さて、ここからが面白い。始まり!始まり!ってところです。
p125 – 126
13.品定めの翌日、源氏、左大臣邸へ退出
〈p98 ようやく、今日は雨もやみ、〉
①宮中→左大臣邸へ 左大臣の下にもおかない対応
左大臣はずっとこの後も大事な婿として源氏に貢献する。
左大臣の北の方(大宮=桐壷帝の妹)も源氏をこよなく可愛がる。
(左大臣邸:三条にある、ここも今後物語の主要舞台の一つとなる)
②葵の上の様子
「おほかたの気色、人のけはひも、けざやかに気高く、乱れたるところまじらず」
「あまりうるはしき御ありさまの、とけがたく恥づかしげに思ひしづまりたまへる」
やはりこれでは気づまりなのだろうか。対局をなすのが夕顔という位置づけか。
葵の上が頑な過ぎるのか源氏が我が儘なのか。
③気づまりで面白くない妻を敬遠して気楽な女房たち(中納言の君・中務)と戯れる(当然戯れ以上のコトにも及ぶ)。この辺り最初読んだときは「源氏よ、もっと真面目にやれ!」って思ったものですが、、、
左大臣の源氏への気の使いようが並みのものではありませんね。
それに引き換え、源氏は舅のことをうっとおしく思い暑さの中イライラが募っている様子がわかります。
さて下世話な話ですが清々爺さんに質問です。
源氏が初めて契りを持った女性は誰なのでしょうか。
私の読みの推測ではとても及びません。
葵の上、藤壺、六条御息所、一体誰?
それとも他に夜伽の共寝をする人がいたのでしょうか?
ありがとうございます。
1.源氏は左大臣がうっとおしいものの「大殿の御心いとほしければ」とあるように、気を遣って左大臣邸に顔を出す。この辺の気遣いが源氏のいいところです。これで葵の上が飛びついてきてくれたらいうことないんでしょうが。。。。
2.源氏が初めて契った女性ですか、それはやはり葵の上でしょうね。12才で結婚したときそれなりの儀式があったと考えるのが自然でしょうから。藤壷とのいきさつは残されてないので諸説あるのでしょうが、正に雨夜の品定めの頃即ちG17年5月ではないでしょうか。六条御息所はこのときもうお忍びで通ってたのですから(それもちょっと飽きがきている)デキたのはG16年ころじゃないでしょうか。
他に添い寝したような女性は宮中にも左大臣邸にも多数いたのでしょうが、それはカウントしない(考慮しない)のが源氏の読み方だと思います。
以上、勝手な推測であります。
「大殿の御心いとほしければ」とあるのを読み飛ばしていました。
源氏も夜離れがちなのをそれなりに思いやり気遣いをしていたのですね。
源氏が初めて契りを結んだ女性、やはりそう考えるのが妥当ですよね。
ありがとうございました。