椎本のまとめです。
1.和歌
91.われ亡くて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ
(八の宮) あわれなり、八の宮
92.立ち寄らむ蔭とたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな
(薫) 八の宮を偲んで
2.名場面
91.二月の二十日のほどに、兵部卿宮初瀬に詣でたまふ。
(p12 匂宮、宇治に中宿り)
92.人々来て、「この夜半ばかりになむ亡せたまひぬる」と泣く泣く申す。
(p42 八の宮薨去)
93.まづ一人たち出でて、几帳よりさしのぞきて、この御供の人々の
(p85 薫、再び姫君をかいま見)
[椎本を終えてのブログ作成者の感想]
「椎本」を終えました。宇治十帖、面白くなってきましたね。
「橋姫」では宇治の舞台が設定され登場人物の紹介がなされた訳ですが、本帖「椎本」はそれを少し発展させ本格的に四つ巴の恋物語が語られる「総角」への繋ぎという位置づけかと思います。
1.本帖での一番重要な出来事は八の宮の死だと思います(巻名も八の宮を表す「椎の大木」に由来している)。冷静に読めば余りにも頼りなく無責任な言い草には憤りを覚える八の宮ですが、姫たちにとっては勿論薫にとってもかけがえのない存在であった訳ですから。八の宮が死んで残した混沌、ここから宇治の恋物語が始まると言えるのではないでしょうか。
→八の宮の人生(源氏の光りと八の宮の陰)には感慨深いものがあります。
2.薫が宇治を訪れているのは意外と少ないのですね。K22年秋初めて姫たちを垣間見た以降列記してみると、
K22年秋 八の宮不在時、月下に姫たちを垣間見
10月 八の宮と後見の話、弁から秘密を詳細に聞く
K23年2月 匂宮中宿り時 匂宮名代で訪問
7月 八の宮と最後の対面、後見の話
9月? 八の宮の忌はてて訪問、大君を見舞う
年末 大君に胸中を訴える(中途半端)
K24年夏 再び姫たちを垣間見
→初めて姫たちを意識して垣間見てから2年も経ってるのですね。でも恋物語としては殆ど進展していません。いわばここまでが序曲なのでしょう。
→明日からの「総角」はすごく長いですが期間はK24年秋から12月までの短期間です。一気に四つ巴(大君・中の君vs薫・匂宮)の恋物語が進展します。気合いを入れて読み進めたいと思います。
二年間の間に7回の訪問ですか、恋する若者は昼夜を問わず会いたいものですが・・・
それほど宇治への道のりは遠かったと言うことでしょうか?
何も回数だけが恋の密度ではありませんけどね。
まあ薫の場合最初の目的は八の宮に会うこと、その後に弁から聞かされた出生にまつわる秘密があり本格的な恋はこれからということなのでしょうね。
いくら頼りない父親であっても母亡きあと男手で育ててくれた父親を亡くした姫たちの嘆きは察して余りあります。
姫たち、そして薫にとって八の宮は椎本、そのものだったと思います。
今後の経済的不安やら心細さでこちらも恋どころではないのかもしれません。
次の総角ではどのように恋が進展するのでしょうか、楽しみです。
ありがとうございます。
1.2年間に7回(物語に書かれているものだけとすれば)で少ないですが、八の宮の生前は主として八の宮と死後は姫たちとの間で文(和歌)のやりとりは頻繁に行っていたのでしょうね。それと事あるごとに使いを派遣して金品を贈ったり、邸宅の維持管理をしたりと経済的支援は小まめに行っていたのだと思います。心底から真心こめて尽くせば相手には必ず分かってくれる筈、、、薫はこの期間を自らにとっても姫(大君)にとっても恋の醸成期間と考えていたのかもしれません。
2.八の宮の生き方と死んで残した混沌、総角に進むにあたって今一度整理しておいた方がいいかも知れません。
ネットで見つけた論文二つ紹介しておきます。
①すさまじくもあるべきかなー宇治八の宮論
②宇治八の富論 (宮じゃなく富で載っている)
面白いと思ったのは、
・八の宮は官職名もない男、社会的には男になり損ねた男であった。
・八の宮が仏道に傾倒したのは社会的挫折からでなくその後の寵愛していた妻北の方の死が主たる原因であった。
・北の方の死で大君は中の君の母親代わりになってしまった。
・八の宮には特筆すべき才が一つあり、それは音楽(琴)であった。
などなど、読み解きがされています。パラパラ読まれるのもいいでしょう。
ネットの論文さらりと読んでみました
①すさまじくもあるべきかなー宇治八の宮論
面白い考察だと一気に読んでしまいました。
男の面目に最期まで拘った八の宮の矜持。
政争(社会的立場)に敗れた男が男たるには私領域(北の方)においてしか男の面子を保ちえなかった、その唯一の対象を失った代償が大君であった・・・
大君は父の訓戒を守ることで犠牲になったとも捉えられる考え方がユニークでした。
大君は父のマゾヒスティック・コントロールの支配下にあったというのも面白い見方だと思います。
これらのことを頭の隅に置きながら明日からの総角に進みたいと思います。
②宇治八の富論
こちらの方はなぜ宮でなく富なのかが理解できませんでした。
そもそも次の巻名「総角」が何のことやらチンプンカンプンなのです。
私も「すさまじくもあるべきかなー宇治八の宮論」は面白いなあと思いました。八の宮の位置づけを考えるのは大事だと思います。それにしてもこんな論文をさらりと読んで面白いと思えるのは(我ながら)大したもんだと思っています。
(社会的に男になり損ねた男でも女性(北の方)との関係においては男でおられた、、、、なんて考察、素晴らしいと思いました)
ご紹介の「すさまじくもあるべきかな_宇治八の宮論」読みました。
さらりと読めてわかり易い論文ですね。
八の宮の遺言を<娘たちが「八の宮の娘」以外の存在、つまり「外の男の女」になることを禁じるものとして読むべき>ととらえているのは面白いです。真意は宮家や血筋への誇りを大切にせよというのでなく、「男」は父宮だけと娘たちに思っていてほしかった? 特に父宮のコントロール下にある「良い子」の大君は哀れですね。
研究者も我々素人源氏愛好家集団も、勝手に好きなことが言えて幸せです。
紫式部はあの世からどうみているのでしょうね。
そうですね。私も大君はつくづく「良い子」だと思います。特に長女ですからねぇ。色んな意味での束縛度が妹の中の君とは違います。この「良い子」性が邪魔をして薫に女として自分をさらけだすことができないのでしょうか。まさに総角で今読み解いてる場面に直結します。。。。つくづく八の宮のコントロールを感じます。
今週は、桜満開の、奈良・飛鳥・初瀬・伊勢志摩へ旅行に出かけていたので、今日のコメントとなりました。旅行のことは後で、別途、書かせていただきます。
椎本、清々爺が仰るとおり、面白くなってきました。
出世街道まっしぐら恋の遍歴を重ねた源氏とは真逆の、男になりきれなかった八の宮が、京都とは違う侘しい宇治にて登場するとは、紫式部の憎い(小粋な)設定だと関心しています。
大君が薫の思いに応えられないのは、物語とはいえ、歯がゆく思っていますが、清々爺より紹介があった”すさまじくもあるべきかなー宇治八の宮論”(小生読んではいませんが)に対する青玉さんのコメント;
” 男の面目に最期まで拘った八の宮の矜持。
政争(社会的立場)に敗れた男が男たるには私領域(北の方)においてしか男の面子を保ちえなかった、その唯一の対象を失った代償が大君であった・・・
大君は父の訓戒を守ることで犠牲になったとも捉えられる考え方がユニークでした。
大君は父のマゾヒスティック・コントロールの支配下にあったというのも面白い見方だと思います。”
で、納得です。
一方、なかなか理解ができないのが、薫の優柔不断な行動です。総角を読みながら考えて行きたいと思いますが、”人の節介はするが自分のことは結局突き進めない男”ということで大君との関係は終わるのか?興味あるところです。
歌では、
牡鹿鳴く秋の山里いかならむ小萩がつゆのかかる夕暮
(匂宮)
がよかったです。
ありがとうございます。
1.「男になりきれなかった八の宮」、、、。桐壷帝が光源氏を生み出した(作り出した)ように八の宮が大君(という考え方の女性)を生み出したのだと思います。「すさまじくもあるべきかなー宇治八の宮論」、ざっとでいいですから読んでおいてください。大君にのしかかる重さの程がよく分かります。
2.薫の優柔不断な行動、全くですねぇ。総角、コメント欄も賑わってます。是非参加してください。
男になりきれなかった八の宮」、、、さっと一読しました。
わかり易い解釈ですが、人間、そう割り切れる存在でもないとの印象です。
八の宮の人間性と大君の薫への対応はさておき、総角で皆さん意見を述べておられますが、小生は(も?)薫は大君を自分のものにして、八の宮の呪縛から開放して女性として目覚めさせ幸せにしてあげるべきで、それが八の宮の思いにも応える道と考えます。薫どうした。
しかし、残念ながら、物語は違う展開となるようですが、しかたないのでそれもよしとしましょう。
八の宮の過去と薫の過去、この二つを自分なりにきっちり把握しておかないと宇治の物語は薄っぺらいものになってしまうと思います。それさえ踏まえていれば後は自由に読み解けばいいと思います。当然人により違う筈だし、女性と男性でも違うんでしょうね。
万葉と源氏物語のゆかりの地を訪ねて その1
3月31日早朝家より出発で奈良へ。親父の故郷が和歌山の粉川(高野山の麓)でその影響でお袋が作ってくれた茶粥を昔から食べていたのですが、有名な興福寺五重塔横の”塔の茶屋”の茶粥はなぜか食べたことがなく、初体験、奈良と和歌山の味わいの違いもあまりなかったですが、それでも懐かしくいただきました。
興福寺・東大寺・春日大社(藤原家の神社)を久しぶりに見て回りましたが、
*桜が満開でLUCKY
*久しぶりの鹿もかわいい
*日本人は少なく外人が多い
奈良でした。
清々爺から紹介された犬養 孝 万葉の旅 の”奈良”を急いで読んで出かけたので、ほんのほんの少々ながら、万葉の世界も頭を過ぎる旅となりました。
爺に感謝。
4月1日飛鳥と長谷寺へ。
大学を出て会社に入った年、実家が奈良にあり、ここから大阪本社に一年だけ通っていたことがあります。この時飛鳥に行き、桜と菜の花の競演に感激したのですが、これ以来44年ぶりの飛鳥、桜が満開で、菜の花も咲き乱れる畑と丘と小川の中を、自転車を借り、駆け足で、家内と一緒に、回ってきました。
いやいや、春爛漫、里山を巡る旅に感激、加えてチョピッリですが、万葉の世界にも浸ることができました。甘樫の丘から桜の中に畝傍・耳成・天の香具山の眺めは格別、その後、犬養先生の記念館の前も見てきました(中にははいらず)。
ここは外人ゼロ、古都飛鳥、それに日本の懐かしいふるさとを見ることができました。
その後、夕方から長谷寺へ、ここも桜が満開、長谷観音にお参りしました。長谷観音は優しいお顔の大きな菩薩で、玉鬘の場面を思い出しました。また、桜が本当にきれいで、京都の桜は何十回と見ていますが、こんなにきれいなところは少ないくらい、すばらしいお山の桜でした。
その夜は、長谷泊まり。
でかける時間となったので、続きは後で書かせていただきます。
いい時季、いい所へ旅しましたね。長年無事勤めあげたことへのご褒美でしょう。源氏物語・万葉集とも結びついてて一味違った感じだったのでしょう。よかったですね。
奈良、いいでしょうね。私は東大寺・法隆寺・薬師寺などは何度か行ってるのですが室生寺も長谷寺もまだ行ったことがありません。よお~し、来年は行ってみるぞと決めました(ウチの家内も奈良、奈良、、、とつぶやいています)。
その2
4月2日朝一番で、枝垂桜で有名な大野寺へ、老木2本始め桜がまさに満開。
その足で、室生寺へ。山肌に抱かれるように建つ山寺、思ったより小ぶりの古刹。国宝の本堂と台風で損壊し改修された五重塔、両方とも平安時代建立だけあって、荘厳な佇まい。国宝の”釈迦如来坐像・釈迦如来立像・十一面観音菩薩と曼荼羅図”などをみる。実物以上にも写し出した土門 拳の写真のすばらしさに改め敬意を感じる。
その後、伊勢に移り外宮に参拝、賢島泊。伊勢えびをいただく。
4月3日、伊勢神宮内宮へ、内宮・外宮ともに新旧の社を同時に見れたことが幸い。続いて斎宮を訪れる。大きな敷地にびくっり。ひっそりとした記念館を見学、展示以外VIDEOも2本見、六条御息所と秋好中宮をなんとなく偲ぶ。
伊勢神宮そのものに、内親王なり皇女がなぜ直接住まわなかったのか、不思議に思っていましたが、伊勢神宮は神そのもの、ゆえに少々離れた場所に斎宮を設置、そこに斎宮を住ませ、年3度神の宿る伊勢に祭事に出向くシステムをつくったこと、回りに何もない田んぼの中に広大な斎宮を設営したこと、都と斎宮と伊勢神宮の絶妙の距離感、伊勢神宮の厳かさなど実感することで、体ですべてを理解できたように思います。
その後、皆さんのふるさと、JR津駅も通り、帰ってきました。
今回のたび、源氏物語と読み始めた万葉集のお陰で、いっそう楽しくまた深みを増した旅行となりました。
清々爺ありがとう。
伊勢参り&斎宮歴史博物館、行ってきましたか。よかったですね。遷宮も20年に一回だからもう次回はおぼつかないですからね。「京と斎宮と伊勢神宮の絶妙の距離感」ですか、なるほどねぇ。
源氏物語は舞台も限られてますが万葉集となると全国に拡がりますから行きたいところも増えてくることでしょう。また行ったらレポートして下さい。
この帖の語りのもどかしさは 少々辟易するほどでしたが、
このゆるいテンポに浸ると、このもどかしさが続けばよいと
思うからおかしなものです。
場面では八の宮と薫の昔語りは含蓄がありました。
と言うのも、当時の人々(但し、貴族階級ではありますが)の
日常の考え方が良くわかって興味深いですね。例えば薫が
謙遜ながら、「もう欲は無くなった」と言いながら、
「声にめづる心こそ、背きがたきことにはべりけれ。
さかしう聖だつ 迦葉も、さればや、立ちて舞ひはべりけむ」
(音楽を愛する心だけは、捨てることができません。
賢く修業する迦葉も、そうですから、立って舞ったので
ございましょう)言うのもすごく正直で微笑ましいシーンです。
シ-ンと言えば語る薫を指して、” 透影なまめかしきに”と
形容していますが、こういう言葉は中々思いつかないですね。
言葉の凄さを感じます。
この所、各位のコメントが過激になってきていますね。
阿闍梨(法師・仏師)への怒り、八の宮の体たらくさへの怒り、etc。
でも、それは各位の読みの深さと知りました。
例えば清々爺のコメントですが「2月桜の花盛り。匂宮よりの文
匂宮 つてに見し宿の桜を
この春はかすみへだてず折りてかざさむ
→「折りてかざす」女を我がものにする。露骨である。」
そうなんですか!!
『折る』というのが 女をわがものにすること、か。
そこまで読み取れなかった!
余談ですが、宇治十帖の記述はとても丁寧と言うか説明的で、
今迄の軽快な舞台劇の様な語りから変貌していますが、
どうしてですかね? 源氏ビギナーにとっては 読み込みが
深くなり 大助かりですが・・・。
ありがとうございます。よく読み込まれていますねぇ。感心してます。
1.八の宮と薫との談話、お互い仏教の道を究めようとする共通の意識があるのだからいくら時間をかけても尽きなかったのでしょうね。共通の趣味・嗜好を持った友だちとの会話は楽しいもんですから。
2.「透影なまめかしきに」がよかったですか。何度も書いてますが源氏物語は日本語(単語)の宝庫です。広辞苑中に何語引かれているか興味あるところです。「辞書を編む」人に源氏物語の位置づけを聞いてみたいものです。
3.「折りてかざす」の所はテキストの脚注通りです。このテキストの値打ちは充実した脚注にありと思っています。何せ今までの源氏物語注釈書の大成みたいなものですから。
4.コメント、もっともっと過激になってます。それだけ物語が真に迫ってというか身近になっている、それが宇治十帖だと思います。
では長い総角、ちょっとシンドイですが楽しんでください。