p62 – 66
14.源氏・藤壷の苦悩 藤壷懐妊、宮中に帰参
〈p285 源氏の君は二条院にお帰りになって、〉
一度にして懐妊してしまう藤壷。禁断の契りからこの段は息もつかせぬ迫力で読者を唖然とさせる。
①藤壷はそのまま里に留まっている。
6月になって悪阻がひどくなる。6月は今の7月、酷暑の候である。
王命婦はピンと来る。
②帝からは何度も参内の催促。もう三か月も里下がりしている。訝しく思うのも当然だろう。
③源氏は夢合せ・夢解きをさせる。
及びなう思しもかけぬ筋のことを合わせけり
これで「源氏が帝の父になるという内容であろう」と注釈されているが、やや飛躍では。
何れにせよ「占いは科学であった」わけだから、この筋書きに沿って物語は進むことになる。
④7月になって藤壷は宮中にもどる。帝は待ち受けたように激しく寵愛する、、、、妊娠中なのに!!
⑤藤壷に自分の子ができたと有頂天の桐壷帝。源氏を侍らせて日夜管弦の遊び(飲めや歌えやの祝宴)。
同席する源氏と藤壷(勿論御簾などで隔てられているのだが)、お互い恐ろしい気持ちだったろう。
以上「もののまぎれ」と言われる藤壷との禁断の契りの一節であります。
藤壺懐妊、何という罪深く恐ろしいことでしょう!!
義理の母上を妊娠させてしまうなんて・・・なにもご存じなく「御思ひのほど限りなし」・・・帝がお気の毒としかいいようがありません。
管弦のお席で帝のお心も知らず、藤壺、源氏の立場、如何ばかりの心境でしょうね。
不安、焦燥、苦脳を抱き物語はどのように展開していくのでしょう・・・
ありがとうございます。
藤壷は源氏にとって父桐壷帝の妃なので義理の母にあたることは間違いないですが、この時代、帝には沢山の妃がいたわけで「義理の母」だから禁断の契りだっていう感覚はあまり強くなかったと思うのですがどうでしょう。
源氏にとっても藤壷にとっても畏れ多くも時の帝を騙して不貞を働いたこと、その結果として身籠り、然も占いでは子どもは男で皇統につながっていく、、、こりゃあマズイって畏れおののいたのじゃないでしょうか。
この辺、色々議論があるところだと思います。
この時代、今と違ってそのような道徳観念はあまり重要ではなかったのでしょう。
男女関係も寛容ですから今と比較するのはふさわしくないかもしれないですね。
その点をたえず念頭に置いておく必要がありそうです。
そうですね、制度も考え方も違う社会ですからいっしょに考えるべきではないのでしょうが、さりとて今に生きる我らとしては今との比較じゃないと考えが進みませんものね。難しいところであり面白いところでしょうか。
もののまぎれ(藤壺13・14)のところでの私の疑問は藤壺は帝も心配するような病気で里に戻っているのに何で源氏はよその屋敷まで侵入してコトに及ぶようなことができたのか。病気は大したことなかったのか。それだと帝が許しておくのもおかしいし、、、。
藤壺が里帰りしたのが2~3月、禁断の契りが4月。その後もずっと里におり妊娠がわかり悪阻も一段落して内裏に戻ったのは7月。余りにも長すぎるのではなかろうか。帝もちょっとおかしいぞ、、とは思わなかったのでしょうか。
→ この辺が後で皇子が誕生したときの受け止め方に繋がっていくのですが。