須磨(11・12・13) 女君からの返書

p56 – 66
11.紫の上、源氏の文を見て嘆き悲しむ
 〈p49 京ではこれらのお手紙を、〉

 ①源氏の文 歌は載せられていない。

 ②紫の上が嘆き悲しむのは誠にその通りでただ哀れである。
  流謫先の源氏に夜具や衣装などを見繕って届ける。源氏は嬉しかっただろう。
   →今でも辺鄙な駐在地にいる人にとっては日本からの食材やら本・ビデオなどが心身の支えである。アルジェリア、イナメナスなどはその最たるものであの悲劇を思い出しました。 

 ③全くの余談
  忘れ草=ユリ科の萱草 日本古来のもの
  忘れな草=園芸ショップによくある紫がかった花 明治時代に西洋から
  人間は忘れることも忘れないことも両方必要ということでしょう。

12.藤壷・朧月夜・紫の上それぞれの返書
 〈p51 藤壷の尼宮におかせられても、〉

 ①藤壷・朧月夜・紫の上からの返事。何れも「うら」「しほ」「あま」などを詠み込んで返書としている。あまりかわりばえがしない。

 ②若君(夕霧)のことは左大臣・大宮に任せている。若干情が薄いのではなかろうか。

13.六条御息所と文通、花散里への配慮
 〈p54 ほんにそう言えば、〉

 ①まことや 読者は六条御息所はどうなってるのかと作者を急き立てる

 ②この御息所との文通の段は他の女君との文通より力が入っているのではなかろうか(脚注とは違うが)。御息所は源氏が何故須磨に自ら落ちることになったのか分かっていたのだろうか。藤壷とのことは勿論知る由もないが朧月夜との密通露見は情報として知っていたのだろう。

  御息所にしてみれば「あなたも須磨に落ちるなんて不遇かもしれないけど、私はあなたと別れて伊勢くんだりまで落ちて来てもう三年よ。それにあなたは何年かしたら京に戻るんだろうけれど私はいつになったら戻れるか分からない。私の方がもっと可哀そうなのよ」って気持ちもあったのかも。

 ③伊勢からの使いで若い侍が来る。これを二三日留めさせて伊勢の話をさせる。
  気色ある侍ひの人なりけり →侍という言葉が使われている。
  この使者よほど風格を備えた素晴らしい若者であったのだろう。御息所の持ち物は家来まで違うということを訴えている。

 ④花散里からの消息。
  荒れまさる軒のしのぶをながめつつしげくも露のかかる袖かな
  これは源氏に修理修繕を催促した歌ではないか、、、、、なんて下種の勘繰りでしょうね。でも源氏はちゃんと直してやる。エライもんです。
  末摘花も源氏に一筆啓上するぐらいの才覚があればよかったのに。

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2 Responses to 須磨(11・12・13) 女君からの返書

  1. 青玉 のコメント:

    源氏の居ない二条院では紫の上始め、女房達のそれぞれの様子がうら寂しく描かれておりやはり源氏あってこその華やぎなのだと思い知らされます。

    三人の女性、それぞれの立場からの返書ですが特に紫の上の真心こもった手紙は心打たれたことでしょう。
    若君の事に関しては意外とあっさりで子ゆえの闇は感じられません。
    安心して左大臣家にお任せなのでしょうか。

    更に御息所、花散里となかなか細やかな配慮です。
    あはれに思ひきこえし人を、一ふしうしと思ひきこえし心あやまりに・・・
    未だ未練たっぷり、それとも単なる懐かしさでしょうか?

    花散里の和歌、私も何だかさもしい感じがしてしまいました。おねだりっぽい。
    同じ葎の荒れ果てた末摘花邸ですがさすが高貴な姫君、そんなお心はさらさら無くというよりも文や和歌の才覚も知恵も無きに等しいでしょう。
    ちょっと厳しいかな?
    進乃君さんから同性に厳しいと言われそう・・・

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      女君への便り・その返信、それぞれの想いが述べられていますね。
      特に六条御息所からの返信には昔のあれこれが思い出され感極まったのではないでしょうか。

      末摘花には手紙を出さなかったのでしょうかね。おっしゃる通り出しても返事は来なかったのかもしれません。それが末摘花流儀でしょうから。

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