p25 – 36
3.源氏、二条院で紫の上と別離を嘆く
〈p21 二条の院へお帰りになりますと、〉
①隆盛を極めていた頃と変わり果てた今の様子が対比的に描かれる。
屋敷は荒れていき人々も離れていく。
②紫の上との会話&共寝
父兵部卿宮の冷たさ、継母北の方の他人の不幸を嘲笑う感覚
→読者も源氏もこれは許せないと思う
連れて行きたいが慎むべき身とあらばそれもできない。
③紫の上 別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし
→ 代表歌です。源氏は去っても鏡に源氏の魂は残る。紫の上の歌はいつも哀しい
4.源氏、花散里を訪れて懐旧の情を交す
〈p26 花散里のお邸では、〉
①「花散里」の巻と同様麗景殿女御と花散里を訪ねる。この忙しいのにこまめなものです。
一泊している、、、ということは当然実事はあったのであろう。ただ花散里の場合は作者も読者もそんなこと気にしないようになってきている。ごく普通のカップルで物語性はない。
→源氏の一度契った女性は大事にするという象徴として描かれているのであろう。
5.旅立ちの準備 邸内の雑事や所領の処置
〈p29 源氏の君は二条の院で、〉
①旅立ちの準備、色々ある。ここは興味深いところ。当時の家庭経済のことが分かる。
・家来は誰と誰を連れて行くのか。二条院に残すのか。
・何を持参するのか。何が大事だったのか。
→仏書・白氏文集・琴 この三つ
・券=土地建物権利証みたいなものか。
二条院の管理、所有する荘園などの管理これらをみな18才の女主人たる紫の上に任せる。
②自分に仕えていた(召人でもあった)中務・中将の君なども紫の上のところに預けていく。よく気がきくなあと物語を読んだ女房たちは心を打たれたことであろう。
この回に直接関係はありませんが、忘れないうちにコメントします。
以前から催馬楽を直接聴いてみたいと思っていましたが、3月2日国立劇場(小)の管弦の演奏に催馬楽「伊勢海」がありましたので、その報告です。
催馬楽は平安貴族が400年にわたって愛唱した古謡で、身近な楽しみ、大切な教養でした。武家社会に入ると廃れましたが、その一部の「安名尊」「美濃山」「席田」「伊勢海」「更衣」「山城」の6曲は江戸時代の楽師が復元しました。
源氏物語では明石の巻⑧138ページに「伊勢の海ならねど清き渚に貝や拾はむなど声よき人にうたはせて我も時々拍子とりて声うち添へたまふを」とあり、これは催馬楽・伊勢海「伊勢の海の 清き渚に しほがひに なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや」からの引用です。
実際聴いたところでは、はじめに一人(鞨鼓・指揮者)が「伊勢の海の」と歌いだし、続いて4~5名が一緒にゆったりと歌うスタイルでした。言葉の最後の母音をとても長く伸ばす印象があり、 笙、篳篥、龍笛、琵琶、箏などで伴奏していました。 音を文章にするのはとても難しいのですが、なんとなく雰囲気をつかんでいただければと思います。
源氏物語には催馬楽のでてくる場面が多いので、参考になればとおもいます。
貴重なコメントありがとうございます。深い興味と関心がないと聴きにいけないと思います。どんなスタイルでどんな風に演奏され歌われるのか本を読んだだけでは分かりませんものね。お蔭さまで感じは分かりました。今度是非聴かせてください(半分冗談ですが)。
解説書見ると源氏物語の時代にはすごく盛んだったようですね。歌だけならもっと昔からあったのがコメントいただいた伴奏楽器を入れることで貴族の宴会を盛り上げるエンターテインメントになったようです。やはり宴会では歌が必要ですもんね。
おっしゃる通り源氏物語には催馬楽が沢山出てきます。紫式部も好きだったのでしょうね。因みに源氏物語の巻名になっている催馬楽の曲は「竹河」「総角」「東屋」の三つで第三部に集中しています。紫式部は年をとるにつれてますます催馬楽が好きになったのかも知れません(私のカラオケじゃないですが)。
また出てくる都度色々教えてください(明石の伊勢の海はもうすぐですね)。
催馬楽等の古代歌謡や歌舞伎の長唄、浄瑠璃の言葉が私には理解しがたくいつもイヤホンガイドの助けを借りています。
来週、御園座の最終歌舞伎公演(猿翁 猿之助 中車)の襲名披露を観に行くのですがやはりガイドが欠かせません。
これは慣れでしょうか?それにしても私は一向に聞き分けができません。
ガイドに頼る癖がついたのかな?
式部さんのように理解できれば舞台もさぞや楽しいでしょうね。
旅立ちに備えて先ずは二条院で最愛の紫の上としみじみとした時間を持つ源氏。
この場面でも源氏が紫の上の気持ちも思いやらず言い訳をする所は相変わらずですね。
紫の上の継母の仕打ちも醜いです。境遇を羨んだり落ち目になると態度がころりと変わる。
源氏も紫の上も世の不条理や無常を嫌というほど見せつけられたでしょうね。
紫の上の和歌、哀切極まりないです。
そして次には花散里を訪ねる、ここでもやはり間奏曲の味わいがあり淡々とした中にも前後の場面をつなぐ役割をはたしているように感じます。
よろづのことどもしたためさせたまふ。
ここにすべてに繊細、ぬかりない源氏の性格が出ているように思います。
お忙しい所フォローいただきありがとうございます。
万能者として頼りきってきた源氏が急遽離れた所へ行ってしまう。いつ帰るとも分からない。父は冷たくあてにできない。紫の上の心細さは如何ばかりだったことでしょう。その中で頼りにするのはずっと母代りに面倒をみてきてくれた少納言の乳母だけだったのでしょうか。この人はしっかりしてて源氏も彼女を見込み紫の上のこと留守中の様々な雑務のことを託していく。「少納言の乳母」の存在は大きかったと思います(その後源氏の召人だった中務・中将なども紫の上の人柄に感じ入り味方するようになっていく)。
→紫の上、ガンバレ!って叫びたくなります。