p147 – 159
16.源氏、小君を召して文使いとする
〈p118 この頃は源氏の君は左大臣邸にばかりおいでになります。〉
①小君、何才であろうか。10才くらいか。
こう言う子役的な使い方、紫式部はうまい。
小君を介しての源氏と空蝉のやりとり。
②源氏と紀伊守が会話しているが、紀伊守は空蝉が襲われたこと知らないのだろうか。
ちょっと不自然な感じである。
17.源氏、再び紀伊守の邸を訪れる
〈p125 例のように、宮中で幾日もお過しになっていらっしゃる頃でした。〉
①源氏次なる方違えのチャンスを待ちかねて再び紀伊守邸へ
迷惑だけど、恩を売っておけば見返りもあろうと打算する紀伊守
③空蝉はずっと紀伊守邸に居続けたのだろうか。ちょっと不思議。
④「いとかく品定まりぬる身のおぼえならで、、、、ほど知らぬやうに思すらむ」
これが空蝉の真情。それにしてもしっかりしている。
この辺の叙述について国文学者の大野晋が絶賛している。
「源氏物語全体を通じてこれだけせめぐ女の気持ちをリアルに書いてある箇所はない」
⑤歌を交すものの情は交せない源氏。
小君を寝所に入れて替りを務めさせる。
(宇治十帖の最後に出てくる浮舟の弟も小君、これもなんとなく妖しい)
男色に対する二つの説:
丸谷才一「王朝の貴族階級において、男色は一つの文化であった」(光る源氏の物語)
橋本治「源氏物語の時代に男の同性愛はない、あるのは平安末期から元禄まで」(源氏供養)
ということで、源氏の思いは遂げられず悶々として次巻に移ります。
そう言われれば不思議ですよね。
源氏が次に訪れた時、空蝉がいたのは偶然でしょうか?
小君については想像にまかせるしかないのでしょうね。
心乱れる空蝉の心情がせつなくも、きっぱりと覚悟を決めるのはあっぱれです。
この段で交わす歌にやっとタイトルの「帚木」がでてきましたね。
帚木の消ゆるがごとしあやなくも
若き公達雨夜の戯れ
ありがとうございます。
1.「帚木」、最後の最後に出てくるのですよね。何だかちょっと思いつきみたいに感じますが、「信州の園原の帚木」は著名な歌枕だったようですから計算づくのことかもしれません。芭蕉は更級紀行で信州には行っていますが「園原」「帚木」には触れていないのですかね(ちょっと調べただけでは出てきません)。
2.帚木の歌、いいですね。その調子でお願いします。
(歌の部分太字に編集させてもらいました)
信州下伊那、阿智村にある園原は中央道園原インターで降り富士見台高原にある紅葉の名所です。冬はスキー今は紅葉の真っ盛りだと思います。
「ヘブンスそのはら」と銘打ちその三段紅葉は素晴らしいですよ。
「帚木」の由来が「そのはら」とは、まさか知るよしもがなでした。
太字、目立って恥ずかしい、でもありがとう!!
言葉を並べているだけで意味不明かも・・・難しいです。
そうですか、信州の園原って今でも名所なんですね。知りませんでした。
改めて脚注を読んでみると園原と伏屋はペアーなんですね。そして百人一首No.31の坂上是則が引用されています。百人一首と源氏物語のリンクにこれも加えなくちゃいけませんね。
No.31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
↓
坂上是則
↓
園原や伏屋に生ふる帚木のありとは見えて逢はぬ君かな
↓
帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな(源氏)
↓
数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木(空蝉)
中央高速通る機会あったら園原で下りてみたいですね。