7年前になる)大宰府から都に戻っている。その後は何も書かれていない。時候の挨拶ぐらいはしてたのだろうか。
五節 かけていへば今日のこととぞ思ほゆる日かげの霜の袖にとけしも
→この人のことよく分からないので感情移入のしようがありません。
④段落の最後 つらき人の慰めにも、見るわざしてんやと思ふ
現代語訳 あの恨めしいお方と逢えぬ慰めとしてでも、これをわがものにできぬかと思っている。 →ただ見てお話するだけならまだしもものにしようとはチトやり過ぎではないでしょうか。
雲居雁の去った三条邸は灯が消えたような淋しさでしょうね。
この邸で立派に元服の儀を執り行われ、若君に対する源氏はこの場面ではいっこうに登場しませんね。
清々爺さんもおっしゃるように夕霧に対して無関心、放任というか冷たいですね。
雲居雁とのことでは何らかのご助言でもされればよろしいのに・・・
五節の儀、風流な儀式があったのですね。
源氏の夕霧に対する配慮?
父子でもライバル、ご自身の体験から危険を前もって封じる手段。
夕霧悲恋、心の隙間に五節の君への懸想ですか。
そう言えば裳の裾を引く、そんな場面ありましたね。源典侍で思い出しました。
そして源氏も五節の君への懐かしさをおさえきれず和歌を送る。
似たもの親子ですね・・・
ありがとうございます。
1.23.で雲居雁とのことから突然離れ五節の儀の話になり、惟光の娘が登場し、延いては源氏の昔からの想い人(筑紫の五節)との歌の贈答が挿入されます。折角の夕霧と雲居雁との話がボケてしまい、私にはちょっと違和感ありです。
→巻名もこの歌の贈答から「少女」とつけられている。
→むしろストレートに「雲居雁」の方がいいのではなかろうか(雲居雁は今後も重要人物として登場しつづける)。
2.25.段末で思わせぶりな書き方がありますが、惟光の娘とのことは結局詳しくは述べられず後に藤内侍として伝聞的に出てくるだけです。この辺もサイドストーリーとして書いてもらうと面白かったのかもしれません(惟光の言動に興味をそそられます)。