p175 – 188
32.源氏、入山を知り、奇しき宿世を思う
〈p129 源氏の院は、それまで女三の宮のところに〉
①明石の君と女御が入道の手紙を読み愁嘆に暮れている所に源氏が表れる。
先ず若宮のことで軽口を交す。
あなたにこの宮を領じたてまつりて、懐をさらに放たずもてあつかひつつ、人やりならず衣もみな濡らして脱ぎかへがちなめる
→脚注9通りここは紫式部日記の有名場面に照応
脚注9引用の前の部分:
殿の夜中にも暁にもまゐりたまひつつ、御乳母のふところをひきさがさせたまふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくおぼほれておどろくも、いといとほしく見ゆ。心もとなき御ほどを、わが心をやりてささげうつくしみたまふも、ことわりにめでたし。
→道長の有頂天ぶり。源氏はここまではしゃいではおらずむしろ女方の可愛がりようを窘めている。道長は源氏物語のこの件をどう読んだのだろう。
②明石の君「いとうたて、思ひ隅なき御言かな」
→明石の君は源氏にピシャリと物を言う(p178脚注1)
③明石の君、入道入山のことを源氏に伝える。
→源氏には明石で入道の世話になったことがまざまざと蘇ったことだろう。
→嵐の日入道が須磨に源氏を迎えに来なければこの話は成り立っていない。
→人柄と言い特異な世渡りといいインパクトある人物。源氏には恩人と映ったことだろう。
④願文のこと夢のこと、源氏も知るところとなり明石一族の想いを共有できた。
→読者もホッとしたのではないか。
33.源氏紫の上を称揚 明石の君わが身を思う
〈p135 明石の女御には、「これには、ほかにも一緒に添えて〉
①若宮誕生・入道入山を踏まえ源氏は明石の女御&明石の君に紫の上のことを語る。
あなたに御心ばへをおろかに思しなすな。
ただまことに心の癖なくよきことは、この対をのみなむ、これぞおいらかなる人と言ふべかりける。
→明石の女御へ。女御も元より異論はなかろう。
②源氏→明石の君 そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、
→明石の君は少しどころか全部分かっているでしょうよ。
③紫の上が女御を明石の君に託したことについての源氏の明石の君への言葉(脚注7)
女御を任せたのは単なる手伝いのため。女御の後見者はあくまで養母の紫の上。
→さすが源氏はしたたかである。二人の関係を緊張的持続関係に誘導している。
→明石の君が即座に源氏の意図を見抜くところもすごい。こんな話を書ける紫式部はもっとすごい。
④かくて明石物語は若宮誕生と入道入山で一段落をつげ重っ苦しい女三の宮物語へと戻ります。
紫式部日記は読んでいないのですがいずれ余裕ができれば読んでみたいですね。
秋の新講座で「御堂関白記」があって申し込みしましたがそれも満席でした。
少し興味があったのですが・・・
明石の君、源氏の軽口ともとれる言葉に凛として対等に交わしているのはさすがですね。
思えばここに至るまでの物語は源氏の須磨流謫に端を発してのこと。
源氏の思いも格別だったのではないでしょうか?
偏屈、意固地な入道とはいえやはり有る意味、源氏も入道の事は認めていたのだと思います。
今の源氏が有るのも元はと言えば入道有りてこそではないでしょうか?
そして最後に釘をさす・・・
あくまでも紫の上を立て称揚する源氏。
元より賢明な明石の上は承知の事、自らの立場を再認識する。
やはり明石の君、只者ではないですね。
この明石一族の場面、若菜上で一番印象に残ります。
ありがとうございます。
1.「紫式部日記」機会あればパラパラとでも御覧ください。講談社学術文庫上下がコンパクトでまとまっています。「御堂関白記」、そんなに人気なんですね。先日世界記憶遺産に登録されたことで関心が深まってるんでしょうね。
史実を書いた紫式部日記・御堂関白記・権記(藤原行成)、歴史物語である栄花物語、そして全くのフィクション源氏物語、随筆の走り枕草子、私小説としての蜻蛉日記・和泉式部日記。このラインアップはすごいですね。将来的には何とか少しでも挑戦してみたいと思っています。
2.さぞ源氏の明石の入道への想いには特別なものがあったことでしょう。須磨で打ちひしがれていた源氏を助け出し明石に連れていってくれたのが入道。そして娘(明石の君)を巡る入道と源氏の駆け引き(行くか来させるか)。仲秋十三夜明石の君との契り、、、、。本段は「明石」の巻に呼応した明石物語(明石一族の立身譚)の終章と言えるのでしょう。
→おっしゃる通り明石一族のこの場面源氏物語中でも屈指の感動場面だと思います。
青玉さん、清々爺さんも書かれていますが、ぜひ紫式部日記もあわせてお読みください。
第一部の日記体記録編に男皇子ご生誕儀式のいろいろが詳しく書かれています。
道長の喜びようも生き生きと描かれています。
「紫式部綽名の由来」も記されています。
第二部の消息体評論編の中の宮廷女性の心性論(和泉式部や清少納言への辛辣な評などあり)なんか面白いですよ。悪口書いてますからね。紫式部の人間性の一部が垣間見られます。
自己反照や娘賢子(のちに絶大な権力を持つ乳母となる)への語りかけもいいですよ。
明石物語が一段落したのは個人的には淋しいですが、明石女系の聡明さと紫の上の人柄のよさ賢さに救われる思いがします。
清々爺さん 式部さん有難うございます。
二年間の「源氏物語道しるべ」が晴れて完結した暁には関連本を読む目標ができました。
実は学生時代のレポートで「紫式部日記」を取り上げてはいるのですが当時は全く単位の為のレポートで読みも浅いものでした。
源氏物語54帖を読み終えてからの「紫式部日記」はまた思いも異なり理解も深まるのではないかと楽しみにしております。
さて夕べ、近くの区小劇場で「源氏女人抄」を鑑賞しました。
名古屋市では各区に一館ずつ小劇場があり手頃な価格で各種催し物が鑑賞できます。
もちろん区外の劇場に足を運ぶのもOKです。
我が区の小劇場は小さいながらも花道あり、その脇には桟敷席も設けられております。
各区独自の劇場で中には回り舞台が設置されている区もあるようです。
語り舞「源氏女人抄」
語り舞というのは地唄舞が基本のようでそれに創作を加えたものではないかと・・・
当初歌舞伎などで見られる玉三郎の「鷺娘」のようなものを想像しておりましたが初めて観る独自の世界でした。
能や歌舞伎、文楽の技法が取り入れられているようですが派手な華やかさはなく小道具も極力最小限で動きも抑えた美しいものでした。
所作はやはり日舞が基本となっているので指先からつま先まで神経を使った繊細な美しさがあります。
語りと舞は元アナウンサー出身の「松本あり」という女性で地唄舞の名取ということでした。
最初舞台に現れた時は小柄にみえたのが最後はとても大きく感じたのはやはり巧さでしょうか。
朧月夜 明石の君 夕顔とそれぞれタイプの違う女性を舞いと語りで訴える見せ場。
すでにこのブログで読み終えている場面なので内容も理解できテキストの場面を想像しながら楽しめました。
語りは現代語で脚色されておりましたが要所要所は忠実に押さえられておりました。
「朧月夜」では情熱的現代風の特徴がよく現われており途中に和歌が二首挿入されました。
なげきつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかはしる
玉の緒よ絶えなばたえねながらへばしのぶることのよわりもぞする
朧月夜の心情ににぴったりですね。
わが愛する明石の君は清楚に慎み深く演じられ和歌は
しほの山さしでの磯に住む千鳥君が御世をば八千代とぞなく
淡路島かよふ千鳥のなく声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守
この二首が筝曲に作曲されて演奏されました。
身ごもった明石の君を残し都へ帰る場面ではこの姫君の行方や如何にと余韻をもって結ばれたのですが丁度「若菜上」で明石一族の立身譚を読み終えたばかりなので感慨深く月日の流れを感じた次第です。
そして夕顔。
地唄 夕顔を添えておきましょう。
住むや誰 訪いてや見むと黄昏に 寄する車の訪れも 絶えてゆかしき中垣の隙間求めて垣間見や かざす扇に焚きしめし 空薫き物はほのぼのと 主は白露 光を添えて いとど栄えある夕顔の 花に結びし仮寝の夢も 覚めて見に沁む 夜半の風
六条御息所の物の怪の場面は鬼気迫るものがありました。
唄、筝 三弦 笛そして抑えた衣裳(三者三様の衣裳)もっとも華やかだったのは夕顔。
三時間余りを語りながら舞い、舞いながら語る、語り手の役が多く時に女君、源氏と声色も変えての一人舞台。
三人の女性を通して女人の哀歓を描きだした見事な舞台でした。
音響、照明も効果的で源氏物語の世界に没頭した秋の夜長でした。
長々たどたどしく書いてしまいごめんなさい。
語り舞「源氏女人抄」、詳細なるレポートありがとうございます。ネットで地唄とは何かから始め松本亜梨さんの語り舞のことも知りました。すごい世界があるのですね。
朧月夜の二首は蜻蛉日記の作者道綱の母と式子内親王ですか、なるほど。ピッタリですね。明石の君では源氏と分かれる場面が一番危機的な場面と捉えたのですね。よく分かります。それと夕顔の地唄、引用ありがとうございます。ピッタリと五七調ですね。YouTubeで聞かせてもらいました。
源氏物語が実に色々な芸能分野で表現されていることを改めて知ることができました。
また、何かありましたら紹介してください。