p48 – 56
9.源氏、紫の上を残して須磨に出発
〈p42 御出発のその日は、〉
①例の夜深く出でたまふ
旅行の出発は夜明け前、即ち早朝
②紫の上 惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしかな
→ 痛切な一首。紫の上の試練の時が始まる。どこまで続くことだろう。
③須磨への道中、脚注に沿ってまとめると、
・二条院 → 伏見 馬(徒歩)にて (乗船場所は伏見に限らず諸説ある由)
・伏見 → 難波 川船で淀川を下る ここで一泊
・難波 → 須磨 翌朝海上を船で(距離48KM) 午後4時ころ須磨着
脚注にもあるが京→須磨の道中のことはほとんど描かれていない。紫式部は心中描写は得意だが風景描写は不得意であった或いは無関心であったなどと言われています。
④渚に寄る浪のかつ返るを見たまひて、「うらやましくも」とうち誦じたまへる
→伊勢物語7段(東下りの発端)から引かれている。旅に出る。帰りたい、帰れない。波は返っていける。羨ましい。
いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる波かな
⑤来し方の山は霞はるかにて、まことに三千里の外の心地するに
→芭蕉は奥の細道「旅立ち」のところでここを引いている。
前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ
10.須磨の家居の有様 都の人たちへ文を書く
〈p46 源氏の君のお住まいになるところは、〉
①おはすべき所は、行平の中納言の藻塩たれつつわびける家居近きわたりなりけり
行平のことはよく知られていたからそのイメージを借りたのであろう
②良清登場。元播磨守(明石は播磨)の息子。こんなのが腹心にいると心強い。
テキパキと荒れた屋敷を都風にリノベートする。
③摂津守(須磨は摂津)も源氏が面倒みた男だった。
→そりゃあ強い、ズルイ。須磨を選んだ理由の一つはこれであったに違いない。
→脚注にもあるがこれで流人と言えるのか。
弘徽殿大后が「怒るのは怒るのはあったりまえでしょう!」
④5月長雨・梅雨の季節になり都の人々に消息する。
ながめする=性的に満たされずぼんやりしている様子(折口信夫)(空蝉総括参照)
この季節になると女君が恋しくなる。恋文を書く。
紫の上・藤壷・朧月夜 & 宰相の君(夕霧の面倒見てもらっている)
紫の上への名残りは尽きないもののいよいよ須磨への出立。
唐国の故事や業平、白楽天の古歌を引き落ち行くものの哀れさが一入です。
寂びしい山中の住まいも一応落ち着いたたたずまいに設えられ忠実な家来の元に須磨暮らしの始まりですね。
今回惟光は同行しなかったのでしようか?
良清、大工兼庭師のような管理能力のある器用な部下ですね。
やはり須磨での禁欲的な生活は徐々に飽き足りなくなるのでしょうね。
都の女君達が思い出される、それでこそ源氏ですね。
ありがとうございます。
1.須磨へのお引越しの場面、いくら侘しい寂しいと言われても瞬く間に居心地いいように設え直すのでは「何だ、それで流謫と言えるのか」と思ってしまいます。でも都にいる読者たちは「あの源氏の君が、須磨などに、、、何とお労しい、、せめてできるだけのお住まいにしてあげて欲しい」と思っておりこの件の叙述にほっとしたのでしょうね。
2.「お傍去らずの惟光」、勿論同道しています。屋敷設営の場面では土地鑑のある良清が主導していますが。須磨15で登場します。
私が源氏なら一番の腹心惟光は二条院に残し紫の上の面倒を見させたいところです。「頼めるのはお前だけだ、二条院を紫の上を守りぬいてくれ、、、」いかがでしょうか。
そうですか、もうすぐ登場ですね。
守り抜くよりももしかしてひょっとして好色の惟光のこと、手を出されたら困るという危惧?如何でしょう、考えすぎ?
もちろん紫の上は相手にしないでしょうけどね・・・
確かにね。でもさすがにそれは身分違いで話にならないでしょう。頭中とか須磨3に登場する源氏の弟蛍兵部卿宮とかなら可能性はあるのかも。そういう危険回避のためにも惟光は残した方がいいかと妄想したものです。これも考えすぎです。
これこそ下種の勘ぐりですね。
乳兄弟と言えば命を賭してまで主人を守る忠誠心。
惟光さんごめんなさい!!