少女(3・4・5・6・7) 夕霧、大学へ

p70 – 80
3.二条東院で夕霧の字をつける儀式を行う
 〈p106 大学寮の規則で、〉

 ①大学入学に際しての字をつける儀式、二条東院で行う(花散里もここにいる)

 ②学者(博士・大学の先生)の様子が滑稽に描かれている。
  →これが当時の学者の位置づけであろう。一種の職人ということだろうか。
  →猿楽がましくわびしげに=芸人みたいでもあった。決して尊敬される存在ではない。

4.字つける儀式の後の作文会、源氏の秀作
 〈p108 儀式が終わって、〉

 ①儀式の後、夜を徹して漢詩作成コンテストを行う(何と高尚なことであろう)。

 ②五言律詩(四韻を踏むので難しい、博士たち)
  五言絶句 (短く易しい、一般の人たち)

 ③窓の蛍を睦び、枝の雪を馴らしたまふ志
  →蛍雪の功 (蛍の光~窓の雪~)

 ④源氏の絶句は素晴らしい
  →どうせなら披露してもらいたいが、、(紫式部もそれは拒まざるをえないだろう) 

5.夕霧、二条東院でひたすら勉学に励む
 〈p110 それから引きつづいて入学の儀式をおさせになって、〉

 ①大学寮 内裏の南 朱雀門の東南四町を占める。

 ②夕霧は大宮三条邸から二条東院に移らせられ勉強部屋で猛特訓を受ける。
  大宮の所へは月3回しか帰れない。
  →大宮の恨めしさ如何ばかり 

 ③夕霧は真面目な秀才タイプ、瞬く間に学問を修めてしまう
  →源氏との性格比較が色々と述べられる
  →源氏は同じく12才で元服、葵の上が添臥、、、エライ違いです。

6.夕霧、寮試の予行に卓抜な資質をしめす
 〈p111 いよいよ今度は、〉

 ①試験勉強を伯父右大将(頭中)始め一族で手伝う。
  →頭中もここでは夕霧に随分尽くして合格を喜んでいるのだが、、、、。

 ②家庭教師たる大内記のことが面白い。学問でしか世渡りできない人。
  →紫式部は父為時をイメージして書いたのではなかろうか(考え過ぎか)。
  
7.夕霧、寮試に及第して擬文章生となる
 〈p112 若君が大学寮受験のため、〉

 ①大学寮試験の様子
  →お受験の今日でもまさか東大入試に母親は付いて行かないでしょうね。

 ②源氏が夕霧を大学に入れたとあってそれにあやかろうと大学入学者が増えた。
  →紫式部の学問礼讃、でも願望に過ぎなかったのかも。

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4 Responses to 少女(3・4・5・6・7) 夕霧、大学へ

  1. 式部 のコメント:

     作者は学者の家系だから、大内記に父為時のイメージが入っていたかもという清々爺の考えに賛成です。源氏物語を書いて彰子に仕えていたころ、紫式部の現実は老父と弟(兄説もあり)と娘とを後見しなければならない立場でした。出来の良い弟ならば、それほどの苦労はなかったでしょうが、父親にかって「この娘(紫式部)が男だったら良かったのに・・」嘆かせたように出来は悪かったようです。
     おそらく紫式部の依頼もあり道長はこの弟惟規を勅使として遣わしたのですが、泥のように酔ってしまった失態があり、道長は失望、若宮の家司の中に入れなかったので、「ねたきことおほかり」と日記のなかに紫式部は記しています。
     その当時のキャリアウーマンも大変だったのですね。

    • 清々爺 のコメント:

      興味深い解説ありがとうございます。

      藤原為時にはいったん淡路守(下国)を任ぜられたが漢詩を作り一条帝に不満を訴え道長の配慮もあって越前守(大国)に辞令替えされたと言われてますね。色んな事情はあったのでしょうが漢詩作成能力があってこそでその点学問が身を助けたと言えるのでしょうね。(でも総じて世渡り下手な人だったようですね)

      紫式部が源氏物語で有名になってからは彼女が一家の主柱だったのですね。惟規の泥酔事件は知りませんでした。せっかくのチャンスをお酒でパーですか。気をつけなくっちゃね。

  2. 青玉 のコメント:

    字の儀式、面白く読みました。
    この当時も専門分野の学者たちは身なりも構わず居丈高の学者バカのような人がいたのでしょうね。

    源氏物語の中で「蛍雪の功」にお目にかかるとは驚きでした。
    昔、津市に蛍雪学園なんて予備校ありましたよね。

    源氏の五言絶句、私も読みたかった!!
    載せなかったのは紫式部が女性で女の関知しないことだから?
    ここの判断が難しい、源氏に語らせるならいいのにと思いましたが・・・
    解釈が間違っているかもしれません。

    式部さんと清々爺さんのコメント興味深く拝見しました。
    できの悪い?紫式部の兄か弟、酒で身を滅ぼしたのですね。
    滅ぼし方もいろいろ、女性だったり金銭だったりね・・・

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.学問のことを考えると日本は中国の科挙の制度を採らなかったことが思いやられます。私はそれでよかったと思っています。

      2.津市の蛍雪学園、懐かしいです(隣に大川のドレメがありました)。旺文社の蛍雪時代もありましたね。

      3.語り手が遠慮した形にしていますが、抜群のできの源氏の絶句は載せてしまったら終わりということでしょう。花宴の詩作の所でも同じ手法(源氏のは素晴らしすぎて披露できない)が使われています(花宴p246)。

      4.源氏物語には酒が災いとなった場面は確かないですね。あったら面白かったのにと思います。紫式部は酒飲めたんでしょうかねぇ。
        →そうだ、柏木が源氏に無理やり飲まされるシーンは出てきますが、、。

       

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