p196 – 206
13.源氏、藤壷の宮を見舞う 藤壷の宮崩御
〈p34 源氏の君は、公の立場からしても、〉
①源氏 重病の藤壷の寝所近くへ
柑子などをだに触れさせたまはずなりにたれば
→何も口にすることができないほどになった。重病の常套句
②藤壷→源氏 臨終の言葉
「院の御遺言にかなひて、内裏の御後見仕うまつりたまふこと、年ごろ思ひ知りはべること多かれど、何につけてかはその心寄せことなるさまをも漏らしきこえむとのみ、のどかに思ひはべりけるを、いまなむあはれに口惜しく」
→何とも含蓄のある微妙・曖昧な言葉であろう。今際となってもついに真情を率直に吐露することはできなかった。源氏としては「好きでした。ありがとう」の言葉が聞きたかったでしょうに。
③灯火などの消え入るやうにてはてたまひぬ
→死の表現。享年37才、哀れである。
14.人々、藤壷を痛惜 源氏、悲傷の歌を詠む
〈p36 高貴な御身分のお方の中でも、〉
①藤壷(中宮)の節度を弁えたあらまほしき姿、万人の心を打つ。
→殿上人などなべて一つ色に黒みわたりて、ものの栄なき春の暮なり
②時節は春 12年前の花の宴を思い出す
深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け(古今集)
③源氏の独詠 入日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 代表歌
→源氏の心はいかばかりであったろうか。
15.夜居の僧都、冷泉帝に秘密の大事を奏上
〈p38 四十九日の御法事も終って、〉
ここも名場面です。皇統に関わる叙述なので紫式部も注意したのだろうがけっこうリアルに書いている。
①夜居の僧都(70才)登場 帝に全てをばらす。
②僧都の長々しい口上
→何故暴露したのか。帝のためか自分(が罪を免れる)のためか世の中のためか。耄碌して是非の判断ができなかったのか。この辺議論は尽きないところであろう。
→私は何ともこの僧都が気に入らない。職業上知った秘密は墓場まで持っていくのが人間ではないか。
③冷泉帝14才。吃驚仰天だろうが冷静、さすが源氏と藤壷の子どもである。
このあたり、話が面白くて、ぐいぐい読めました。清々爺のコメント同感です。ところで、
③源氏の独詠 入日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 代表歌
→源氏の心はいかばかりであったろうか。
ですが、人聞かぬ所なればかひなし と物語にありますが、人に聞かせられる歌ではないのでは?と思いました。
もう一つ、雑感ですが、
P206一行目
“かえりてうしろめたき心なりと思いぬる”は、最初うまく言ったものだと感心したのですが、清々爺の冷泉帝がきわめて冷静とのコメント見るとこの言い回しも冷静過ぎで、面白くないと思えてきました。いろいろですね。
ありがとうございます。ぐいぐい読めましたか、紫式部も本望でしょう。
1.源氏の独詠 入日さす、、、無論おっしゃる通り、人に聞かれてはならない歌です。語り手(作者)は「こんないい歌を詠んだのに人に知られては困るので誰かに言うことはできない。だから読者のあなただけにこっそり教えてあげるのよ」、、、ってことでしょうかね。
2.この時の僧都に対する冷泉帝の言葉&その後の行動はとても14才とは思えません。70才の僧都を手玉にとってますね。皇統は若干乱れているが冷泉帝がいかに優れた帝であるか(冷泉聖代)を語っているのだと思います。
色々に読み解いていきましょう。
藤壺の臨終の言葉「院の御遺言にかなひて・・・
まことに重みがあり言葉に言いつくせぬほどの深い思いが込められていて心に響きます。
ここの所は読者が察してあげましょう。
永遠の恋人との別れ・・・
源氏の独詠にその悲しみが溢れています。
この歌が巻名になっているということはやはり藤壺の崩御はこの巻の重要な場面なのでしょうね。
70歳の僧都の奏上、酸いも甘いも嚙み分けた高僧にしては軽々しいですね。
昔の僧都は今の僧侶と違ってもっと物事弁えた立派な人物と思っていましたが・・・
それに比べ14歳の冷泉帝の何と冷静、沈着立派なものです。
しかしその心の内を思えばどんなにショックを受けたか思いやられます。
ありがとうございます。
1.藤壷の臨終の言葉、おっしゃる通りだと思います。言いたいことがストレートに言えればお互い苦労はない訳で、この言葉がギリギリ精一杯のところなんでしょう。二人にとって誤算は藤壷の死が余りにも突然であったこと。もう少し時間が経てばお互い落ち着いた情況でしみじみ語り合うこともできたのに、、、と残された源氏は悔しく思ったことでしょうね。
2.「薄雲」この巻名いいですねぇ。藤壷はメインストーリーの主役で亡くなるのは大事件です。これで葵の上・六条御息所・藤壷と大物級三人の女性を見送ったことになります(夕顔の突然死は別にして)。華やかな物語である反面、実に悲しい物語ですね。