松風のまとめです。
和歌
35.身をかへてひとりかへれる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
(明石尼君) 明石一家大堰の邸に
36.契りしに変わらぬことのしらべにて絶えぬ心をほどは知りきや
(源氏) 大堰邸にて明石の君に
名場面
34.人離れたる方にうちとけてすこし弾くに、松風はしたなく響きあひたり
(p136 明石一家大堰の邸に移り住む)
[「松風」を終えてのブログ作成者の感想]
松風の巻、改めて式部さんの朗読を通しで聞かせてもらいました。益々名調子に磨きがかかって明石の入道との切ない別れ、大堰に着いての不安気な様子など明石一家の気持ちに思いを馳せることができました。
巻名「松風」が素晴らしいと思います。日本古来の針葉樹である松は語源的にも多分に「待つ」の意味合いを含んでいるのではないでしょうか。源氏物語の女君たちは押し並べて源氏の来訪を(或いは帰りを)待つことを強いられる人たちですが、取分け明石一家(明石の君-明石の姫君)には「待つ」イメージが強いと思います。
一方の紫の上。明石母娘が明石から大堰に移って来た。母娘会いたさに気もそぞろな源氏、見え透いた口実を作りいそいそと大堰に出かけて行く。身分的には第一夫人の地位は問題なかろうが何せ相手は源氏の姫君をカードとして持っている。さてどうなりますやら、次巻をお楽しみに、、、、(てな風に読み語られてたのでしょうか)
式部さんの朗読、淡々とした中にも感情が秘められていて益々磨きがかかり清々爺さんおっしゃる通りですね。
松風の巻、印象に残る巻でした。
明石一族の哀歓、とりわけ明石入道の家族との惜別が心に染みました。
今後の明石一族の物語はどのように発展するのでしょうか?
明石の上、姫君そして入道と尼君の運命や?
ありがとうございます。
今まではこの巻、すっと通り過ぎていましたが今回皆さんとのコメントやりとりも併せじっくり読んでつくづくいい巻だなあと思いました。明石一族の想いを読んで人間真面目に生きるのは大事なことだと思いを新たにしました。明石一族に幸いあれ!という感じです。
本帖は、明石の入道と光源氏の生きざまや家族への思いやりの違いが際立って語られていて、面白かったです。
身分の違いからかと以前書きましたが、年齢や出家したか、また住んでいる場所とか、もちろん複合要因ですよね。幼いころの育ち方もあるかも。いずれにせよ、入道は、頑固な偏屈ものというイメージを植え付けられていましたが、本帖を読んで、なかなか良い親父さんに変身です。清々爺によると、まだまだ登場するらしいので、イメージが変わるのか、更に深まるのか、楽しみです。
歌では、
身をかへてひとりかへれる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
と
住みなれし人はかへりてたどれども清水は宿のあるじ顔なる
が良かったです。
あと、
月のすむ川のをちなる里なれば桂もかげはのどけかるらむ
は、帝の源氏への憧れと言うか、もう地位を捨てたいと言うか、帝の自由でいたいと言う心境が伝わってくる気がしました。
明石の姫君の生育と、紫の上・明石の君の関係が今後どう展開して行くのか、興味しんしんです。
ありがとうございます。
1.よく読み込まれていますね。源氏にとりかかってまだ4ヶ月ちょっととは思えませんよ。情熱と努力の賜物と思います。
2.物語中の人の生き様もそれに対する読者の感じ方も様々な複合要因によるものでしょう。おっしゃる通りだと思います。源氏物語には複合要因が実にうまく散りばめられていると思います。それにより様々な読み方・感じ方ができるわけで主人公の源氏など場面場面で「何とできたいい人だろう」と思ったり「何て太い輩だ」と思ったり。面白いもんです。
3.尼君の二つの歌&冷泉帝の歌、いい歌だと思います。帝の歌を見て源氏は何を思ったのでしょうね。
拙い私の朗読を聞いてくださってありがとうございます。
「松風」の帖はみなさまと同様にいいなと思います。
登場人物のそれぞれが、ほどよい距離を保ちながら、互いの気持ちを思いやっているところ、いいですよね。
すべての人が完全に満足している状態ではないけれど、良い人間関係を築いていく努力をしている感じが好感もてます。
式部さんの朗読すっかり板に付いてきましたね。素晴らしいです。物語もこれから益々面白くなるし、どうぞ楽しみながら存分に朗読してください。よろしくお願いします。
「ほどよい距離」、その通りだと思います。源氏・紫の上・明石の方の三角関係にしてもいつも正三角形の距離ではなく時には形は歪むものの壊れる訳ではない。距離が大事。登場人物全てに言えることでしょうね。
『松風』の帖は 嵐山が舞台でしたが、懐かしくて懐かしくて・・・。
嵐山と須磨・明石は 似ても似つかぬ土地、とのコメントがあったようですが
清々爺によると「明石の君の邸」は、“大堰川べりで渡月橋の少し北”とのこと。
渡月橋を少し上ると川面がゆったり広くなります。そして、右(北)側から
松林に覆われた小倉山が迫ってきます。丁度、六甲西端が迫ってくる
須磨明石と “感触”が似ています。 18歳まで、四条大宮に住んでいましたが
小学生の時は、水泳と言えば、嵐電に乗って嵐山のこのあたりまで
きたものです。
それに「源氏の嵯峨野の御堂」 - 今の清凉寺(源融の別荘跡)との由。この
清凉寺の裏側を抜けた二尊院の少し先に、両親の墓を造りました。同じ
嵐山でも大堰川畔とは全然違う雰囲気の地です。
実は、今まで、源氏物語と嵐山は まったく結びつかなかったのですが、
この『松風』の帖で初めて分かりました。
メチャ“おくて”ですね。
興味深いコメントありがとうございます。
そうでしたか、そりゃあ懐かしいことでしょう。
1.明石の君の大堰山荘のこと、なるほどそうですか。京の中では明石に一番感触が似た場所と言えるのでしょうね。川幅が広くなってることは知ってましたが小倉山が迫っていることは知りませんでした。鵜飼をやったり、優雅な舟遊びもあったようで。三船祭(五月第三日曜日)の様子、YOUTUBEで見ました。
2.二尊院・清凉寺と昨秋回りましたがこの辺りは秋の風情がいいのでしょうね(どうしても小倉百人一首の藤原定家を思い出します)。松風の巻も季節は秋、嵯峨の御堂も松と紅葉できれいだったことでしょう。