若紫のまとめです。
和歌
9.見てもまたあふよまれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな
(源氏) 藤壷との禁断の契り
10.手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草
(源氏) 若き紫の上、紫のゆかり
名場面
9.雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠の中に籠めたりつるものを
(p23 北山で最愛の伴侶となる若紫を発見、その颯爽たる初登場の場面)
10.見てもまたあふよまれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな
(p60 代表歌と同じ藤壷との禁断の契りの場面、物語全体でも五指には入る重要場面)
11.「いざたまへ。宮の御使にて参り来つるぞ」とのたまふに、あらざりけりとあきれて
(p94 若紫を二条院へ連れ出す 謂わば少女拉致監禁、、と言ってしまえば実も蓋もないが、、)
[「若紫」を終えてのブログ作成者の感想]
「若紫」、やはり帚木三帖とは違いますね、源氏物語のメインストーリーが語り始められたのを実感します。重厚で濃密、そんな感じです。いかがでしょう。
幼いながら雅びであどけない若紫が颯爽として登場し、源氏の君に関わっていく。一体この少女にどんな運命が待ち受けているのか、スーパーヒーロー光源氏はこの少女を幸せにしてくれるのか、、、読者の期待は膨らむものの一方で若干の不安を禁じ得ない、、、そんなとこでしょうか。
そして藤壷との禁断の契りが突如語られます。連続ドラマでは1回分にも満たないようなページ数ですがここを見落とすと全てが分からなくなってしまう重要場面です。ただ私はどうも藤壷に親しみ(人間としての温かみ)を感じないのです。作者が遠慮して藤壷の描写を控えているせいでしょうか。
いつもながらコメントをいただいているみなさま、ありがとうございます。投稿は一人で書いてるのでどうしても見方(登場人物への思い入れ)が一方的・先鋭的になりがちです。書きたいことの半分も書けず、書くつもりもなかったことをふと書いてしまうということで落ち込んだりしています。そんなとき突っ込みを入れていただき、再度読み直し考えを整理するとすっきりします。「あっ、そういうことだったんだ!」源氏物語は読めば読むほどそんな発見がありそれが楽しいのです。
式部さんの朗読、青玉さんの各巻まとめの和歌、すばらしいです。共々宇治橋のたもとまで辿りつけるよう頑張りましょう。よろしくお願いいたします。
「若紫」 先ずタイトル(巻名)が良いですね。
いかにも紫の上の幼い時、そして紫のゆかりを象徴しています。
桐壺から始まって若紫まで、一番印象に残る場面でした。
この巻を起点として、今後源氏と若紫(紫の上)がどのような関係を築いていくのか、その序章として楽しめました。
そう言えば前回NHK大河ドラマで二位尼が朗読していたのは若紫の雀の子の場面ではなかったでしょうか。
他の事をやりながら見ていたのでちょっと記憶違いかな?
今朝、気づきました。
右側に源氏百首、源氏物語名場面集と共に、青玉源氏物語和歌集も掲載してくださって有難うございます。とても光栄に思うと同時に恥ずかしな~
清々爺さんの「源氏物語 道しるべ」ウオームアップから間もなく半年になろうとしています。
コメントさせていただきながら、あれもこれも書きたかった、逆にあんなこと書かなければよかったとか、迷いや後悔や失敗に身の縮む思いです。
コメントはされなくてもテキストを揃え、毎回勉強しておられる隠れファンも多くいらっしゃるに違いありません。
来年はそういう方々にも勇気を持ってご登場願いたいです。
失敗を恐れていては何もできません。思ったままを吐露していただきたいですね。
私など性格上、日々後悔と失敗の連続で物語ができそうな有様です。
無理なく楽しみながら源氏物語を傍に置いて自分も貴族や姫君になった気分で味わいましょうよ・・・
ほんと、「若紫」の巻名は秀逸です。パッと明るくなりますもんね。
源氏物語千年紀の根拠となった紫式部日記寛弘5年(1008年)11月1日、彰子の初皇子・道長の初孫の五十日の祝いの記事で藤原公任が紫式部にちょっかいを出す場面を引用しておきます。なかなか洒落た話です。若紫がぴったりです。
左衛門の督、「 あなかしこ、このわたりに、若紫やさぶらふ」 とうかがひたまふ 。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上は、まいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。
(「清盛」2回分ほど溜まってます。今晩あたり見ようかと思ってます。多分雀の場面でしょうね。繰り返し使われていますから)
(応援メッセージ、ありがとうございます。源氏物語を再度キチンと読みたいけど一人ではシンドイと思って始めたブログなので、お付き合いいただいている人がいることほんとありがたいのです)
清ゝ爺
若紫を今朝読み終えました。大変面白かったです。
清々爺の言うように、小生も藤壺の魅力が作品から充分には伝わってこない気がして些か不満でした。若紫の魅力はあんなに書いているのに、藤壺との契りをふくめ描写が少ないと思いました。これも作者の作戦?
歌では、皆さんと同じく
手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草
が印象に残っているほか、
ねは見ねどあわれとぞ思う武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを
と
かこつべきゆえを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらん
(幼い幼い若紫がこんな歌を読むとは、やり過ぎですが)
は、本帳の要約みたいで、興味ありでした。
ところで、露わけわぶるは逢いがたいと解説がありますが、わぶるは直訳すればどういう意味か、わかれば教えてください。
今日、息子が東京マラソンを走っているので、これから応援に行って来ます。
明日から、次帳をよみたいと思います。引き続きよろしくお願いします。
なかなかいいペースです。7~8月には追いつけるでしょう。その調子で楽しみながら進めてください。
1.藤壺とのことは遠慮して(何せ中宮になる人ですから空蝉や夕顔とは違います)筆を控えたのでしょうかね。余り露骨には書けませんから。
2.和歌をキチンと読んでるのもすごいです。
「露わけわぶる」の「わぶる」はそのまま「侘ぶる」=「侘しく思う」でいいと思います。「露をわけながら侘しく思う」ということでしょう。この歌、逢いたくても逢えない藤壺のことを詠むと同時に目の前の紫の上に想いをかけた歌だと思います。
3.次の「末摘花」はまた趣向が違って面白いですよ。お楽しみに。
若者は東京マラソン、六十五才は源氏物語。言うことないじゃないですか。
清々爺へ
応援から帰ってきました。早速の返事ありがとう。