さて好き嫌いはあるでしょうが物語中でも有名な滑稽場面です。
p148 – 158
12.雪の夜に訪れ、女房たちの貧しい姿を見る
〈p43 あの藤壷の宮のゆかりの若紫の姫君を〉
①行幸も過ぎやや暇になった雪の夜、末摘花邸へ。
②今までの逢瀬では暗くて容貌が分からない。手さぐりでの反応は今イチだがひょっとしてすごい美人かもとの希望的観測から思い切って末摘花邸に侵入する。
③垣間見ている室内の侘しい描写が細やかである。女房の会話も哀れそのもの。
13.翌朝、末摘花の醜い姿を見て驚く
〈p45 侍従は、賀茂の斎院にも御奉公している若女房でして、〉
①雪を舞台に持ってきたのがすばらしい。今まで何回か夜は過ごしたのだが明るくなる前に帰っていて、姫君の容貌を知らない。雪降る夜荒れ果てた屋敷でなにがしの院での夕顔との出来事を思い出しながら緊張気味に一夜を明かした早朝、その雪明りの中で、、、。
②まづ、居丈の高く、を背長にみえたまふに、さればよと胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。、、、、、、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかり余りたらむと見ゆ。
ユーモア滑稽な表現と見るか、残酷無比な許しがたい表現と見るか。
でも、これほどインパクトのある書き方ができるってすごいなあとつくづく思います。普賢菩薩の乗物が出てくるところが何とも言えない。「ハンニバルのアルプス越えの乗物とおぼゆ」だったら更に面白かったでしょうに(冗談です)。
でもさすがに髪の毛だけは見事なものであった。寂聴さんも「それでも、紫式部は、この古風で、人を疑うことを知らぬ素直で誠実な姫君に、豊かで丈よりも長い見事な黒髪を与えることを忘れない」とこの点は評価しています。
③更にもの言ひさがなきやうなれどと断りながら、末摘花の流行遅れの服装を容赦なくこき下ろしている。でも、でも源氏は姫君にちゃんと礼をつくしている(うわべかも知れないが)。偉いなあと思います。
④ただ「むむ」とうち笑ひて、いと口重げなるもいとほしければ出でたまひぬ。
う~~ん、「むむ」はないでしょうにねぇ。もう少しなんとかならなかったのでしょうか。
荒れ果てた常陸宮邸の侘しい日常の生活様相や女房達のみすぼらしさがが冷静に観察されていてイメージしやすいです。
さて雪明かりの早朝、源氏は一体何を見たのでしょう。
もしかしたらという期待感に膨らんでいた源氏の心境との対比が強烈・・・
まづ、居丈の高く~一尺ばかり余りたらむと見ゆ すごい描写ですね。
醜女のこれほどの描写を他には浮かびません。
その後のお召し物の表現も事細かです。
さすが紫式部が女性の目から見たものを源氏に語らせている。
まあここまで書かなくてもと思う一方で滑稽さに思わず笑いを禁じ得ません。
末摘花さん、ごめんなさいと言う感じ・・・
その中でも見事な黒髪を褒めあげているのは立派です。
この当時の髪は女の命、美人の象徴でもあったわけですから救いを感じます。
源氏の怖いもの見たさの結末が、ただ「むむ」とうち笑ひて、では源氏も返す言葉なく 出でたまひぬ より他はなさそうですね。
ありがとうございます。
この段の描写をどう評価するのか、意見が分かれるところかと思います。私は好きじゃありません。あまり読みたくない場面です。
1.雪の朝。
折しも今朝は0度に近く震えながら起き出しました。当時暖房はおろか閨には火の気もなかった筈で、雪降る夜によくコトに及ぶようなことができたものだと感心します。肌と肌で温めあうというのはあったかも知れませんがね、、、。
(雪の降る夜の逢瀬の場面はここと宇治十帖・浮舟のところでしょうか)
2.を背長に見えたまふに
本テキストは脚注7で「玉の小櫛」に従って「背まがり」と解釈しているがいかがなものだろうか。
寂聴さんも円地文子も胴長と訳しているしそれが普通ではないでしょうか。
まあしゃんとしてなくて猫背だったのかも知れませんがそこまで解釈しなくてもねぇ。
3.普賢菩薩の乗物
象は当時日本には未だ持ち込まれておらず作者も実物は見たことなかったわけだが、文献なんかで「鼻が長い動物」として知られていたのでしょう。それにしても「普賢菩薩の乗物とおぼゆ」とは傑作じゃありませんか。
を背長に見えたまふ は リンボウ先生も座高が高く胴長と訳しておられます。
素人考えでも胴長が素直な解釈だと思いますけど・・・
普賢菩薩の乗物 巻末付録P277を読んでみました。
仏典から引用されているのですね。
漢籍だけではなく史書 仏典にまで及ぶ紫式部の博識にはただただ驚くばかりです。
鼻の先端の蓮華が茎、華ともに真紅のもの(奈良国立博物館に普賢菩薩羅刹女像)があるそうですが見落としました。
正倉院展の時に仏像館も鑑賞したのですが気づきませんでした。
もう少しここの所、注意深く読んでいればよかったと思います。
なるほど白象でも鼻が赤く描かれているのがあるのですね。
最初何故「普賢菩薩の乗物」などと言うのか、「象の鼻のようだ」でいいのではないかと思ったのですが、赤色のことも言いたかったのですね。
天狗の鼻は赤いけど垂れ下がってはいないし、赤鼻と言えばトナカイだけど鼻は高くありませんものね→関係ないか。