難解古文と言われる源氏物語、確かに中々スッとは読めないですが「外国語を読むより楽でしょう」と言うのが私の言い分です。色んな言い回しとか引用とか出てきます。「へぇ~っこんな風に言うんだ」とか「そんな風に感じるんだ」というところをピックアップして覚えておく→また出て来る→おっ、また出たな分かってるよ、ってことで嬉しくなるのです。
3つ挙げますと、
1.女も男も貴族は自分の立居振舞が世間・自分の回りの人=女房とか・下の人に笑われないか、悪く思われないかと言うことを非常に気にします。「そんなの気にしなくてもいいじゃない」と言うことにはならないのです。特に「物分りのいい光源氏第一の女性」でありつづけなければならない紫の上の心を描写するときに頻繁に出てきます。
2.「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(藤原兼輔)
藤原兼輔は紫式部の曽祖父で歌人(百人一首No.27 みかの原~)。源氏物語に引用されている回数はこの歌が断トツで1位だと思います。親と子どもを描く場面(沢山ある)ではほぼ例外なくこの歌が引用されています。きっと紫式部も直系のご先祖に思いを馳せていたのでしょう。
3.同性の人の容貌を褒めるのに「この男を女にして可愛がってみたい」とか「私が女ならこの男といっしょになる」とかの表現が随所に出て来て「えぇ~そんなの」と思ったものです。(ちょっと見てみましたがどこにあったか思い出せません、一か所若菜上⑨p31にありました)
源氏物語は筋書きもそうですが物の考え方、表現の仕方なども統一性があり、そこが何とも心地よいのです。
私もいつもそう思います、「外国語じゃあるまいし」とね。
古文独特の流麗な調べを楽しむつもりでいきましょうよ。
上記三点を頭のスミにインプットしておくとして・・・
リンボウ訳 「幻」までやっと読了。ここで一区切り、気分一新。
寂聴本を久しぶりに手に取りました。
10月からの本番に備えサブテキストは新たにこれでいくことにします。
さて先日、諏訪博物館に立ち寄り高島藩諏訪家の「竹取物語絵巻」を観てきました。
源氏物語にもちょっと登場しましたよね(絵合?)
江戸時代に描かれたものだそうで源氏絵巻に比べ色彩がぐんと鮮やかでした。
仲秋の名月(9月30日)にちなんでとのことで併せて「伊勢物語」「源氏物語」「平家物語」の写本も一部展示されており、ちょっと興味をそそられました。
いつもコメントありがとうございます。
リンボウ訳、幻まで終えられましたか。それで十分ですよ。後はサブテキストはあくまでサブとしてできるだけ原文に時間を割き繰り返し読まれるのがいいと思います。
読めば読むほど味が出てきます(と言うより、スッと読んだだけでは何となくしか理解できないところも段々と分かるようになってきます)。
竹取物語、「物語の出で来はじめの親」として先ず絵合わせに登場します。紫式部はこの物語パターンを繰り返し読んで糧としたのでしょうね。
今年の仲秋の名月は9月30日ですか。晴れるといいですね。
元禄2年(1689年)は9月28日 敦賀は雨。
「名月や北國日和定めなき」
今日のタイトル「よく出てくる表現・引用」を読んで一番に感じたことを書き忘れました。
紫式部は当時の女性としては珍しく考え方がぶれなく一貫していたことを強く感じました。
希有な女性であると同時に尊敬できますね。
そこのところも注意深く読みとれればいいなと思います。
近頃の世相に思い至る時、ころころ変わる政治家の発言、見習ってほしいものです。
おっしゃる通りです。
紫式部は理科系の頭の持ち主だと思います。あれだけの大長編で記述の矛盾が殆どない(皆無ではないようですが)。記憶力抜群だったのは当然として、表現がシンメトリックだし、統一されているので「おっ、ここはこう言う言い方出てきそうだな」と思うと必ず出てくるのです。
投稿の3つの例はそうですが、ちょっと寂れたところを表現するには必ず「葎」か「蓬」か「茅」が出てきます。
今日読んだところにちょうど出ていました。p80 「帚木」
「~女にて見たてまつらまほし。」 光源氏は女性的な美しさで、それがよしとされていた時代背景があったのでしょうか。
そういえば、現代も若い男の子のなかに女の子のように(それ以上に)美しい子がいますね。案外1000年たっても変わらない??
ありがとうございます。
この件、源氏がくつろいだ様子で腕枕でもしながら取巻きの女性談義を聞いているところ、よく引き合いに出されますね。吉岡幸雄の色辞典「帚木」もこの「白き御衣どものなよよかなるに、、、」を引いています。
当時の貴族は女性は勿論、男性も化粧をしたのでしょうね。でも私が読んだ限りでは男女とも化粧の場面は少ないように思えるのですがいかがでしょう。尤も私には関心の低い分野なので読み飛ばしてるのかもしれませんが。。